かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学と甘い毒。(旧:それでも幸せな人はいるから)

「基本的信頼感」に時間をかけまくれ

この話は、自分を癒すのは誰か?という話に向かっていきます。

 

エリクソンの言った「基本的信頼感」は、人間が社会で生きていく上で欠かせないですよね。

 

人は養育者との間に「基本的信頼感」を抱けると、自分は愛される存在だと感じて安心できるといいます。

そして、愛着が形成され、探索範囲が広がっていく。

 

そして、成長の先で、

社会を安全と思えるか、

社会は自分を脅かす存在か、

といった風に、社会をどう捉えるようになるかに「基本的信頼感」が関係すると思う。

 

まだ、具体的な言葉でまとめられていないのだけれど、結局、親へ抱く感情が、この世界を見つめるフィルターになる、と私は思っている。

 

親に安心感を抱いて育てば、この世界は温かいと信じられるのではないだろうか。

反対に、親に不信感をもてば、この世界は誰も私を救ってはくれないと思うのではないだろうか。

 

社会に対して不信感を持ったとき、人は自分で自分を癒しはじめると思う。

これは本能的無意識的なレベルで、自己防衛本能的なものかもしれない。

 

要は、自分は誰も満たしてくれないから、自分で満たすしかないってことだ。

 

自分を自分で満たさなくていいと思っているとき、人は世界を信頼しているのだと思う。

私は私で生きていて問題ないと思えるってことだ。

 

不登校、引きこもり、ゲーム中毒等々、世の中で起こるなんかしらの社会問題が、

「ある人」から何か「その人を満たすもの」を奪ったことで起こるのではないか、と考えた。

 

たとえば、その子が自分勝手に生きるのは、誰かがその子らしく「じっくり育つこと」を奪ったからと言える。

 

その子は「自分を満たせるのは自分だけだ」と恐怖と不安と焦りで、精一杯の抵抗をすることになる。

 

「信頼関係について」

http://www.happypenguin.net/entry/2015/12/10/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA%E8%A6%96%E7%82%B9%EF%BC%88%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%82%92%E6%A7%8B%E7%AF%89%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%AD