かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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自分とは、自分と他者の複合体(って改めて思う)

背伸びに疲れたらかかとを降ろせばいいんだよ。「ハピペン」です。でも、今は、「元気に背伸びの運動ー!」って感じで。

 

思えば、誰かと話すおかげで、自分を構造的に見てもらえることを、体験しています。自分が体験したかったこと。これを手に入れられていることに、なんとなく後々気づいて、日々に感謝です。

 

二つの視点で本を読むっていう話を聞いただけでも、自分の生活は枠組みができて落ち着く。

  • 自分の考えと似ている本。
  • 自分の考えに近いけれども手を出していなかった本

こういう視点で、どこかしらで、見ているのだけれども、自分の判断って信用ならないもので、「でも、今は自分が読みたい本を読みたいから……」という感じでその場でお断りしてしまうと、もう、まず、その考えに出会うことはないね。(そう思って気づいたけど、判断って、何かを断ってんだね。)

そして、別のタイミングで、誰かにそれをすすめられると、「あっ、今の自分はそうした方がいいんだ……」と思って素直にやりはじめもする。

自分が面白い。そのときに自分を楽しいって思える感覚があった。他者の介入は本当に面白い。そして、その介入力に驚愕。

ハロー効果なのか、分からないけれども。
入力の違いやその時の感覚の違いでそうなる。
(こういう、人間の幅広い面白さを忘れないで、指導をしたいなっていつも思うなあ。今できなくても、次できるときがあって、そのとき表面上だけ強いてやらせるのとかって嫌だなあ、と。)

 

そして、通勤の行きと帰りで本を変えることにした。
(改めて、私は、一日に広範な情報を得られると楽しいって思うタイプの人だなあ、と思った。ただ情報社会の波にのまれているだけなような気もするけれども。情報が安心材料になっている時代なだけで、不安を恐れて情報飢餓しているだけ、みたいなね。)

行きは、これ

アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言

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帰りは、これ

教育の原理とは何か〔改訂版〕: 日本の教育理念を問う

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そして、少しずつ学びを記録していくことにしよう。

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