かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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教師は「正常性バイアス」だけには気をつけないと

ニュースでGW後半って出てて「えっ……」ってなってる「ハピペン」です。

 

だな感じにニュースを見ていたらこの記事が気になった。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170502-00000087-asahi-soci

 

平和ボケってわけではないけれど、病院に自動車がつっこんだりもするしね……。

 

ただ、教師は、教師だけは「正常性バイアス」に気をつけて子どもを守ってあげたいよな、と考えました。

正常性バイアス」は、

正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、英: Normalcy bias)とは、認知バイアスの一種。社会心理学災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。

 

今回言いたいのは、災害ってわけじゃないんだけど、日常的な「自分は安全」とか「自分は平和」って感覚についてです。ヒヤリハットに近いところもある。

 

実際は、人が安全に暮らせる背景に発達がある。

いくらどうでもいいなんて言ったって

道につまずいては

両手ついてる守ってる

そんなものだから

 

(な、懐かしい!)

ってな具合に、地面に手をつけるのも、自分を守る機能が発達しているからですよね。

 

しかし、そうやって反射で守れるものもあれば、バイアスがあって意識しないと守れない自分もあるわけです。

 

今回の脱水機の話を受けてまず思ったのは「想像力」です。

 

バイアスがかかってしまったことを意識して防御するには、「想像力」で応じるしかありません。(本能的な回避もあるかもしれませんが)

「体験」をして、その「体験知」を基に想像して防ぐしかないかな、と。

そのためには、「安全指導」も必要だなあ、と思って。ケーススタディっていうか、大それた研究ってわけじゃないけど、視覚的に例を示して「こういう場面でこんなことをしたらどうなりそうか」を挙げて日常にある危険へのアンテナを高くさせるのって大事だよなって思いました。

危険を認識させることは日常に不安を抱かせるというよりは、自分を守れる安心感につながると思う。

あと今回のは、脱水機を見て直感的に「さっ!と取れそう。いけそう。」って思ってしまったのかもしれない。

もしくは、それが脱水が終われば自然に止まるのではなく、そういうつくりのもので、自分が脱水できたと思ったら取るもの。そう思ってしまったのかもしれない。(開いちゃいけないフタが開いてしまったのだからね)

そして、その目の前に起こったことに対して、バイアスに流されずに立ち止まって構えられるかは、やっぱり自分を守ろうとして「想像力」を働かせることなのだろうと考えました。

毎日ある掃除なんかでもケガは起こる。

「いつも通り」って日常的なバイアスがなくはない。

ぞうきんがけで前の子が止まって、それにぶつかって転倒して泣くなんてことがある。しかも高学年。

「いや止まれよ」「そういうスピードでやれよ」とちらちら思うが、細かく「車間距離」「スピード」「前方を見ながら」と将来教習所に行った際に役立つ生きる力みたいのを意識して育てようとはしていなかったので、注意しきれていなかった。

反対に高学年だからこその例なのかもしれない。体が出せる力を把握しきれていないってことか。

今日、ぞうきんがけで、友だちとぶつかって泣いている子どもを見て、思考がつながったので書いたエントリー。

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