かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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「地裁が泣いた悲しい事件」

介護の苦労や生活保護の受給がうまくいかない家庭などで事件が起こると、この事件を思い出す人も少なくないはず。

zasshi.news.yahoo.co.jp

犯人のその後が明らかになっていました。

 

この事件は、日常忙しくして、脇目も触れず生きている自分を問い直したくなる事件です。

自分は、誰かを何かを見落としていないか。

誰かを追いやっていないか。

今、悲しんでいる人を救わない選択をしていないか、など。

 

また、"人間"を思い知らされるような事件だなと感じます。

生きるってなんだろう。親子ってなんだろう。社会ってなんだろう。

といったことが、ぼんやりと見えそうになる話です。

 

この記事を見ただけでも涙がにじみますね。

ここにある「生きたかった」を救える世の中にしていきたいですね。

 

よく「死にたくないから生きている」「死ぬために生きている」と表現されることがありますが、人は「生きたいから生きている」し、「死なせたくないから生きている」とも言える、と私は思います。

 

私たちは、

自分に視点を向けた「死ぬために生きる」ではなく、

他者に視点を向けた「残す(=後世に伝える)」ために生きているという方が筋だろう思います。

 

「生きたい人」を増やすために、残すべきものをつないでいきたいですね。

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