かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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集団づくりに必要な視点(信頼関係を構築するロジック)「相手との間に生まれる心理の視点」#5

前回は「個を大切にする心理の視点」でした。個を大切にしている居場所で、子ども同士の間にどのような心理がうごめいているか知ることで、子どもの在りようをさらに「認める」ことができます。

今回は「相手との間に生まれる心理の視点」です。

これらは、自然と子どもたちの心に作用しているものです。それぞれの効果が働いて、集団づくりに関与しています。

1.同一視

クラスの中に悪いことを真似する子が多いと思います。集団を形成していく途中では、こうした子への対応に苦慮すると思いますが、そこには同一視の心理が働いているのかもしれません。

同一視

子どもであれおとなであれ、ある主体が対象となる人に関心を向け、その人を模倣し、その人と同じように考え、感じ、振る舞うようになり、ひいてはその人のさまざまな属性を取り入れ、内面化するよういなることを同一視といい、同一化ともいう。

幼児の性役割の取得や超自我形成は、一般には同性の親へのこの同一視によってなされると考えられている。この同一視のメカニズムは、自分よりも優れた対象を前にしたときに、自分が劣っているという事実に対処するために働くとされるが、少なくとも幼児においては、愛着し信頼を寄せるおとなに体現されている性役割や超自我を取り入れるかたちで働くばかりでなく、そのおとなの行うさまざまな行為を取り入れるかたちでも働き、その結果、しつけなどのさまざま習慣行動が形成されるようになると考えられる。

ここに「自分が劣っているという事実に対処するために働く」とあります。

人は、自分よりすごいと思う人を模倣したい心理があるようです。

教室の中で悪いことを真似する子が、何を感じてそうなっているか少し見えてきますね。単純に言えば、悪いことをすごいと思わせてはいけないのです。

もし大人が自分たちの真似をしてほしいと感じたら、自分たちも率先垂範の心で「すごい○○な人間」として振る舞いたいですね。

たとえば、「すごい笑顔な人間」など。

2.劣等感

性善説など諸々の視点から、人間はよりよく生きたいという気持ちがあると、私は信じています。しかし、同一視により劣っている自分に気づき対処しようとして、劣等感が生まれます。その同一視が成功すれば、有用感などを抱ける可能性もありますが、失敗に終わった場合、劣等感だけが積みあがります。やっぱり、自分よりすごい対象がいる環境ほど「自分をダメだ」と思ってしまうのです。

劣等感

子どもは自分の属している社会や文化において必要とされる知識や技術を学ぶことが求められる。そこには乳児期にはなかったことばと表情を伴うおとなの評価とか価値判断が頻繁に子どもに対して向けられることになり、消極的また否定的な評価のくり返しのみならず、直接消極的、否定的評価を受けなくても、いっしょにいるほかの子どもに積極的評価が下されることにより、子どもの中に劣等感が生まれることになる。

あるいは、自分が失敗をしたことを自分自身十分認識しているのに、追い討ちをかけるようにおとなによって注意や指示、評価がなされることで劣等感が増幅される。劣等感が強くなるとおとなからの評価に対する先取り不安を抱き、子どもみずから動くことを躊躇し始める。つまり、能動性までもが希薄になるので、ほかの子どもとの比較から評価することにより、その子どもの独自の良さをみていく必要がある。

ここに「劣等感がつよくなると、能動性までもが希薄になる」と書かれています。自分から動かない子の正体の一つに周囲からの評価があるみたいです。

また、自分から特に「正しいこと」をしない場合には、教師からの評価より友達からの評価の方が劣等感が強まらない(有用感が得られる)と感じている場合があると思います。

友達からの評価の方が行動を選択する上で勝っている状態は、ギャングエイジの年齢のころによくあることでしょう。この部分も認めながら、公である社会での行動を意識させる必要もあると思います。教師による劣等感を抱かせるような評価が、教師の評価を下げてしまったとも捉えられます。

でも「君はこういう良いところがある」と伝え続けたいし、「いつだってまだ間に合う」ってこと、「正しくないことをしなくたって楽しく生きられる」ってことを強く訴え「その子の在り方を"認める」ことも大切にしたいですね。

3.相互性

劣等感によって失われた能動性が、この相互性によって息を吹き返すことができるかもしれないと考えています。

相互性

すでにある規則や約束あるいは指示や命令にしたがって動くこととは異なり、相手の思いや動きに応じて調節をしていくことである。

相互性の原型である"いないいないばー"は、相手の出方によってみずから調節していくことで成り立つあそびである。指示や命令で動くのではなく、はじめはおとなが子どもに合わせて応えていくことで、しだいに子どもが相手に合わせていくようになる。ことばのやりとり、もののやりとりなどで、子どもみずから相互性を育てている。そこでの自分自身の変化は、新しい関係を創りだしていくことにもなる。

相互性による「相手の思いや動きに応じた調節」が、劣等感の強い状態で行われると、その行動はどのようなものになるでしょうか。

 

すでに能動性は劣等感により希薄化されている状態です。

そこから生まれる行動は、消極的で受動的なものになっていくのではないでしょうか。

 

適当に合わせたり、適当に済ませたり。そうすると、また相互性によって生まれた行動が原因で劣等感が生まれる種ができてしまいます。

 

 

改善に向かうために一つ「はじめはおとなが子どもに合わせて応えていくことで、しだいに子どもが相手に合わせていくようになる」という言葉があります。

大人は、君たちを「見ているよ、合わせるよ、大丈夫だよ、問題ないよ」といったメッセージを送り続ける必要があるのだと思います。

 

ダンスと同じで、少しずつ、できることを示して子どもが合わせられるようにし導くことで劣等感の檻から脱出できるかもしれません。

また、これらのギミックの中でも、「調節力」だけは、ほめることができるかもしれません。

こうした心理状態の子どもたちにさらに「動け」と言ってしまったら、もう「劣等感スパイラル」に陥るような気がします。

その「動け」に反応できた子を見て同一視を感じて、また劣等感です。

 

「今、在る事実」を「ほめて」、「劣等感スパイラル」から解放できたらと思います。

 

まとめ

「同一視」と「劣等感」と「相互性」は、お互いに絡まり合うと、みるみると子どもを悪い方に導いてしまいます。ただ、ロジックにすると少し見えてくるものもあります。

要は、同一視による劣等感を抱かせなければいいということになります。

同一視による正しい振る舞いを大人の言葉掛けなどで支えてやる必要があるということです。

そして、その支えは、はじめ大人から行われる必要があるということです。

そうすることで「相互性」が養われ、周囲との行動の調節が行われるようになります。

そしてその支えこそが、子ども同士の評価より負けるとも劣らないような大人の評価の価値につながり、集団が育っていくのだと思います。

  1. 良いモデルの「同一視」
  2. 大人の支えにより建設的な「相互性」の獲得
  3. クラス内の調節により子ども同士の力で「劣等感」を抱かないかかわり合いが行われる

そして「良いスパイラル」が生まれさえすれば、集団が自然と活力をもって動き出すようになると思います。

 

次回は、一旦最終回!

「集団指導」についてです。 

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