かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

スポンサードリンク

【まとめ】インクルーシブ教育とは(前編)

そもそも、なぜこんなにややこしく「インクルーシブ教育」について調べだしたかと言えば、「インクルーシブ教育推進フォーラム」に出席した際、質疑応答の時間に、鋭い口調で意見を述べている人がいたからでした。

 

なんであれ、語気を強めるような主張がある状態が、インクルーシブ教育を進めていく中にあるのだと感じたのです。

 

それは、どこかにギャップがあるからで、そのギャップというのはどうやら、当事者と当事者でない側、また、仕組みを作る側と仕組みを受け入れる側の間にあると思いました。

 そして、そのギャップを明らかにして、正しい立場にいたいと考えたのです。

そこで、「サラマンカ声明」や「障害者の権利に関する条約」、「改正障害者基本法」がもつ障害者の立場に立った考えを知り、そのほかの政策について知り、ギャップを明らかにして、実態を知る必要があると考えたのです。

 

サラマンカ声明」「障害者の権利に関する条約」「改正障害者基本法」の三つは、前提を作ってくれています。

その前提は、簡単に言うと「他の者との平等」です。

ただ、そのためには、いろいろ配慮が必要ですよね。

平等っていうのは、「実質的平等」「結果的平等」とあるからです。

参考:誰もに優しい社会をいっしょに――「障害者の権利に関する条約」批准に寄せて / 青木志帆 / 弁護士 | SYNODOS -シノドス-

そして、もうすこし、前提を具体的に言うと

 ①障害があっても通常学級に通い共に学ぶことができるようにすること。また、理由をつけて阻まれないために原則通常学級とすること。

②どこで学ぶべきかを選べること。

③学ぶことが決まった場所では、学べるように配慮すること。

です。

この前提や理念のようなものが、取り違えられたり、阻まれたり、蔑ろにされたりしたとき、語気が強まるのだと思います。

「私はただ通常の学級に通いたかった」この意見をもつ人を、この人以外が覆してはならないということです。

そして、それが覆っていたのがこれまでだということです。

 

しかし、インクルーシブ教育は、「しましょう!」と声をかけて、一朝一夕にできるものではありません。本来、当たり前に「しましょう」なんて言おうが言うまいができなければならないものですが、私たちは、そういう風に人間を見ていなかったのだと思います。(全員がではなくて、一部の多くの人が見ていなかったのだと思います)

 

大切になってくるのは、まず、理念です。

そして、次に、必要になるのは、その理念を実現する意識と仕組みです。

今、やっと、理念を実現する意識と仕組みの方向性が見えてきた時期なのだと思います。

 参考:共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告):文部科学省

そして、「しましょう」と言って一朝一夕で、できないということは、その完成に向けて一歩ずつ歩んでいくしかないのです。法整備も進み、日本中を巻き込む準備は整いつつあります。

あとは、一人でも多くの人が、理念を共有し、意識して配慮できるようにし、また、仕組みを作り上げていくということだと思います。

 

今後は、そもそも完成形がない教育を、みんなで力を合わせて、子どもたちのために、または人々のために、行っていくということです。合理的配慮を考え、その子に必要な能力が身につくようにし、社会に参加できるように育んでいくということです。

 

結局は、不当さ、不合理さ、不条理さを感じているかもしれない相手の立場に立つということが大切になってくるということです。

一人ひとりの振る舞いが、誰かの不幸につながらないように生きられたら、もっと多くの人で幸せになれるねって、それだけの話なのです。

スポンサードリンク