かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【映画】聲の形

「聲の形」を見に行ってきました。

 

1日ってのもあって混んでいました。

君の名は。」→「聲の形」の流れもあるかもしれません。

 

さりげなく、文科省もタイアップしているという……。

http://www.mext.go.jp/koenokatachi/

 

内容はさておき、思ったことを書こうかな、と。

 

見終わって、声に形はある?ない?

なんで「聲の形」って題名だったんだ?なんてことを考えた。

 

そして、「声(言葉)を伝えられるってどうして必要なんだろう」と考えた。

 

自分の気持ちを伝えるため?

なんで、自分の気持ちを伝えられなきゃいけないの?

 

自立?

 

「んー。そーいうのいらない。」

 

まぁ、でも「自立のため」だとして、どうして自立するためには、「言葉を伝えられること」が必要なんだろう……。

 

そりゃ「人とつながるため」じゃない?

 

「んー。それは好き。」

 

そう、その通り。「人とつながる」ために人は自分を伝えられるとよい。

 

これは、同時に、自立って一人じゃできないことだからだって思った。

 

物理的じゃなくても、とにかく心には絶対誰かが必要だし、物理的に必要な人もいる。

 

「つながり」のために「聲の形」は必要になるって話で、「つながりたい」とき人は相手に対して声を形にして表現している(形化)ってことだ。

 

ここからは、自立について一言なんだけど。

 

何なら自分でやらなきゃいけなくて、何なら助けを求めていいか。

実際はなんだって助けを求めてもいいわけだけど。

その辺を温かく教えられるといいなって。

 

なぜ「自分のことは自分でします!」って大きい声で言うのか。

 

自立って恐いもの。生きていくということは厳しいこと。

そう感じさせて育てられた子どもは、今日笑顔で生きてるんだろうかって、思ったところで……パタンっ。

 

 

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