それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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やっぱり「灰谷健次郎」が好き

体力テストって正直だなあと思った「ハピペン」です。ソフトボール投げの足と手が同時に出てしまう感じとか、経験の差だよなあ、と。
ゴールデンエイジ前後で、ちゃんと運動させてあげないと自分の体を自由に使えないだろう。生きづらさってそういうところからも生まれているんじゃないか、と思った。

 

さて……私はね……やっぱり灰谷健次郎が好きだね!

息抜きにこの本『学校とは (灰谷健次郎の発言 4)』を読んでみた。

「はじめに」だけでも、好きだなあって思った。

親や教師は四六時中、子どもと接しているわけだから、客観視するとしても、おのずと限界というものがある。
今だから言えるような気もするのだが、学ぶことを停止した親、教師であってはならない。
対象に対して客観性を持ち得る知性の持続は、たえず学び続けることによってのみつくり出されるものだから。
P6 

 子どもを育てるのに、プロとして客観性が求められる。忘れてはいけないことだなあ、と。

私が教師時代、いくらかの仕事を成し得たのは、子どもみくびりだけはしなかったことが大きいのだが、それは、この少年の文章を早くから知っていたからに他ならない。
子どもの特性を、過大に評価したり、子どもを純真だとか無垢なる存在とすることには異を唱えるが、子どもは少なくとも生きることに懸命であって、投げやりに人生を生きたりはしない。
P8 

 少年の文章は「ぼくはわるいことをした」からはじまる綴り方です。

「子どもみくびりだけはしない」。しているか?と問われれば当然していないと誰もが言うだろうと思う。けれど、それはメタしていないと本当の意味でしていないかは、分からない。

そう言葉化できるところから、実際にしていないというところにつながると思う。

登校拒否とか、学校生活の挫折とか、人間関係の不調とか、ふつうにいえば負の世界に堕ちているのだが、それは彼や彼女らの感受性や優しさを受け入れようとしない環境のせいであって、子どもたちは自らの人間性を守るいくさをたたかっているに過ぎないのである。

「環境のせいであって」というところが刺さる。

わたしたちが考えなくてはならないことは、子どもたちをそういうところに追いやっている悪気流を、どう取り払うかであって、子どもを責めたり、一方的な価値観に従わせることであろうはずはないのである。

こちらもその通り。子どもが自分を見つめて、自分を解決していけるように学ぶ力をつけさせることが仕事だろうなと思う。決して「やらせる」ことではなく、子どもを伸ばしていくことが大切だろうなって。

万一、子どもに歪みを見たり、子どもが拒絶の姿をとろうとした場合、その原因がどこにあるのか考え、探るのは大人である私たちの責任なのだということを肝に銘じておく必要がある。

子どもの側に原因を問わないところがよい。そこは、伴走する大人の責任。今、目の前で関われている大人が唯一その子を救い得るわけだ。

子どもに罪はない、という言葉は、こんにちのような社会だからこそ有効だと考えるべきではないか。そうでなければ、大人の怠慢ばかりが増幅され、無責任の咎めを、お門違いにも子どもが受けるはめになる。
この巻の文章を読んでもらうと、よくわかることだが、なんらかの挫折があっても、子どもが本来備わった力を取り戻し、たくましく生きていく過程には、必ずといっていいほど、その子に添うているもう一つの大人の存在がある。
P9

 大人なしでは子どもは、心地よく育つことができない。そんなメッセージを感じる。怠慢でない大人。ただ仕事を頑張っていて疲れていて忙しい大人ではなく。子どものためになっている大人でありたい。

教育のもつ力は大きい。
一人の人間を大きく変わらせもするが、諸刃の剣という言葉がしめすように、教育によって傷つけられていく子どもも一方にいる。
教師は、どうか、そのことを考えてほしい。
P10 

 傷つけられる子どもを出したくない。特に一般的な価値の押し付けによって傷つけることだけは避けたい。

子を育てながら親も育っていく、ということだってある。
教師は、偏狭な先入観を持たず、目を見開いて、子どもを見つめさえすれば、そこに、人間に対するさまざまな発見があることを知るだろうし、それに創造という実践を加えれば、自己もまた大きく変革し、成長することもできるのだ。
P10 

 「子どもを見つめる」という鍵。果たしてどうやると見つめたことになるのだろう。

たとえば、山ほど解釈を考えるなんてのはどうだろう。多角的に見て、子どもの所為にしないで、大人の所為にできたとき、目の前の「子どもを見つめられてる可能性」は高いのではないだろうか。

 

私は、この考えに神奈川県の資料がつながると思う。

すごい。言いたいことがすべて含まっているように思う。

「自己肯定感を高めるための支援プログラム:理論編」
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/882261.pdf

「自己肯定感を高めるための支援プログラム:実践編」
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/882259.pdf

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