かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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自己満と費用対効果

いや、今日は曇り予報だったでしょ?!と嘆いている「ハピペン」です。傘を貸してもらう恩再び。

 

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私はとにかく「それ効果あんの?」「意味あんのか?」ってことが気になるタイプ。

 

全員がしっくりくるか?という感情ではなくて、そこに子どもたちにとって意味があるか?を問いたい。

 

目に見えない部分でそれにかけた時間が子どもたちに良い影響として働くってのはあると思う。

 

だけど、仕事の中で好きな人が集まってやってるからとか、ベストを目指したいとかってのはない方がいいなと思う。

 

時間を決めて、そこの中での最善であるべきだ。

 

教育は本当にキリがない。

完璧な教育はないし、ベストもない。

全員の納得もないし、教育に関しては一億総評論家って感じで際限もない。

 

だからこそ「費用対効果」を意識しないと、結局はチームの成員が力尽きていくと思う。

 

私は「そもそも論」も好きなのだけど、「そもそも論」について、時間帯とそのそもそもの精度や重要さ、チームで発言する責任のようなものを考えるのって大切だろうなと思った。

 

どこから自己満になっているか、どこから実利に適っているかは、よく気にすることで、教育でそういう感覚をもつと、反逆者みたいに扱われるかもしれないけど、時間は有限だ。

 

そして、そうやって無限を求める人に限って、怒鳴って短絡的な指導をしている。

 

要は、感情のコントロールができない。

結局、その瞬間瞬間、刹那的に自分が気持ちいいこと選んでるだけだろって言いたくなってしまう。

 

それで、どれだけの子どもが傷ついているのか、指導の機会が奪われているのか、人の時間が食い尽くされているのか、自分の胸に手を当てさせたい。

 

自分自身が自分自身に意味を感じにくいから、無理に意味を引き押し付けて周りにとって意味のないものが生まれているようにすら思う。

 

他者にとって意味のあるものを提供すれば、それは自分がいる意味にもなる。

 

真理の探究も大事だが、他者にとっての意味を考えることも大切だ。

自分を捨てるのではなく、自分が気持ちの良い方法で他者にも喜ばれる線を探すってことだ。

 

久しぶりに思いつくままに文字を並べたが、これは、まあ、全て自戒なんだ。

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