それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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【キーワード】フル・インクルージョン

「フル・インクルージョン」「フル・インクルーシブ」って?

「フル・インクルージョン」は、「障害者の権利条約」で求められている「障害のある者もない者同じ場で学ぶ」という考え方です。主に「障害のある者もない者も同じ教室(通常の学級)で学ぶこと」を指します。

和訳は「完全な包容」です。「フルインクルーシブ」と言うときもあります。

 

「同じ場」を「学校」と捉えるか「学級」と捉えるかは、解釈や視点によって違いますが、当事者やその家族からは「原則通常級」を求める声もあります。

 

現在は、様々な議論によって「インクルーシブ教育システムの構築」*1が共有され「フル・インクルージョンを実現してください!」という感じではなくなったと思います。

「多様な学びの場」の選択肢が用意されていて、ニーズに合わせて選べるシステムの構築が求められています。

 それは、ねらいの優先順位として「個人の将来の自立と社会参加」があるからです

「フル・インクルーシブ」を実現することも大切な視点ですが、その理念だけを目指すのでは、ダンピング*2が起こってしまう可能性があります。

どうしてかというと、通常の学級にどの子どもも参加できるようにするには、それ相応の配慮が必要です。その配慮を行いましょうというのが条約に示されているわけですが、いわゆるその配慮は「過度な負担」に成り得るというわけです。

過度な負担を克服できればいいですが、克服できない場合、それでも「同じ教室で学ばなければならない」ということが優先されてしまったら、子どもは配慮が受けられない状態で同じ教室に入れるしかない。つまり、ダンピングするしかなくなってしまいます。

 ただ、だからと言って、その「フル・インクルージョン」の理念を失ってしまうのもよくないと思います。

「フル・インクルージョン」という理想があることを知って、できないから考えないのではなく、できる限りの配慮は想定して、障害のある子も同じ場(通常の学級)で学べることを促進する必要はあります。

それは「多様性を認めて共生することが、豊かな人間性や社会性の育成」につながるからです。

個人的には、それが「自己受容」にもつながると考えています。
どんな人も共に生きていいという感覚は、自己肯定感や自己存在感につながり、「生きていることへの安心」につながり自らの人生を受け入れることにつながるように思うのです。

 

文科省では 

「フル・インクルージョン」について、文科省の中では、平成20年~平成22年ごろの「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」などで話されています。どのようなことが話されているかというと、「フル・インクルージョンの考え方をどう扱うのか」、「フル・インクルージョンを目指すのか」などです。 

◆平成20年9月8日の「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」の資料「特別支援教育の現状と目指すべき方向性(山岡修)」の中では

 「障害がある子どもも、全ての子どもが地元の学校で学ぶべき」という、フルインクルージョンは、理想論としてあるが、子どもの将来の自立や社会参加を目指すために非現実的。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/054/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2016/01/22/1363661_003.pdfP21

障害のある子どもの発達支援を最優先に考えて、実効性、合理性の高い制度の構築を図っていくことが必要 。

 とあります。

◆平成20年10月27日の「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議(第6回)」の資料3「障害のある子どもの就学指導の在り方についてこれまでの主な意見(第1回~第5回)」の中では、

一部でフルインクルージョンが言われているが、専門性を有する特別の場での指導は必要。

とあります。

もう少しさかのぼると、

◆平成17年2月28日の「教員養成部会 特殊教育免許の総合化に関するワーキンググループ」の資料7「『特別支援教育を推進するための制度の在り方について(中間報告)』に対する意見募集の結果概要」の中で、

中間報告は特別支援教育を進める上で重要な一歩となる。重要なことは多様な教育の場を準備することだと考えます。柔軟で多様な教育の場が準備されることで、インクルージョンへの重要な一歩を進めることになると考えています。フルインクルージョンだけがすばらしいのではなく、多様な教育の場を本人、養育者が自由に選択できる可能性を最大限可能とする環境があることが重要

という意見があります。

 

