それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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「価値観の違いを乗り越えるには?」

曇り空が心配でたまらない「ハピペン」です。

洗濯物運がない。それか見通しをもつ力がない。

 

昨日は、teachers'labの「まなびcafe」に行ってきました。

テーマは「価値観の違いを乗り越えるには?」です。

以下facebookページより引用

【限られた人しか助けられない中で、一体誰を優先して助けるべきか?】
極限状況を想定した、『クルーザー』というワークを行います。
ワークを通して、あなたのホンネの価値観が問われます。

「自分はどんな価値観を持っているんだろう?」
「価値観の違いで揉めてしまいそうなとき、自分はどうするだろう?」

 
その時一緒にいる人と考えていること、感じていることが違った時にどうしますか?
自分の考えはそのままにしておいて周りに合わせますか?
それとも何とか自分の考えを理解してもらえるように相手を説得しますか?

自分はどんな価値観を持っているか

「クルーザー」というワークを振り返って。自分にある価値観には

  • 自分勝手な解釈や自分本位なせいで誰かが傷ついているのが嫌なこと。
  • 自己犠牲に好感を持つっていうことに嫌な感じがすること。
  • その人自身に決定を委ねていることを大切にしていること
  • 聞き方やタイミング、考え方が浅いかもしれないことが嫌な事。
  • 事実を気にすること。
  • 選択肢のない究極の2択で追い詰めるのが嫌なこと

のようなものがあると見受けられる。

特に、「自分本位」と「自己犠牲」については、周囲と捉え方が違って、葛藤した。

 

価値観を乗り越える「対話・議論」をするための条件

例外なく、今回も自分の価値観や考えを表現させてもらった。自分の考えを言えたかどうか10段階で評価するなら9。言わなくてもよくなってしまったものが1あるかなくらいなもの。

個人的には、自分ばかり話してしまったか不安になったが、そんなことはなくグループの人たちも9や8だった。

参加者全員自分の意見が言えたと言っていて、その背景には「安心があるから」ではないか、と言っていた。

なぜ安心できるか?

出た意見は、

  • ルールの共有
  • 「価値観を乗り越える」というテーマに参加したという近似性
  • 明日以降の利害関係がない

など。

個人的には「ルールの共有」は大事だと思う。「修復的対話」「セカンドステップ」「クラス会議」などでも、最初にルールが共有される。

特に「論争や批難を避けること」「理由なく妥協しなくてよいこと」「少数派は貴重なこと」などが明文化されていることで、自分らしさを大切にして参加できる。

 

葛藤を越える経験

これに慣れなきゃダメだなあ、と思った。実生活の中では、それに向き合わないで、葛藤を回避できることが多い。

愚痴を言って終わったり、「なんとかなる」って考えないようにしたり、「運任せ」、言いくるめるなど。

反対に利害関係がある方が、軋轢を避けるために上手に妥協してしまっているのかもしれない。

今思えば、妥協しないで話し合うってすごいな。時間無限大だな。

 

議論の中で印象的だったのは「自分をメタしまくって葛藤を乗り越えた」ことだ。

私は、「自己犠牲者」への好感が2番目によかった。しかし、他のグループの3人は1番目だった。

また、私は「自分本位者」への好感が5番目の最下位だった。しかし、他の3人は3番目だった。

最終的に私は「自己犠牲者」を2から1に変えている。どんな葛藤があったかというと、私は自己犠牲の人に好感を持っている感覚が気持ち悪いと思っていた。日本人らしいようにも思うのだが「身を呈して傷ついて苦しんで耐え抜いて頑張っている人が良い」というのが恐かった。

しかし、私が2にしているの理由が、直観的な好感ではなく、後から「理性的に嫌だなあ」と思ってのものだと気づいて変えた。私も日本人らしく、バイアスなしで直観的な好感は「自己犠牲者にある」と思えたのだった。

価値観が違ったとき自分はどうするか? 

「自分本位者」については、譲らないでみた。私は、価値観が違うとき

  • 表明しきる
  • ある程度待つ
  • それでも相手が動かなかったら自分が変えるに値する理由はあるかを探る
  • 理由が浮かばない場合は意見を聞いたり、質問したり、反対に質問を受けたりする
  • それでもピンとこなければ待つ

こんな風に、価値観を摺り寄せていこうとした。そして、内心思っているのが「自分の意見を反映してほしい」ってことだ。「一つ譲ったんだから、一つ譲れ」と思っているときもあった。

そして、それが同時に他の人にもあるのだろうと感じることができた。

これが「価値観を認めている状態」だと思う。葛藤していてみんな黙るっていう。

誰もが尊重されるべきだから、何も言えなくなるのだ。誰も責めることができない。発想を転換できる人がするしかないのだ。

その「発想の具合」と、「目的に合った価値観に合わせて自分の価値観を導けるか」に「言語活動」が関わってくると感じた。

リフレクション

今回の学びの場ではリフレクションが弱かったように思う。

こうして自分で振り返って見えることがめちゃくちゃ多かった。

「自分はどんな価値観をもっていると気づいたか」「自分はどんな理由があって葛藤したか」「価値観を乗り越えた理由はなんだろうか」

特に思うのは「どんな価値観をもっているように見えたか」グループの人からのフィードバックがほしかったなあ、と。

 

そんなところで、今回のワークについては「おしまい」。

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