かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【無意識にやっていることに気づくこと】それが「悪循環からの脱出の鍵だ!!」

通勤中に、カーディガンの袖に蛾(羽が倒れてるから蛾だよな?)が入った「ハピペン」です。

この子ね(黒いの)。

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今日は「運動会」。イレギュラーな日にイレギュラーが起こる。蛾はいつも通りでそのいつも通りの通り道を邪魔したのは私の方かもしれない。

 

一瞬ギョッとするのだけど、ちょうどその時「無意識」について考えていた。その思考に強制的に介入された感じ。

 

「そうそうこの『ギョッ』が無意識の反応」と思った。

 

腕を振って出そうと思ったけど、出てきそうだったので(奥に行ったらちょっと嫌だったけど)、駅まで来るなら来れば?と思って一緒に歩く。

 

よく亡くなった人が蝶になって会いにくるって描写があるなあとも思った。

4年の「白いぼうし」も蝶が出る。

 

人と蝶って結びつきがあるのかなあと思いながら(まあ蛾なんだけどね)。

 

なんとなく愛でたいって思えた。

 

今回の話は、「言語能力」と「無意識」についての話。

 

上の蛾の話の思考の過程にあるのは

  • 経験(知識・記憶)
  • 想像(感情・メタ)
  • 表現

だと考えた。

 

この3つが「無意識を意識化させている」と考えた(あえて次期学習指導要領の「言語能力」に寄せているつもり)。

 

おそらく人は「知らないことは知らない」生き物だと思う。

DNAレベルに刻まれた情報にアクセスできる人、脳が処理しなかった99.999%の記憶にアクセスできる人がいるのかもしれないけれど、基本は意識できる無意識しか呼び起こさないと思う。

脳はよく分からないリンクをするので、はっきりとは分からないが、意識と無意識の間の「非意識」みたいなものに「言語能力」がアクセスできるのだと思う。

 

この「言語能力」が育つ前に「していい誤り」と「してはならない誤り」を経験している可能性があるってこと。

そして、「言語能力」が育っても、意識しようとしなければ「してはならない誤り」に気づけないという話をしたい。

 

もう終わるのだけれど、これらは「システム論」と「構成主義」の考えから紐付いて出てきたもの。またどっかで書く。

 

紐付いて思い出したのは、内戦している地域の子どもはライフルを持って相手を殺すわけだけど、その戦っている理由はもはや当初とはかけ離れているって話だ。

(以下は、テレビや本で見たことが混ざってしまっているかもしれないので、参考まで。)

その子どもが内戦に参加している理由が「お父さんを殺されたから」であって、もう内戦がはじまった理由じゃなくなっているのだ。

 

その子は純粋に相手を殺すことを正解としている。そこの「システム」がそうだし、「構成している考え方」が「それを正解としているから」だ。

 

そして、成長して学び「本来人は殺してはいけない」と知る。思春期に入りその子はPTSDのような症状に苦しんでいるという。

 

教育は「無意識」を「意識化」させて、誰かを守るために重要な役割を果たしているのかもしれない。

 

私が無意識に蛾を振り払いそうになったように。「無意識が誰かを退けていないか。」そう問えたら教育者は優しいよなと考えた(本当に自分への戒めだけど)。たとえば、子どものネガティブな表出はそのツケかもしれない。

自分だけでなくこれまでの"教育者"の。

私たちは、これまでを背負った子どもたちを育てているんだ。そう思うと「共同体感覚」も……この話も長くなりそうだ( ̄◇ ̄;)

 

「無意識」に気づけなければ、私は今日を運が悪いとか言ってはじめて、あの蛾を心に留めることもなかった。

 

「今、目の前を包摂するには何をし得るか」。そんなテーマをもって運動会を楽しんでみよう。

運動会に結びつくかは未知数だけど。

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