◆平成22年1月13日の「第13回文部科学省政策会議(平成22年1月13日):文部科学省」の中では、

新成長戦略の雇用人材対策について、総理就任時のチョーク工場の演説を思い出す。教育や就職でも障害者は保護の対象とされてきたが、障害者権利条約が求めているのは、フル・インクルージョンである。フル・インクルージョンを目指す議論を進めてほしい。

に対して、鈴木副大臣は

新成長戦略は閣議決定文書であり、インデックスである。具体化に向け、省内に検討する枠組みを設け、教員養成の質、教員増、学校環境整備などの議論を進める予定で、提言・提案をいただきたい。これらは、文科省がビジョンと工程表を示すべき案件であると考えている。
AEDの設置推進については、検討・勉強していきたい。
私立高校の就学支援金については、4月と5月は前々年度、6月以降は前年度の年収を基準とする。著しい家計急変については、地方公共団体で取組が行われている。
フル・インクルージョンについては、教育と就業の場と双方の取組が必要となるので、勉強させていただきたい。

 

そして、

◆平成22年1月18日の「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議(第20回)」では、

障がい者制度改革推進会議の流れを見ると、障害者権利条約の批准が第一にあるように思える。条約の第24条では教育についても触れられており、日本語仮訳では、「障害者が障害を理由として教育制度一般から排除されないこと」となっている。

インクルージョンの考え方には、障害のある子どももすべて通常の学級で教育を受けるというフルインクルージョンの考え方と、原則は地域の学校に在籍するものの必要に応じて特別支援学級や特別支援学校に通うというモデレートな考え方があると思う。障がい者制度改革推進会議としては、前者の考え方の結論を出すことになるだろう。そうなると、現在、交流及び共同学習のようなすばらしい取組が行われているが、そのような取組はおそらく無くなり、在籍のみの問題になる。モデレートなインクルージョンが良いと考える者もいるので、そのような意見を論点整理(案)で触れるべき。

とあります。

※モデレート= 適度であるさま。

 

◆平成22年12月25日~平成23年1月23日にあった「資料5:特別支援教育の在り方に関する特別委員会論点整理に関する意見募集の結果について」では、

「交流及び共同学習」は、分離を前提としたものであり、障害をもたない子どもとの対等な人間関係づくりや障害者差別の解消には結びつかず、むしろ障害者に対する差別意識を醸成してしまう危険性が高いことから、フルインクルージョンが実現するまでの、短期間の「次善の策」であることを明記すべき。

○インクルーシブ教育システムを推進するに当たっては、その子の個別支援が臨機応変にできる複数教員配置が必須。

○インクルーシブ教育が進むことで学校の先生がますます忙しくなる分、先生や補助の先生の数を増やしたり、評価体制を見直したり、学力重視の考え方を見直すことで、もっと先生方が、余裕を持って子ども達とつきあえるようになる。

○「意識改革」「指導方法の充実」「指導力の向上」は必要であるが、「人的・物的な環境整備」を早急に進めなければ空論で終わってしまう。30人学級をすぐに実現しなければインクルーシブ教育などと言う理念を語るのはおこがましい。

 などのフルインクルージョンやインクルーシブ教育についての意見がありました。

 

現状として、「フル・インクルージョン」を目指す議論は進められていないように思いますが、常に頭の片隅にはもっていたい大切な視点だと感じます。

個人的には、「フル・インクルージョン」すなわち「特別支援学級の子ども」の「全交流」が可能な学級は「子どもの居心地が良い学級」なのではないかと思っています。なので、どの学級も「インクルーシブな学級」を目指す価値はあると思います。

 

「どんな子もどの人間もいていい学級」、これは、理想的な学級だと思います。

 

また支援級の子にとって、通常の学級でしか身に付けられない「実践的・実社会的」な社会性や人間関係形成能力、コミュニケーションのスキルがあります。これを培えるのは、通常の学級ならではです。

 

ここでは、とりあえず「場」や「環境」としての視点で学級を語りました。「フル・インクルージョンな学級」で、「どのように」民主的な力をつけて、学力も身に付けていくかは、また別の話として考えなければなりません。

 

 以下はつづき

inclusive.hatenablog.jp

 

*1:多様な学びの場を選択できる仕組みづくり

*2:なんでもいいから通常級にとにかくいさせるということ

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