かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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「テレビ」による「家族のコミュニケーション」への影響

1月2日は、なぜかダラダラしても罪悪感が少ないと感じている「ハピペン」です。なんとなく3日ぐらいから、何もしなかった時間を後悔しませんか。この自分への甘さを今年こそなんとかしなければ、というところ。

 

何年ぶりかに、正月三が日中に実家に帰ってご飯を食べるということがありました。
というのも、昨年度末に仕掛けたことによって、誰かしらの心が動いて、家族が集いたくなったというのが理由なようです。(どんな仕掛けかっていうのはまた別の話で)

 

そして、食卓を囲むわけですが、最初の30分は、改まった久しぶりとか照れくさいような珍しいよねみたいな感じで話が進むのです。

そうして、一通り話が終わった後、テレビの音量を無言で上げる親。

 

この妙な圧力に異様な懐かしさを感じる自分に気づいた。

そうこのとき気づいた!この家は、会話をさせてもらえない家だったのだ。

 

親は話したいだけ話したら、もう気が済んで終わりだったのだ。

要は、「自分にとって(ここ重要)建設的な会話」以外、興味がないのだ。それはそれで、嘘偽りがなくて良いだろうか?うーん、どうだろう。まあそれぞれの価値観って言われたら終わりだけど。

 

だから、自分の知りたいことを知ったら終わり、他の人がどんな話をするかとか、何か話をしたいかなっとかってのがない。

 

家族の話よりも、作り込まれたVTRの方が重要なのだ。

そりゃ、製作費とか、演出とか、出ている人の魅力とか考えたら、そりゃ一般人の話なんてつまらないかもしれないけども……。

 

ただ、私は、テレビよりも目の前の人間を大切にできる価値観の方がいいかな、って思う。

だから、CMの間しか会話をしてはいけないという、本編がはじまると誰もしゃべれなくなるという、謎の共同作業、協調、緊張感のある食卓になるのです。

それを普通と思って、10年以上当たり前に続けていた自分が怖い。

 

テレビの視覚刺激の強さも人間の視覚優位さが手伝って、目の前の人間同士のコミュニケーションを奪うことに一役かっていると思う。

 

ほんと、家族ってなんだ、家庭ってなんだってね。

私は、誰かと誰かのつながりに価値をつけない人でありたい。

「誰だって大切」ってやつで、って思う。

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