かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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「阿佐ヶ谷芸術高校映像化へようこそ」(少年ジャンプ2017年9号読み切り)

たまに漫画を見て本気で感動している「ハピペン」です。久しぶりに感動して少年ジャンプを買いました。たまにそういうときがあります。前回は2012年50号の「ナルト」で感動して買いました。

 

今日発売の2017年9号「阿佐ヶ谷芸術高校映像化へようこそ」がよくて、自分でもビックリしたのだけど4年半ぶりぐらいにジャンプを買いました。

 

「阿佐ヶ谷芸術高校映像化へようこそ」

原作:マツキタツヤ

漫画:宇佐崎しろ

Cカラーで、タイトルの表紙絵には、「『映画の撮り方』教えます!」とあります。

 

なんとなく「あらすじ」

高校生の女の子「柊雪」が主人公。

母親と二人で暮らしているが、母親は夜友だちを連れてくる日常なようで、友だちが来ている間は、部屋から出てこないでと言われ、映画を与えられ、主人公は「自分には映画しかなかった」子ども時代を過ごしている。

母親は、雪のくつを玄関から部屋に運ぶほどの徹底ぶり。

 

「芸術高校映像化」ってことで、映画監督になりたい人たちが入る学校な様子。

周りには、マニアックだったり、個性的だったり「こういう映画が撮りたい!」といういわゆる「自分」を持っている人たちが集まっている。

そんな中、柊雪は、どんな映画が撮りたいかは分からない、けれど「世界ってなんだろう、自分ってなんだろう」という気持ちから映画を撮りたいという気持ちになったと語る。

 

担任が言う「映画論」が柊と私の背中を押す

柊いわく「本当に教師!?」な、ガツガツした担任「黒山墨字」。

物語は、終始柊と担任のやりとりが主で、進んでいく。

そして、ごちゃごちゃーっと野蛮な担任といろいろあり、その野蛮な担任の映画を見て柊は感動する。その映画は一般ウケするもんではなく、映画はもっと万人ウケすべきと批判される。

そこで、担任は、映画について語る。

「理解されたい、共感されたい、その想いで自分を誤魔化し始めたら、映画監督(人生)に意味はなくなります」と。

 

その後、飲みに行くシーンで、酔っぱらった担任がまた言う。

担任「世界とは何か、自分とは何か、オレ達は皆それを探し求めている。」

柊「探すってどうやって」

担任「知るか。だがその一端を見つけた時、オレ達はコレを誰かに伝えたいと思うんだ。それが映画だ。」

 

そして、終盤、柊は処女作を学校で発表する。

担任は「監督の切実さしか伝わってこねぇ」と言う。

そして「それ以外は意味不明……それでも誰かに観て欲しい……」

担任は続けて語る「お前らよく覚えとけ……これを映画という……そして、自分の映画を誰かに観せた人間が、自ら映画監督を名乗る覚悟を持ったとき、映画監督は生まれる」と。

 

なんだか、この「映画」の部分を自分が苦手とするというか、やりたいけど見せていないもののような、本当は一歩踏み出せていないけれど踏み出したいものや、踏み出さなきゃいけないと思っているようなものに当てはめると、心が動くのを感じた。

 

誰かにそれを観せて、その技術者を名乗る覚悟を持とうとすることができるか?

 

批判も非難も恐れず

人はどうしても否定されるのが恐い。完璧を求めてまだ「できない」ってことにして公開しないことも少なくないように思う。

「やる理由」よりも「やらない理由」を無理矢理見つけて踏みとどまっているときもわんさかある。

教師は当然子どもに社会に最善の利益を与えたいと考えて全力なわけだけど、それと同時に、「ただかっこよくありたいよな」って視点で踏ん張れるときもあると思う。

ちょっとでもかっこよくありたいから、踏み出してやろうじゃねーか!見てろよ子どもたちっていう意識をもらった「少年ジャンプ」の話でした。(書いていたら、心が幼くて少年のままで成長していないだけなのかも……と不安になってきた「ハピペン」なのでした……。)

さあ、はじめの一歩を残さない、全速力で転べる自分へ。

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