それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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続・通常学級における支援級理解について

勉強に対する価値観について書いてみようと思います。

 

学習指導要領改訂目前なので、価値の捉え方が変わってきているのは当然のことと思います。

流行と不易の中で、現在通用するのは、もしかするとそもそも不易の部分だけなのかもしれないなどと思ってしまいます。

 

これまでの勉強の価値観として、よく使われるフレーズに

「社会に出て困る」とか

「大きくなって自分が困る」とか

「自分のために勉強するんでしょ」などが浮かびます。

しかし、多様化が進んだ今これでは根拠としては弱いと感じます。

 

これらの言葉に対しては、2年生ぐらいで、言い返してくるように思います。

(それくらい、個人主義や自由というのは、普遍的な価値観になっているのでしょう。)

そして、その2年生に対して、ますます社会進出と今の学業不振による影響に恐怖心を抱かせ、脅迫したところで勉強をやろうとか、大切なものだとか思えるかと言うと、そうではないと思っています。

 

では、どこに勉強をする根拠を持つか、それこそ本当はできれば各家庭で、それぞれ学校の価値を見出してもらって、子どもを励ましてもらったり、学校の活動への意欲が高まるように仕向けなければならないのだと感じますが、それもなかなか難しいことでしょう。(当然教師も頑張るとしてですよ。)


それに、そもそも、社会において学校の価値というのが薄いからこそ、そうした状態が起こるわけです。(だから次期改訂は劇的に変わると言われているのでしょうけど。)

 

そこで、個人的に向かっていかなければならないと感じる方向を勝手に書いてみます。
学習する根拠として、持ち出したいのは、

①「学習自体に取り組む楽しさ」
②「誰かの役に立つから勉強がある」
③「成長の喜び(未来に希望をもって学んでいく)」

といったところです。

 

①は、学習とは辞書で調べると「新しい知識の獲得」や「感情の深化」などがあります。要は、「知る」ことでこれまでの自分と変わっていく楽しさを感じさせる必要あるのだと思います。
第三者にとって「できたかどうか」ではなく、自身の中で学びによる変化を体験し、学習に対する楽しさを感じられると学習が嫌なのものではなくなると思うのです。(多少③ともつながります。)

 

②は、微積分を使って「人工心臓」をつくった人の話を聞いたときから感じはじめたことですが、「なんでこんな勉強するんだ」「将来使わない」「意味ない」と言う子がいます。けれど、それをどう使うかは学んだ先にあるということを知って、誰かの役に立つという視点で学んでいくことも原動力となると思うのです。
誰も「人工心臓」をつくるために微積分を学びはじめはしないと思うのです。知識を獲得した先に救える誰かがいるから、学習というのは、ずっと廃れないのだと大人がなんとなくでも知っている必要があると思うのです。

 

③は、自己の成長によって「なりたい自分に向かっていけること」、より「地球を楽しめるようになる」ということを知ってほしいなということです。自分の獲得した知識によって、ただ「学ぶことが楽しかった」ではなく世界にコミットできるということです。
今の自分がつながれる新たな自分や、未来、誰かがいるという「希望」を感じさせて学べたら、学習は楽しいものになるかな、と思うのです。

 

私は、使い古されたフレーズで、子どもたちは憔悴していると感じます。

 

学習ってやらされて、社会で生きていくために身に付けなければならない厳しいものだ、という捉えを越えて、子どもに学ぶ根拠を示せたとき、子どもはもうちょっと明るく学習に臨めるのかな、と思います。


今の時代に合った言葉を見つけて子どもたちを育てられたらというところです。

 

そして、その先にやはり「インクルーシブ教育」はあります。

「インクルーシブ教育」は世界や国、社会に求められて生まれてきている概念ですよね。


それが、教室内だとうまくいかないとしたら、その環境を構築している誰かの何かが、現代社会と齟齬を起こしているからだと考えることができます。


学ぶ根拠、教室にいる根拠を社会に合った形で示せたときに、どの子もその場所にいられるのではないでしょうか。

 

もちろん人それぞれでいいのです。

不易のルールを大切にしつつ、そこにいる子どもと大人で協力して環境を構築していけたらいいだけなのかもしれません。

 

すみません、ないものねだりの話ですが、書かせていただきました。 

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