かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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「ウサギにブラシ」「子どもにスマホ」は、「猫に小判」か。

たまに夜のマックに行く「ハピペン」です。22:00前後だと若い人たちで賑わっています。談笑している人、勉強している人、辛辣な人、さまざま。前に10代後半の人たちが、発達障害について話しているのを聞いたことがあります。

 

さて、子どもの中には、学校で飼育をしている動物に愛着を持っている子どももいますよね。たとえば、ウサギやモルモット、ニワトリなんかがいます。

その中でもウサギが好きな子が多いです。
触れる子もいれば、触れない子もいて、ウサギとの距離感は子どもそれぞれ。
学校ではじめてウサギに会う子もいるみたいです。

先週、そんなあまりウサギ慣れしていない子のウサギのかかわりを見ていて思ったことを話します。

【進む「ウサギ理解」】

面白いのは、ある子(Aさん)は一年を通して、ウサギとかかわっていました。
結局、最後の最後まで抱くことはできなかったのですが、最終的に「ちょん」と触れるまでにはなりました。

それでも、面白いのは、ウサギが好きでよく会いに行っている中でAさんの「ウサギ理解」が進むことです。

毎回、私が付いていっているわけではなく、いろいろな先生が付いていくのですが、久しぶりに私がついていってAさんのウサギとのかかわりを見て驚いたのが、「ウサギさんブラシ食べたいの?」と言ってブラシを与えていたことです。

「えっ!?ブラシ?」と思ったのですが、Aさんは水入れを洗うブラシをウサギの前に置きました。


すると、ウサギは確かにブラシの毛の部分を噛み、噛んでは持ち上げるということを繰り返していました。

子どもは「ウサギさん、そうやって遊びたかったんだねー」と言いました。

私は、子どもの「ウサギのための思いやりというか、一生懸命さというか、無垢さのようなもの」に少し関心しました。

でも、その瞬間浮かんだのは「いや、喜んでりゃいいのか?」っていうことです。
やっぱり「ウサギがブラシを噛んで楽しんでるんだか、食べたいんだか」のかかわり方はおかしいと思ったのです(まあ当然に……)。

そして、でも、この動物だからかなんだかはよくわかりませんが、「楽しませておいておけばいい」という感覚が「子どもにスマホ」に似ていると思ったのです。

「ウサギにブラシ」→「猫に小判?」→「子どもにスマホ」ってな流れ。

【なぜ「子どもにスマホ」を与えるのだろう?】

果たして「子どもにスマホ」は「猫に小判」になり得るのか。

ちょっと調べてみました。
「幼児 スマホ」で検索

maternity-march.jp

mamanoko.jp

baby.mikihouse.co.jp

上記3つのサイトです。よくなさそうな記事が多いです。

 

実際は「子どもにスマホ」は「猫に小判」なのではないだろうか。

Aさんが、「ウサギにブラシ」を与えたように、ただ楽しんでいるから、時間をつぶさせたいから、楽しませてあげたいから、という理由だけで、反応が得られるものを与えるのはいかがなものか。

「ウサギにブラシ」は、物の目的外使用が気になるのだと思う。

「子どもにスマホ」の違和感も似た者だろうか。

電話が連絡事項の伝達の道具から、日常会話のコミュニケーションツールになり、写真を撮る道具になって行ったように。

今やスマホは「子守りの道具」として「目的外使用」ではなくなったのだろうか?

「子どもにスマホ」を与えることについて、その心境が「ウサギにブラシ」を与えるような心境とは違うものなのか、自分に問いかけてから、スマホに子守りを委ねられるといいと思う。

 

「ママのスマホになりたい」って本もある。

ママのスマホになりたい

ママのスマホになりたい

 

 スマホは人とかかわるためのものであってほしいなあ。

そして、「スマホの向こう人」よりは「目の前の人」を大切にする感覚は尊重されていってほしい。

 

当たり前に「スマホの向こうの人 < 目の前の人」で。

 

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