それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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自分をいざという時に突き動かす〈課題の分離〉と〈貢献感〉(時々〈共同体感覚〉)

ウエストがきつくなったのを腹巻のせいにして現実逃避をしている「ハピペン」です。ずっとサイズが変わらないというのは思い込みで、本当に日々じわじわ来ている気がする……。

 

引き続きなのですが〈課題の分離〉と〈貢献感〉についてです。
本当はこっちの話が書きたかったのに、前回は説明で燃えすぎました。

 

 〈アドラー心理学〉な日常

人間は基本的に〈課題の分離〉でお互いの役割や課題を分離して平気だと思います。

しかし、その共同体の中で、自分が貢献できることがあるにもかかわらず、見て見ぬふりをして、気づいているのに〈課題の分離〉ってことにして「行動をしない」ことを選ぶことは〈貢献感〉に反すると思います。

 

 〈アドラー心理学〉が日常に入ってくると、〈アドラー心理学〉を自分でいいように解釈して、をしはじめるところがあります。

あの頃、純粋な心で「それじゃ誰ともかかわれないじゃん!」とか文句を言っていたくせに、見たくないものが出てくると「はいー課題の分離ーイエー」みたいになっているときがあります。

その自分を奮起するには「〈貢献感〉を忘れてはいけない」ってことを書きたかったのだyo!

 

私が迷うとき

学校では、保護者の方に電話するかどうか、子どもを注意するかどうか、同僚に相談するかどうか、いろいろな場面で迷ったり、躊躇したり、しない理由を見つけて納得してしまうことが多々あります。

それを払拭していく。ちょっと気まずいかもしれないとか、面倒かもしれないとか、相手の時間を奪ってしまうかもしれないとか、思ったとしても、そこに「共同体への貢献があったらgo!」なわけです。

 

 これは、結構、面白い視点だと思っています。

〈課題の分離〉と〈貢献感〉は、自分が行動するか迷ったときの判断基準に使えるのです。

 

〈課題の分離〉と〈貢献感〉は、相手も大切にできるフィルター 

〈課題の分離〉と〈貢献感〉は、相手との距離感のバランスを取るのに役立ちます。

私は、相手を大切にするためには、相手との距離感が重要だと思います。

もっと親身になってほしい人もいれば、ちょっと自分で考えさせてほしいなって人など、人はその時その時にそれぞれ欲している距離感があることでしょう。

その距離感に百発百中で応じる必要はないでしょうが、少しでも応えられたら、それが〈共同体感覚〉につながると思います(お互いを尊重して共存できているってことです)。

そして、その距離感を適切にしようとすることが〈課題の分離〉と〈貢献感〉の視点を生かすことで可能になります。

〈課題の分離〉の考えは、相手のすることなすことに、何にでも口を出し、手を出して相手の課題に土足で踏み込み、荒らすことを減らします。上でも書いたように人と人との関係は基本〈課題の分離〉でいいのだと思います。

極端に言えば、悪口を言ったとして、それを相手がどう受け取るかは相手の課題であって、こちらは言いたいから言ったに過ぎないのです。(しかし、それをどう受け取られて、悪口を言った人がどう思われ、それをどう思うかはこちらの課題です。通常、嫌なことを言って相手を嫌な気持ちにさせたらこちらも嫌な気持ちですよね。)

そうしたときに、相手に起こったことは、相手の課題です。「だから私は関係ない!」という立場にもなれます。

しかーし、ここで迷いポイントに立つわけです。

「いやーでも昨日の言い方良くなかったよなあ……どう思ってるかなあ……。まあ〈課題の分離〉だから、相手が嫌な気持ちになってたら、それは相手の問題だから、ま、いっか!」なんてのは、要は楽をとっているように私は思うのです。

 

そして、奮起したい「“今”できる貢献はあるだろう!」と。

 

その思いもなかったことにして、気にしないで過ごす。それでも時間は過ぎていきます。時間はいつだって平常運転誰も咎めません。

それでも!〈貢献感〉から行動を選ぼうと思えるなら、自分の側にある「なんとなく気まずい」って課題を飛び越えて言ったらいいんです。
「すみません……昨日よくない言い方をしてしまったなあと思って帰ってから反省したのです。嫌な気持ちにさせたら申し訳ありませんでした」と。
もちろん、謝って済まないこともあるかもしれません。けれど、思いつける限りは、貢献しようと動くしかないのです。

そして、必ずそこから出る芽はあります。
(恐らくアドラーはその変数の大切さを言っているに違いない!)

 

〈課題の分離〉と〈貢献感〉によって、非難や批判も減ります。
やたらに介入したり、貢献しようと考えて行動を選んでから実行するからでしょうか。

「共同体」を「自分にあるつながり」と捉えたとします。

まとめると、その「自分にあるつながり」に対して行動をするかしないかが起こったとき、行動する方を選んでも、しない方を選んでも一度「それが貢献か?」という問いをぶつけることで、自分なりに貢献感のある納得のいく行動を選択することができます。

 

「やるか・やらないか」

「やった方がいいか・やらなくてもいいか」

この辺りの判断の基準に〈課題の分離〉と〈貢献感〉の視点が役に立つという話でした。 

そう!それこそ!「取り戻せない人生はないんだぜ」ってことが言いたかった「ハピペン」でした。

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