それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

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子どもを一人の「人間」として見つめることで「主体性」を信じることができるのではないか(「ノッポさん」と「猪子さん」の話から考える)。

最近眠くて仕方ないときは「15分仮眠」&「5分マインドフルネス」で耐えしのいでいる「ハピペン」です。たまにミスってそのまま寝てしまうが、その後スッキリ起きられることも多いです。

 

今日は、子どもを「一人の人間として見つめる」ということ。そして、一人の人間として尊重できることは、その子に眠る「主体性」を信じて関われるっていうことじゃないだろうかと考えた。

 

どうしてそう思ったのかというと以下の二人に刺激されたためである。

 

先日、実家に帰ったときに「ゴロウデラックス」という番組を見た(母に見せられた)。

 

「高見のっぽ」こと「ノッポさん」の会でした。

 

1.ノッポさんの子ども観

立派なまとめがありました。

matome.naver.jp

 

こちらの本が課題図書。

 

ノッポさんの「小さい人」となかよくできるかな?: ノッポ流 人生の極意

ノッポさんの「小さい人」となかよくできるかな?: ノッポ流 人生の極意

 

 

その中で、子どもと接する際のポイントで、「一人の人間として大人と接するように敬意を持って接する」という話があった。

 

だから「子供」って言えないと言っていました。

ノッポさんは、子どものことをなんて読んでいるかというと「小さい人」と呼んでいます。

 

私は、こうした細部に、「在り方」はにじみ出ると思っている。

このポリシーは、いいとか悪いとかではなく、信念であれば、必ず子どもに響くだろうと思う。

 

私も自分の一挙手一投足に、自分の信念を反映させて振る舞いたいものだ。

 

たとえば、子どもに「名前を聞くとき」。みなさんはどんな風に聞くだろうか?

 

ノッポさんの、子どもの名前の尋ね方

私は、校舎内で、児童の名前が分からないときになんて尋ねているだろうと思い出してみる。

 

たぶん、わりと軽口で聞いてしまっていると思う。

「あれ、名前なんだっけ?ごめんね、忘れっぽくて」とかいいながら。

最近は、もうある程度しょうがないとあきらめているところもある。ずる賢く、傷つけないように考えて聞くのは、逆にいやらしいと思ってやめた。

 

ただ、子どもには、丁寧に接するほどいいとは思っている。1年目のときは、子どもに対して敬語を使いすぎると注意されたこともある。

そこになんの問題があるのかは、さっぱり分からない。大切にしたいだけ。

 

ノッポさんの名前の尋ね方もすごい。私は、聞いていて隙がないなと思った。言葉だけに価値があるのではなく、醸し出す雰囲気に、安心感があるというのも重要だと思う。

 

ノッポさんがどんな風に聞くかというと

大変失礼ですが
あなたのお名前をお聞かせ願えませんでしょうか。

である。

 

一人の人間として捉えて、きちんとその信念に合った振る舞いをする。大切なことだと思う。

 

次は猪子さん。

 

1.猪子さんの子ども観

こちらの記事を見て思ったこと。

 

news.yahoo.co.jp

 

是非記事に目を通してもらえるといいのだけれど、学校でいうところの「主体性」について触れていると思う。

 

「自分以外が主役の物語で、自らの意思を捨て、身体も捨て、『世界の問題は主役が勝手に解決してくれる』と思いを託す。大人はまだそれでいいのかもしれないけど、子どもたちもみんなヒーローアニメに夢中になりすぎるのはよくない。小さい頃から当事者意識がないわけじゃん。

考える力を失うことなんじゃないかな。極論かもしれないけど、独裁者を生み出してしまうことにもなるかもしれない」

だからこそ、今回の展示会では昼と夜の2部に分け、昼間は子ども向けの展示も開催されている。

「あえて子どもたち向けに行っているのは、『世界というのは、自らの意思を持った身体によって、ほんのちょっとは変えられる。しかもそれは楽しいんだ』という体験をしてもらいたいからなんです」

 

アートから「参画できる」「変えられる」という感覚に辿り着くというイメージを私はもっていなかったように思う。

しかも、それは楽しい

これら、「参画」「変えられる」「楽しい」の要素が集まったら、自然と眠っている「主体性」を呼び起こすことができそう。

 

本当は、私たちの仕事は危機感と向き合って、教育によって希望を抱かせられる場だ。

 

子どもと保護者に絶望ばっかり与えているから、公教育の価値が迷子になっていく。

 

学校は小さな社会として、どう生きるかを学ばせているってことを意識した方がいいし、その有用性を保護者にも伝えた方がよい。

"ここ"は人間性を育む場だと。

劇をやるってなれば「役はどうやって決めたんですか」「保護者は見られるんですか」ってぐいぐい来ることもある。

だけれども、そういうのは置いといて、子どもたちの人間性を育てるための全てなんだってことにしてほしい。

 

別に大人が快楽を得るための"ここ"じゃないんだから。当然これは、保護者にも教師にも言えることだ。

 

ちなみに『チームラボ』の出す作品のタイトルは、どれも哲学的で大好きです。めちゃかっこいい!!

 

 

一人の人間として見ることで、その子の主体性を信じることができるんじゃないか、って思う。

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