かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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みんながやっているから……というラブ

こどもの日の思い出といったら……エクスカイザーな「ハピペン」です。おじいちゃんに買ってもらって嬉しかったなあ……。

 

今日は、目の前にあるシナモンロールから「あれ?シナモンの声ってどんなだったっけ?」という流れになり、動画を探した。

 

とりあえずかわいい。その中で、「みんなも寝てるから寝よう」というセリフがあった。

3:40~4:00くらいのところ。

www.youtube.com

「そっかあ、私たちはみんなも寝ているから寝ているのかあ……」と思いながら、じゃあいつから、みんなが寝ていても寝なくなってしまうのだろう……と思った。

 

というわけで、結論から言うと、「みんな」を脅迫的なものではなくて、リスペクトやラブだったらいいなあってこと。

ここからは、シナモンを見て思ったことをつらつらと書いてしまった。

小さい頃から同調圧力に流されて「本当は起きていたい」という自分が抑圧されているから、人は苦しむのだろうか、などと考えてしまった。

けれど、「みんな」という理由で自分が動くとき、そこには不本意もあるかもしれないが、実際は「本当は起きていたいにもかかわらず、みんなが寝ているから寝ようという自分を尊重した」というのも事実である。

実は人は、いつも自分を尊重している(部分もある)。どんなときも、不服や不本意の方が大きいことはあるのかもしれないけれど、それなりに納得して、自分で選んでいるわけだ。

しかし、それが、あまりに自分からかけ離れた理性的な選択である場合、人は苦しいことになる。

そこには、「みんながやっているからやってみたい」という他者リスペクトのラブか、「みんながやっているからやらなきゃいけないけれどやりたくない」という自分リスペクトがあるのかもしれない。

まあ、「みんなとは違う自分」が出てくるのが、ある程度年齢を重ねてからっていう話に過ぎないのかもしれない。そうすると、みんなへの反逆。アンチみんながはじまる?だからシナモンの年代(?)は「みんな」で成り立つのかもしれない。

また成長すると、みんながやっていてもやってはいけないこともあるわけで、自律が必要になる。

「みんな」と「自分」のバランスを、メタ的に見ることは、価値観が多様化し続ける世界を生きるには必要だろうなあ、とつくづく思う。

シナモンからの学び。

今日は、外でのネットがつながらなすぎて、モバイルwi-fiに手を出した日。

 

 

 

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