それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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「感じる子」と「感じ取れない大人」

昨日は遠足でした。

 

水族館でイルカショーを見たときの話をします。

 

大人になって久しぶりに見ましたが、じんわり感動しました。

 

はじまりと同時に豪華な音響がなって拍手ではじまります。

 

私が付き添いした子は「どんな反応かな?」と見ていたのですが、その時点では拍手もせず無反応。

 

「友達の中で」という思いから、少しだけ離れた席から見ていました。

 

さて、こういうときに、

・マナーとしての拍手を教えるか

・ありのまま楽しんでもらうか

を迷った。

 

もしリアクションがしばらく無反応なら近くに寄って伝えようとしましたが、アシカが出てくると表情が変わりました。

 

イルカがジャンプしたときは立ち上がって、水中に戻っていくイルカを覗き込んでいました。

 

楽しんでいることが分かったので、拍手の話はいいや、と。

 

ホント「つい」なのですが、マナーだとか、集団に合わせるって視点が働いてしまいます。

そうすると、つい純粋に「楽しむ」という大切さを、見失ってしまうことがあります。

あー恐ろし……。

 

それで、思ったのですが、その子が「感じているもの」を大切にしたいよな、と。

 

そのうち、大人は感じていることを「出せ」って言いたくなるわけだけど、それって「感じたこと」を壊しちゃうよなって。

 

スキルとしてどっかで教えていく必要はあるだろうけど、それは教科か、なんかチャンスを見つけてやっていくわけで。

 

まとめると、

"子どもが感じているものを大人が感じ取れないとき、妙な指導、ズレが生じる"

ってことが言いたかった。

 

「感じている子」「感じる力のある子」を

「表出がない」から、「正しい振る舞いじゃない」からと言って、

「感じない子」「感じられない子」ってことに勝手にするんじゃねーよ、と。

それは、やっぱり"こっち"が「感じ取れていないんだよ」と。

(はい、わかりました。すみません。)

 

「感じているもの」を大切にしないと

私たちの指導っていうのは、独りよがりの自己満足になりかねない。

 

この記事を読んで考えたいところ。

 http://www.news24.jp/sp/articles/2016/10/05/07342910.html

 

書いているうちに、当たり前のことを何複雑に書いてんだ?と気づいて、恥ずかしくなったけど、まぁそういう日もあるか、って公開しちゃう日。

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