かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【仮固定】ジャン=ジャック・ルソー『エミール』より

気温に合わせて服を選ぶのが苦手な「ハピペン」です。

 

最近「消極教育」という言葉が浮かんで調べたい調べたいとぼんやり思っていた。

私は「ルソー」や「デューイ」の思想が好きだ。それは、20歳くらいの頃からずっと思っていて、生きている中でどこかでちゃんと読みたいと思っていた。

 

その一歩目を急に始めた。読み始めたのはこれ。

ルソー『エミール』 2016年6月 (100分 de 名著)

ルソー『エミール』 2016年6月 (100分 de 名著)

 

 

そうそうそう!!ってこと満載。

 

自分が妄想・追及していることが、ここなのかと思うとちょっと苦しいなあとも思う。

ただ、教師が見失いがちな視点を与えてくれているなあとも思う。

教師は自分の「特殊意志」を「一般意志」化しすぎなのだ。

 

そもそも「ルソー」とは

近代の「自由な社会」の理念を設計した思想家です。

「自由な社会」って難しそうですよね。「社会的な自己実現」みたいなニュアンスに近いだろうか。

 

「一般意志」とは

「一般意志」とは、超端的に言うと「皆が欲すること」だそうです。

ルソーの考えた「自由な社会」とは、平和共存するために必要なことを、自分たちで話し合ってルール(法律)として取り決める「自治」の社会でした。

権力者が勝手な命令を押しつけてきたり、一部の人たちだけが得をする不公平な法律や政策がまかりとおったりすることのない、そんな社会です。

そういう自由な社会をつくるために、『社会契約論』でルソーは「一般意志」(皆が欲すること)という概念を提示しました。

〈社会(国家)とは、構成員すべてが対等かつ平和に共存するために創られたものだ。だから、そこでの法律は、どんな人にとっても利益となること、つまり、皆が欲すること(一般意志)でなくてはならない。〉

 

(中略)

 

最終的には多数決で決めるのですが、その法の正当性は「多数が賛成したから」という点にあるのではなく、それが「一般意志である=皆にとっての利益である」という点にある、とルソーはいいます。

つまり、いくら多数が賛成したとしても、一部の人に損害を与えるような不公平な法律には正当性はないのです。

P5~6 

2017年でも十分に示唆をもらえる。この時差。色褪せなさ。先駆さ。

そうした自治の社会、自由な社会を生きるためにどのような教育が必要なのかが『エミール』で語られているということである。

要は、理想を生きるために、必要な人間のスタイルがあり、当たり前にそれは教育によってなされるということ。

まったく、自分たちがやっていることそのものだなあと思う。

 

『エミール』に何が書かれているかってのをまとめると

ルソーが『エミール』で課題としたのは、「自分のため」と「みんなのため」という、折り合いにくい二つを両立させた真に自由な人間をどうやって育てるか、ということ

だそうだ。

 

さてさて、教師が掲げる自らの「教育観=意志」に、目の前の子どもの「意志」は含まれているだろうか。

目の前の子どもの「意志」は無視しして、自分の「特殊意志」を「一般意志」として無視してしまっていないだろうか。

 

社会が「一般意志」だからといって、目の前の子を踏みにじっていないだろうか。

それがたとえその子の未来のためだったとしても、ない未来を求めるでなく。

今、目の前の子に応じて幸せを味わわせることも忘れたくない。

『エミール』では

「不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷な教育」はよくないと述べられている

(中略)

二度とない快活な年頃の子ども時代に、精神的苦痛を与えて無理矢理に勉強させたりせず、いまを存分に楽しませ、生きる喜びを味わわせてあげよう、愛をもって子どもの遊びを見守ってあげよう

とある。

さらに

人間のもつ「先見の明」(未来を予見する能力)がかえって人間を不幸にすることがある、とルソーはいいます。先見の明とは、「わたしたちをたえずわたしたちの外へ追いだし、いつも現在を無とみなして、進むにしたがって遠くへ去って行く未来を休むひまもなく追い求め、わたしたちを今いないところへ移すことによって、けっして到達しないところに移す、あのいつわりの知恵」だというのです。

P40

ここから、教師が二重に苦しみを生んでしまっているのではないかと想像した。

  1. 分からない未来のために、今目の前の子どもを虐げること。
  2. その未来はそもそもないかもしれないにも関わらず虐げられるってことだ。

虐げられるだけならまだしも、その根拠となる背景にある未来は、ないものかもしれないのだ。

そうなると、むやみやたらに自分こそ、鬼に笑われない未来を話せる知恵者だと思い込んで子どもに未来を振りかざして虐げることの価値や意味はなんなのか問いたくなる。

 

もし教師が「子どもを発見」しているなら、視点を切り替えることができるのではないかと思うのだが……。

自分の「特殊意志」を知らないうちに「一般意志」にしてしまわないためには、自身が権力者であることを意識することが重要でないかと思う。「教師は権力者である」ということは、今朝、下のブログを読んで強く心に残って、一日そう思って自分をワンダウンしようと意識しながら子どもたちとかかわった。それが、子どもたちの安心安全のためになるのかもしれない、と考えて来週も接してみよう。

mbabooks.hatenablog.com

 

読んでくださってありがとうございました。

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