かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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「出遅れること」と「居場所の取り合い」と「嫉妬による憎悪」

洋服を買うか迷ったときに、結局買わなくて後で後悔する「ハピペン」です。

買う後悔か、買わない後悔かって本当に難しいところですよね。その癖なんか、いかめしみたいなリュックは買ってしまった……。

 

前のエントリー 

inclusive.hatenablog.jp

 と関連するものです。

 

「出遅れること」。
人は普遍的に「出遅れ」を感じることがあり、その憂いの穴埋めに右往左往なのではないか、と。

 

この「出遅れること」のはじまりはどこかをまず考える。
そして、その「出遅れ」を防ぐために人は「居場所を確保」しようとし「居場所の取り合い」が起こる。
また、人はどこにでも同時にいられないために、自分がいないときに自分のいない場所が誰かに奪われることから「嫉妬による憎悪」が沸く。

この「嫉妬による憎悪」はストレスになり、問題行動につながる可能性がある。この「嫉妬による憎悪」はそもそも「居場所のなさ」や「出遅れているかもしれない」といった<不安・つまらなさ・怒り>から来ているということを知ることで、生きやすくなるのではないか、という試み。(<メタ認知>、<自己認知>が進むほど人は生きやすくなるっていう仕組みと、まあ同じだろう、と思う。)

 

「出遅れること」はどこから来るか?

私は「出遅れ」は、生まれてから他者を認識できるようになったときにはじまるのではないか、と思う。(下手するとここから劣等感がはじまるわけだ)

 

人がなぜ話せるようになるか、と言えば目の前に「話している人」がいるからで、

人がなぜ歩けるようになるか、と言えば目の前に「歩いている人」がいるからである。

 

どうして、自分の目の前にモデルになるような人がいるとそのようになれるか、と言えば、それは「なりたい」からである。

そこには意識にはないかもしれないが、(★)「まだ、なれていないもの」と、「すでに、なれているもの」の差がある。

 

そんなの生きた年月が違うのだから当然じゃないか、というのは、ある程度年齢が上がった子どもや大人の話で……。

 

そして、(★)のセンテンス「まだ、なれていないもの」と「すでに、なれているもの」の状態は、生きていればいつでもどこでも起こり得る。

私たちに欲求がある限り起こるのかもしれない。

私たちは、誰かと一緒にありたい、誰かと一緒でありたい。そういう気持ちから、「出遅れること」の不快に気づくようになる。 

 

「行為」から「経験」へ

たとえ話せるようになって、歩けるようになって「行為」として同じことができるようになったとしても、「出遅れること」を感じることは起こる。

たとえば、「時間・空間」による違いから、同じ「経験」ができないといった「遅れ」である。

集団の和に後から来たために話に入りづらかったり(時間)、自分だけ年齢が低いために話に入れなかったり(時間)、そもそもの居場所のスペースの問題で入れないこともある(空間)。

 

次第に、時間の違い、空間の違いで、経験が違うことへの「不快」に気づくようになる。

「遅れること」による経験の違いの「不快」は、大小あるがいつでもどこでも起こる。

部屋に入る順番、電車に乗る順番、コンサートの席数、エレベーターに乗れる人数。

これは、要は「順番」(時間)と「在・不在」(空間)ということだ。早いか遅いかという時間によって、いるかいないか空間を手に入れられるか(認知できるか)の違いである。 

 

「遅れること」のはじまりにあったのは、「他者と同じになりたい」という気持ちだった。その同じになりたさが、話す→歩くのように次々にクリアされてくるとハードルも上がっていく。

そして「行為の同じさ」から「時間や空間の共有の同じさ」に変わる。「行為が同じになること」から「得られるかどうか(時間の早い遅いで空間などの「快」が得られるかどうか)」が考えの中心になる。

「時間と空間の同じさ」をなるべく共有するには、「先に行う」ということが必要になる。

食卓の会話に遅れないためには、誰よりも早く起きて、キッチンに座っている必要がある。

クラスの会話に遅れないためには、たとえトイレでも誰かと行く必要がある。

この裏には「不安」があることが想像できる。
「自分の知らないうちに重要な現実があるかもしれない」という「出遅れることへの不安」である。

 

そこで、前回の記事にあったように、

母親は、子どもが出遅れた認識をもつにいたった経過を察していたので、食卓のサービスを少しよくしてやる。子どもはじきにきげんを直して、学校に出かける。

「出遅れること」 - 「それでも幸せな人はいるから」

たとえ、出遅れたとしても「よさ」があることや、出遅れても「安心」があることが分かれば、この「居場所の取り合い」は起こらない。

 

