かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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「みんなの学童」と「自分の命は自分で守る」

5年前の4月1日に、学童で話したことを思い出したので、書いておこうと思う。

「この学童では、2つだけ話ます。」

確かそんな感じで語りはじめた。

 

「みんなの学童」

「一つめ、ここは誰の学童だと思う?」

子どもたちは、問いを出している私の学童だと言った。

「違う!違う!」

「私のものだったら、すごいよ、っていうか、じゃあなんでも私の思い通りに動いてね、それでいい?」

「えっ?」と3月31日まで、24時間前まで保育園にいた子どもたちが止まる。

 

「誰の学童か……逆に誰かの学童であってほしい?じゃあ、ここ君の学童ねってなったら他の人嬉しい?」

「ずるいよね」

「みんなの?」

「よくできましたー」(これまで大人たちによく育てられた子どもなのだろう。みんなと耳障りの良い言葉をよくぞ出してくれました!)

「とりあえず、今はそれでいいです。ここは、『みんなの学童』です。そして、みんなってのはみんなだから、大人も子どもも、自分も入ってみんなね。みんなを大切にしてください。」

(一人でも嫌だと思う居場所であってはおかしい、そしたら全員でその子が嫌じゃなくなる方法を考えようという姿勢の学童です。)

(「みんなの学校」にとても感銘を受けたけど、その前に「みんなの学童」を自分なりにやっていたことに今日気づきました。)

 

「自分の命は自分で守る」

「二つめは、『自分の命は自分で守る』です」

「みんなはなぜ学童に来ているのですか?」

 

「お母さんが仕事してるからー」

「育つためー」

「自分だけじゃ面倒みれないからー」

 

「まぁ、大体合ってると思うよ。親が君たちを大切に思ってなかったら、ここに預けると思う?」

(首を横にふる)

「お迎えに来て、君たちケガしてたらお母さん嬉しい?」

(首を横にふる)

「ケガでも驚くよね。じゃあ命がなくなってたらお母さんどう思う?」

 

「悲しいー」

「泣くー」

 

「だから、君たちはなんとしても命を守らなければなりません。先生は一気に30人の命を守れないときもあります。自分の命は自分で守るってことを覚えておいてください。」

 

「なので、命に関することについては怒る可能性があります。それは仕方ないなって思っておいてください。」

 

「あとは、とりあえず自由です。好きにやってみて過ごしてください。気になったら言うから、とにかく2つは守ってね。1つめなんだたった……」

 

こんな感じのやり取りをした。

「あとは自由だから」って言って解散したあとのおたけびはすごかった記憶がある。

「うぉーい!!」みたいに部屋の中ではしゃごうとしたのだけど、「本当にそれ大丈夫?」みたいなことを言って周りを見渡させて、外で遊べるようにしたか、別のことをさせたか、忘れたけどそんな感じだった気がする。

 

その場の目的を4月1日に考えさせらたのは、でかいなと思いました。

 

学校ならば「なぜ勉強するのか?」は、子どもたちに考えさせてよい問いなのかもいしれないと思いました。

「なぜ勉強するのか」の目的意識なしで毎日の大半である授業に臨ませているのは、そもそもご法度と言ってもいいのかもしれない。

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