かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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悪いところ探しの弊害

最近糖分の入っていない炭酸にはまっている「ハピペン」です。乳酸菌の入った甘くない炭酸が好きです。

 

先日、交流級の先生に「良い姿を伝えて待つこと」に対してフィードバックしました。その後、ところどころに「ほめ」を入れてくれています。

 

しかし、そこのクラスの子どもたちは、挨拶などで待つ際に「悪いところさがし」を続けています。2、3か月経って、そういう目が養われているのだなあと思います。

 

クラスの子がクラスの友達を見るときの習慣が「悪いところさがし」なのって、クラスにとってプラスでしょうか?マイナスでしょうか?

みんなで直し合えるようなパートナーシップが生まれることもあるのかもしれませんが……誰かのやっつけ合いのような気もします。

 

そんな中で、これは弊害だろうなという場面に出くわしました。

 

朝、10分程度学習の時間に、生活科の観察カードの表紙を描きました。そして色鉛筆をしまって朝の会になるというときに、クラスで3人の子がしまえていませんでした。

私は、一人に「今はもう色鉛筆しまうんだよ、周り見てごらん」と伝えると、「Hさんがまだしまってない」と言ってしまいませんでした。

だから何?って感じなのですが、悪いモデルに注目することが長けているからそうなるのではないか、と思ってしまいました。

上手にできている人に注目する習慣がないから、そっちを主流と思えない。真似するとしても、目につくのは悪い方なのです。

たとえば、人は本当は正しい方が分かっていたとしても、目にしているものを目指してしまうのではないでしょうか。

一本道のハイウェイで、道と標識以外何一つない道なのに、その標識に突っ込んでしまう事故がなくならないと聞いたことがあります。運転手に聞くと、その標識しかないから突っ込んでしまうのだと答えたそうです。

いつも悪い姿を見つけようとしている人が、良い姿の方に進めるのでしょうか。

いつも良い姿を見つけようとしている人が、良い姿の方に進めるのでしょうか。

共有された強い目的がなければ、悪いところさがしで、「みんな」を良くしていくのは難しいと思います。

悪いところを見つけて指摘する強い立場の人はよい立場になれるとしても。

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