それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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なぜ勉強するのか

昔のメモにあったものを書きます。

1.「なぜ勉強するのか?」

 

その答えは「人の役に立つから」です。

私は、原付に乗りながら、初めて通る道でふと塾の看板を横目に見たときにそう思いました。

「塾ってほんとどこにでもあるなー」と思って。

なぜ、勉強ってなくならないんだろう?って思ったんです。

そんなにつまらなくって、嫌なものだったなくなるんじゃないかなと思ったんです。

でも、なくならない。

なぜ?

それは、必要だからです。

どうして必要なのか?

それは、人間を生かす力になるからです。

どういうことかというと、結局勉強で得た知識が「仕事につながる」→「人の役に立つ」ってことです。

学校で行うような、基礎的基本的な普遍的な知識が身につくと、誰かの役に立てる可能性が高いから勉強するんです。

私は、それってすごいなって思いました。

勉強が廃れない理由は、それで、世の中がある程度回っているからってことです。その力がつけば、仕事に出会える可能性が上がるんですから。

 

2.よくあるシーン 

どの子どもも一度は「勉強が嫌」だという感覚に出会うと思います。

 

そして、つぶやく問いが「なんで勉強しなきゃいけないの?」です。

するとよく大人が言ってしまうのが「将来自分が困らないために」です。

 

正論で間違いではないと思います。

けれど、子どもと会話することを途絶えさせてしまう答えな気がします。

有無を言わさず「やれ」っていう時代もありましたが、価値観が多様化している昨今その答えは子どもに響いているのか気になります。

私は、そもそももっと大人と子どもが会話をしてほしいし、将来自分が困らないためでは、「困っていいからやらない」など将来に対する消極的な考えや、大人になりたくないという気持ち、将来困るときがあるんだという不安を抱かせるのではないかと思います。

また「自分のために」というのも人生の本質と違うなと思います。誰かを感じて生きてこそ人生だと思うからです。たとえば「自分のためにもみんなのためにも」と言うならいいと思います。

 

しかし、なんであれ大人になった私たちは「あのときもっと勉強をちゃんとやっておけばよかった」と感じるのだと思います。

だからこそ踏襲して「将来自分が困らないために」と口走ってしまうのです。

というか、困るときに助けるために大人がいると私は思いますし、その自分の役割を放棄するための言葉なんじゃないかとすら思います。自分のために予防線張ってるだけなのかなと。

その役割を放棄している大人の姿を見て、子どもも勉強や宿題をやるという役割を放棄しているのではないでしょうか。

 

3.子どもに勉強させるには

私たちの目的は、子どもを黙らせることではなくて、「勉強っていいな」って思わせて勉強してもらうことだと思います。

実は、というか、

子どもは、というか、

人は、誰かのための方が動けます。

そのためには、誰かのためになっているっていう評価が必要ですが……。

たとえば、周りの誰かが、感謝したり、喜んだりです。

 

家事や日常の当たりまえは、ついやって当たりまえと思って評価仕損じることがありますが、やっぱりしてくれたことや、がんばったことへの評価は必要です。

 

「今日も学校で頑張ってきてくれてありがとう!」とか

「くつがそれってる!やっぱりうれしい!」とか

ちょっと露骨で恥ずかしいかもしれないですが、そういうの子どもは素直に聞かないところもあるかもしれないけれど、ちゃんと聞いています。

 

「なんで勉強しなきゃいけないの?めんどうくさい!宿題やりたくなーい!」

そんなときは、

「どうして?」

と聞きましょう。

「分からない」と言ったら、ヒントをあげましょう。

教科書の載っているページを教えてもいいと思います。

「めんどうくさーい」とか

「つまんなーい」とかだったら

「勉強は、人の役に立つんだよ、がんばって!」と言ってみてもいいと思います。

そして、頑張れたら、たくさん喜んでください。

勉強すると、とりあえず、お母さん喜ぶんだとか、お父さん喜ぶんだとか感じると思います。

 

勉強するっていいなって思うと、希望をもって頑張れると私は思っています。

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