かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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「やる気・自信」=pay

雨模様は憂鬱かつ忙しさに負けている「ハピペン」です。 

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ただ、どうしてもシンプルに思ったことがあったため記録。

 

どうして私は「責めない」ってことを大切にしたいのか?

 

そう考えると「やる気」や「自信」を下げたくないって考えが浮かぶ。

 

じゃあ「学習しない子」にはさせないのか?って言われそうだけど、それを「責めてやらせる」のは違う。

 

以下のニュースで、苦しいなら、環境を変えてしまえばいいのに、といったことが書かれている。私も強くそう思う。 

堀江貴文氏 「仕事で悩んでいるなら才能よりも環境を疑え」 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

 

どうしてかというと、東尋坊で死のうとした人たちは、身近な人が誰も助けてくれなくて、自分は必要とされていないのだと感じて、もう死ぬしかないと思った人たちばかりだったからだ。

 

自分はこの世にいる意味がない。誰も私に生きていてほしいと思ってくれない。そう思うと、自分が生きるために稼ぐってことも起こそうと思えなくなるのだ。手続きをする方へも頭が働かない。生きたとしても、意味がないのだから、生きる伸びる意味がないのだ。

自分が幸せになっても喜んでくれる人もいない。自分が幸せになる喜びよりもこれがどれだけ苦しいことか。

 

だから、技術よりも能力よりも、まず「やる気」や「自信」が必要になる。

 

この世は良いものだ。

社会は生きるに値する。

生きるって楽しい。

そう思えなきゃ、技術があろうが能力があろうが、社会は人を殺す。

社会が、あなたには技術がない、能力がないってことにして殺すのだ。

本当は、その人が生きられる場所はあるはずである。

それを見つける気力が失われないように、小学校の発達段階でできることはあるように思う。

 

私は、1年の中で必ず、あなたたちは生まれてきてよかった。生きていていい。あなたが生きることで、必ず誰かを幸せにできる。だから、ただ生きていい。自分を楽しめと伝える。

 

そして、「やる気」と「自信」さえあれば、とりあえずなんでもいいから仕事にはありつける可能性がある。

それは結局、稼ぎにつながるのだ。スタートは小さい一歩になるかもしれない。でも0ではない。

生きる気力さえ折れなければ、人は生きられるに違いない。

 

模擬授業の教材作りをした日。

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