かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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正しいことを誉めるということ(小学生のとき好きだった習字の先生の話)

寝不足で頭痛がひどかったハピペンです。最近は、子どもの頃の思い出ネタが多いのですが、寝不足で頭が痛くなるのも、小さい頃からです。久しぶりだったけど。

 

今日は、「習字」の習い事の先生の話を書きます。

 

習字の先生が好きだった

私が通っていた習字教室は、学校の近くにある普段はそろばんで使っている、自治会館みたいな建物の場所でした。

 

ウルトラマンのスウェットを着て行って、周りの子に「あっ、ウルトラマンが来た」って言われた記憶があるけど、習字教室ではそういうのは気にならなかった。

 

その習字の先生で強く覚えているのが、私の書いた字をほめたときのことです。

 

私は、鉛筆の持ち方が正しくありませんでした。

習字の先生は、正しく持って書くように教えてくれました。

そのとき、私は、鉛筆を正しく持って字を書くと、うまく力を入れることができませんでした。

心の中では、前の間違った持ち方の方がきれいに書けると思いました。

けれど、先生に見せにいくと先生は「いいのよ、うまいわよ」と言いました。

私は子ども心に「絶対そんなはずはない」と思いました。

けれど、なぜかとても嬉しかったのです。「良い」って言ってくれてこの先生ってすごいなあと思いました。

自分は「汚い字」だと思っていたから、「ダメな字」と言われると思ったのかもしれません。でも、先生は「良い」と言ってくれた。

その寛容さのような温かさを感じたのかもしれません。

「正しい持ち方で書こうとして頑張ったことをほめてくれている」のだと今は思います。

 

この「頑張り」を昇華させてくれるということ。

やった甲斐があるという見取りを大人はしてあげたいよなと思います。

子どもが正しく頑張っていることを当然ってことにしないことで、信じたくなる世界ってあると思うんだよなあ。

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