かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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教育とは他律的な働きかけからはじまる

というわけで、二つの本を行きと帰りに分けて読んでいる「ハピペン」です。昨日、読んだ分から、考えたことを書きます。

「話が聞ける子」とは「黙っている子」ではなく、「対話ができる子」をいう

  • 子どもを聞く気にさせるのはIメッセージ

命令は、それに対して「はい・いいえ」でしか答えられず、対話にならない、といったことが書かれていた。それを、Iメッセージにすることで「私はこういう価値観」と置くようなイメージで、「でも、僕は違う」といったように「対話」をはじめることができる。

対等さ、それは、立場や役割の対等さではなくて、人間としての価値の優劣のない対等さ。

ちびまる子ちゃんの家やサザエさんの家を思い浮かべてもらえたらいい。子どもが親に気兼ねなく物申せる家庭。だけれども、立場や役割は対等ではない。それは、当たり前で、そうじゃないなら、教師はいらない。

自由に意見が言えることは、大切にしたい。それでも、教師が軸を持って、子どもたちがぶれてしまって生きにくくならないようにしてあげる。それが、教師の役割だろうと思う。

いけないのは、期待通りにしようとすることで、期待することではない。
P27

聞き方の指導って、一筋縄ではいかないよなあ、と当たり前のことを思っているのだけれども、この高校の子たちは、聞いていないような態度で聞いている。

教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと (1977年)

教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと (1977年)

 

この高校の話からは、誰だって学びたいんだって気持ちが分かる。それでも、周囲との体裁もあって、授業態度が悪くなってしまう子もいるわけだ。それくらい不安で、刹那的な承認欲求に吞み込まれて。それにもかかわらず、教師は態度についてだけを注意しつづける。その教師と生徒との齟齬が、生徒に大人を失望させてどんどん遠くへ追いやってしまうイメージ。

「お前は社会代表のオレの言葉が聞けないのだからダメだ!」

その、遠退いていないかの距離感覚へのアンテナって結構重要だと思う。そして、遠退いていても、それを生徒側の資質の所為にしちゃうと、もう本当ダメ。そういうのは見ていられない。それ教えるのが仕事だろって思っちゃう。

寝転がってでも話を聴いてればよし、で最終的に困るのは自分なのだから、そこは自律性に任せるって昔の寺子屋かなんかの話を読んだこともあった。(まあ、義務教育がそれじゃ無責任すぎるが。)

押しつぶさず、擦りつぶさず、子どもたちに聞くことによる学び、自分に他者が入ることで沸いてくる楽しさを感じさせられたらいいなあ。そして、追いやらないために、私は授業のUDにも関心をもったのだなあ。

「自分と結びつけて聞く」ってよく言うんだけど、それを、見える化して、フィードバックしてちゃんと感じさせてあげたいなあ。

教師が陥りやすい教育的陥穽

(陥穽って言葉使いやすそうだけれども、あまり見ませんよね。"比ゆ的に人をおとしいれるはかりごと"だそう。)

  • 生徒や保護者の多様な考えを尊重すべき
  • 価値の押しつけはよくない
  • 争いのない社会を築きましょう
  • 男女は平等
  • 教師と生徒は平等
  • やれば必ずできる、決してあきらめるな

心当たりのあるようなことがたくさん書かれていた。

たとえば、教育は、価値の押しつけ、他律的な働きかけから始まる。

大切なのはその都度の優先順位が、教師のその時その時の気分や感覚で変わらないことだろうと思った。一貫性。そして、独善的価値観にならないように、学習指導要領や学校教育目標がある。自己保身のために、自分のもっている価値を善しとするのではなく、子どもの未来のために必要な価値に気づかせていく。

 

この2冊読みは、めちゃ楽しい!

アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言

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教育の原理とは何か〔改訂版〕: 日本の教育理念を問う

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