かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【ベストアンサーの一つ!】分からなかったら子どもに聴け!

明日で一週間筋肉痛を持続させてしまう「ハピペン」です。どうして、こう少しずつ走る機会が多いんだろう。タイムマネジメント……。

 

昨日の指導でこういうのが好きなんだよなあと思うことがあった。

 

保護者に「ふざけるので注意してください」と連絡帳に書かれていた。

どうするかなあと思い、「迷ったときこそ"子どもに聞く"」が大事だ。

 

「こう書いてあるけど、どうなん?」

「注意してほしい?」

 

「はい!」と言うので、「なんて注意してほしい?」と聞くと、

 

ちょっとふざけ口調で「ふざけちゃダメだよ〜」と言ってと言うので、「わかった(笑)練習してみよう!」とロールプレイをしてみた。

 

Take1

「じゃあ、ちょっとそこでふざけて。」

戸惑う子ども。

「こんな感じに」と運動会の振り付けをふざけてやる。

ああそういうことねと子どもがやる。

 

そこに「ふざけちゃダメだよ〜」と伝えた。

すると……「いや、変わんねーじゃん!」とツッコミつつ、子どもが「あ、そっか!」って顔をした。

 

Take2

「もう一回やって」

ふざける子ども。

「ちゃんとやらなきゃダメだよ〜」

ピタッ

 

ってのができた。

「なるほどね!(いや〜微妙だなあ……実際入らなんじゃね?これ……)」

と思いながらも、ここは「子どもを否定しない」を発動、失敗したら改良してその子に合った注意が見つかったらラッキーだ!

そのきっかけを作ってくれた保護者に感謝だ。

 

いざ!出陣!!

 

しかし、この日の運動会練習でその子は金曜日と比べ物にならないほどの力を発揮する。

 

「な、なんだよ……、や、やるじゃねーか。」

運動会は大抵練習前に最大の感動をして本番はジーンと来ない「ハピペン」だが。5日前にして、その限界に来たか?!と思ってしまった。(いや、せめて木曜くらいでいいのにと。)

 

もう一つ大切なことを書いておく。

 

やっぱり、その子からの変容に価値があると思うよ。

叱責や厳しい注意、高圧、強い指導、怒鳴りは、その子の変わる力を奪ってるなあって。

 

 全体練習では、目立たないように逸脱を指導しがちだが、その背景に「その子はやる気がない」という過った見立てを持つことがある。

 

そして「やらないから」「出来ないから」周りの先生が「厳しくないから」など様々な理由を並べて私こそが厳しく接して変容を促さねば!という介入が起こる(ことがある)。

 

だけれど、変化を邪魔しなかったおかげで、気づいた見立てが2つある。

私も「この子は本番まで変容がなく『出来ないのではないか?』」と何度も思いはする。

 

けれど「待つ」「信じる」。

そして「学べる環境がないだけ」だと考える。

 

どうすれば、変容し得るか。

昨日、金曜に比べて変容を感じた。

 

どうしてかというと、隊形移動の際に全体で一番に所定の場所に移動したのだ。

去年を踏まえて一番の懸念が隊形移動だったにもかかわらず。

 

そして、分かったのは、その子は「記憶できれば強い」ってことだ。

 

だとすると、どうすれば記憶できるか。学べるか。気付けるかを探ってあげることが教師の仕事なように思う。

 

金曜にやったことは

  • 動画での視覚的なフィードバック

だった。

 

これもいい感じに効いているっぽい。

 

今回の教訓めいたところは、

  1. 周りとの協力(保護者からの情報がきっかけ)
  2. その子を信じる(やる気がないわけではない。やれる方法が見つからないだけ。そしてただ待つといったことはしない。備える。働きかけはする。)
  3. その子が学べる方法を探す。

 

あの手この手は打つ。個別に練習したり、動画を見せたり、コンプリメントしたり(金曜は悪い姿のフィードバックだったが、昨日は良いシーンだけ撮って見せた。変容を感じさせて出来ると思わせるため)。

 

そして、問題はそれが運動会まで再現性があるかということだ。

 

「自律する集中力と体力」が備わっているといいが……。そこに「う〜ん」な姿があったら。4月からの指導で足らないところがあったってことだ。

 

もしそうだとしたら、それを来年に引き継ごう。

 

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