このケアが出来きらない場合、「居場所の取り合い」は延々とつづき、抜け出せず子どもは次のステージに進むことになる。

 

大人になって脳ないし心が成長してくると、その「遅れ」は、それぞれ別のことに時間をかけただけのことなのだ、と分かる。(場合によっては、社会的に求められないことに時間をかけて後悔し「遅れ」を感じることがあったとしても、それもまたどうしたってかけがえのない経験である。)

 

そして、たとえ、そこに自分がいなかったとしても、世界には連続性・同一性があることが分かり、自分を生きられるようになっていくはずである。(他律から自律ということに近い。他者に振り回されなくとも「快」を手に入れることができるようになるということだろう)

 

「居場所の取り合い」で満たされるか?

・居場所を取られて損をした
・居場所を確保しなかったせいで不安な目に合った

など、こういったことが続けば、「居場所を手に入れられないこと」にマイナスの感情(怒り、憎悪、恨み、苦しい、辛い、悲しい、許さない)が沸く。

これの大きな問題は、他者との比較によって「遅れること」への「不快」が生れていることである。まるで翻弄されてしまっていると言ってもよい。

そのマイナスの感情が深くなりすぎれば、もう「居場所は奪うものでしかない」という考えに辿り着くしかない。

母の膝の上が一人専用なように。頑張っても両ひざで二人までなように。本当はできれば一人占めしたいように。その感情が沸けば、先に乗っている方を倒すしかない。

たぶん、ならルールを決めるといい、という話になると思う。

けれど「居場所は奪われる」と思っている場合、そのルールに裏技が生まれる可能性が少なくない。まして、ちょっとした家の中での出来事である。

早く起きて少しでも確保しようとする兄弟がいれば、そんなのずるい!とまた争いが起こってもおかしくない。

そこにやっぱり、この匙加減の巧妙さを感じる。

母親は、子どもが出遅れた認識をもつにいたった経過を察していたので、食卓のサービスを少しよくしてやる。子どもはじきにきげんを直して、学校に出かける。

「出遅れること」 - 「それでも幸せな人はいるから」

 これだけのことと言えば、これだけのことである。そこに、たとえば「お兄ちゃんだから我慢しなさい」は、存在しないのである。

 

「あいだみつを」の

奪い合えば足りない

分け合えば余る

 が浮かぶ。

 

ここで、マイナスの感情、まとめると自分より<よさ>(安心など)を味わっていることへの「<嫉妬による憎悪>が解決したいことはなんだったのか」。はじめに戻って考えたい。

 

 「嫉妬による憎悪」が解決したいことは?

はじまりは「あなたと同じことがしたい」という「行為」であった。

そうして、「あなたと同じ時間・空間にいたい」という「経験」を求めるようになる。

これらの「あなたと同じ」ができないときに生まれるのが「不快感」であり、その正体は「不安」である。

これを拭うために必要なものとして「安心」というキーワードが出てきた。

 

「嫉妬による憎悪」が解決したいことは、「不安」である。

 

「不安」を拭うことができたら、「安心」は生まれる。

 

そのヒントが、ここにある(しつこい、3度目)。

母親は、子どもが出遅れた認識をもつにいたった経過を察していたので、食卓のサービスを少しよくしてやる。子どもはじきにきげんを直して、学校に出かける。

「出遅れること」 - 「それでも幸せな人はいるから」

これを「出遅れること」に対する最大のヒントとするならば、見えてくる一つの答えは、「その気持ち分かるよ」って働きかけである。

 

この「分かるよ」を演出できているといい。

それは、「合図」「言葉かけ」「サービス」「共感」「励まし」なんでもいいのである。そこに存在する自分の在り方気持ちに「気づいてくれる人がいれば」、そこの居場所はその人にとって「在り」ってことになる。

これは、その「不快」を感じた居場所が「快」に転換するってことである。

<よさ>を感じられるってことだ。

 

それは、誰かが「出遅れた」と感じていることへのケアやフォローってことだと思う。

そして、「それでもいいんだよ」って「相手のありのまま」を「受け入れられる姿勢をもつこと」。

 

そうして、もし「居場所のベース(家庭でも習い事でも)」(いわゆる安全基地、安心できる居場所)をもつことができれば、その「ベース以外での居場所(学校や友達関係)の確保合戦」に翻弄されずに、落ち着いて(お互いを尊重し合って)過ごせる可能性が高い。

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