それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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子どもを見る

子どもを見る」っていうのは、どういうことか。

 

大切な視点の一つに、「学校での子どもの姿」は、「学校での子どもの姿」だということがあると思いました。

 

学校では、なかなかやんちゃな子も、下校指導などでいざ学校の一歩外に出ると、あどけない顔で笑ってみせることがありますよね。

 

そういうとき、私は、たぶんこっちが本質なのだろうなと思います。

 

学校は、学級の状態によっては言わば戦場であり、一瞬の隙も見せられない、緊張していなければならない場なことがあります。

間違えたり、恥をかいたり、変に目立ったりしてはいけないような場です。

または、”やらなくてはならないことがある時間”からの解法によって、身が軽くなってそういう表情になるのかもしれません。

 

私が思ったのは、このあどけないような本質をお家の方は知っていて、子どもをかわいいと思っているに違いないということです。

 

学校で、やんちゃだと、お家に協力を求めることもあると思います。

そうしたときに、お家の方が知っている子どもの良さを共有しつつ話せるといいと思いました。

 

あどけなくて、いきいきとしている姿がなんとも良いのだけど、学校では発揮できないところがあって、どうしたらいいのかと協力を求めるわけです。

 

当たり前なのですが、お家で子どもはかわいい。

その前提を忘れないで、子どもたちを見つめられたらと思ったのです。

子どもを見るっていうのは、「"いつも"を越えて見る」ってことなのだと。

 

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