かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【アートはアクション】「星座と島とガラパゴス」と「哲学」と「アチャー」

芸術とは、個人的には「美しさ」だと思っている「ハピペン」です。

 

おとといは「横浜トリエンナーレ」に行ってきました。

 

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3年に1回あるらしい。

 

テーマは「接続性」と「孤立」。詳しくはこちら。

コンセプト|ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」http://www.yokohamatriennale.jp/2017/concept/index.htmlwww.yokohamatriennale.jp

 

タイトルは「星座と島とガラパゴス」。これに基づいて、未来への想像力と創造力を発揮した作品たち。

 

「なぜそのテーマが出てきたのか」は、サイトに書かれている。

  「接続性」と「孤立」は、もしかすると、「人類の回避不可能なテーマ」かもしれない。

エリクソンの発達課題の「前青年期(親密性VS.孤立)」、「老年期(統合VS.絶望)」が想起される。

細胞レベルで宇宙はこういうシステムでできているものだと思う。

 

「星座」

星座は人が見つけたもの。

人は、根っからの「つなげ症」なのかもしれない。何かに何かを見出す。最近よく言っている「意味づけ」。この本にもそういったことが書かれているっぽい。

 

モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)

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 細胞レベル、人単位、コミュニティ単位、国単位で「接続」を考えると何が浮かぶだろうか。「孤立」を考えると何が浮かぶだろうか。星座は、楽しさもあるし、道しるべというイメージもある。

「孤立」といえば「北極星」かな。

そのどれも星だってこと。空には欠かせないってこと。

「全体の一部であり=一部は全体」的なことが浮かぶ。

「星」=見守ってくれているもの、というイメージも湧く。

 

そこからの「島」。

 

「島」

日本のアイデンティティな感じがする。

この展示の一番はじめに「Island is land.」という言葉が飾られている。

 

そこで、そもそも、島は、単に「大陸」でしかないとメタさせられる。

そこに何かを乗せて、意味づけをして、大陸以上のものにしているのは、紛れもなく人間。

 

そう考えると、「大陸」を楽しめているか、ということが気になった。

街に降りてくるサル、ゴミを荒らすカラス、車に轢かれるネコは、人間の街を大陸と見ているだろうか。人間がつくったものだと思っているだろうか。

動物たちとって人間は共存者だろうか。それとも侵略者だろうか。

 

私たちは大陸であることを放棄しようとしているのかもしれない。「接続」を求めて。

でも、動物たちにはそんな考えはない、ただ、目の前に対してより生き延びられそうな命を探索しているだけ。

それは、私たちも同じだろう。より生きるためにいろいろな「接続性」を求めつつ、反対に「孤立」という在り方も許容している。

この二つの指すところは、人それぞれ自由に生きやすい方へ。ということかもしれない。

 

ただ、自由について自分なりに確かになってくるほど、視野は狭窄する。結局、自分が認識できる仕方でしか自由を定義できないからだ。

 

「定義」。

その人間の思い込みこそ「ガラパゴス」なのではないか、と考えが結びつく。

 

「ガラパゴス」

ガラパゴスには「独自の方向で変化を遂げた」というような意味がある。個人的には手付かずだった、取り残されたっていうような感じもする(それで、ゾウガメがモチーフだったのか、と今更気付いた)。

 

ガラパゴスと聞くと、自分なりに発展させた良さというよりは、自分を外に開いていこう!という焦りの方が強い。

これは人それぞれだと思う。はっきり言って、ガラケーよりスマホっていうガラケーのせいでガラパゴスにネガティブを抱いているだけかもしれない。

 

しかし、人は誰しもガラパゴスだ。どんなに良いと思っても、本当はよくなかったり、もっといいものがあったり、自分は良くても誰かを傷つけていたり、自分の外に出ないと自分以上になりようがない。

そして、その人からなる、コミュニティもガラパゴスだ。

文化違い、価値観違い、言語違い。

人のガラパゴスから出るには宇宙にいくしかないかもしれない。けれど、宇宙こそ真のガラパゴスだ。

 

ガラパゴスの面白いのは、生きるには不便だろうと思うが、知る分にはわくわくがあるってことだ。

 

ああそうだなあ。

「私たちは本当は他者にワクワクしていたはずだ。」

 

最終的にそんなことを思った。

いつかを生きないで、今を生きること。

今目の前にあるワクワクを大切にすること。

ワクワクのない今なんかないのだから。

問題は、ワクワクはない。いつかのために生きようと今を見えなくしている人たちなのかもしれない。そことだけは、ぶつかってしまうのだ。あんた何言ってんのって。

 

自分もガラパゴス。他者もガラパゴス。

それぞれがもつ独自の進化。

そのワクワクに触れるには……どうすればいいんだ。???

 

アートを見るといつも思うこと。

芸術家のすごいところは「ここはこの色」と決められる意志力だと思う。そこが意志ってのも感じさせないくらい当然のようにオートに進められていて、そこに力を感じるのかもしれない。もしくは、表現のための熟考。そのためには素材は何か、色は何か、そこを決め抜いたエネルギーかもしれない。あるいは、feeling。Don't think feel.すなわち、アチャー!である。

 

自分は、正解を探してしまってダメダメだ。

色については自分からなかなか出てこない。

 

終わり際にはTEDの映像が流れていて、内容も興味深かった。メガシティが塗り替える世界地図。

パラグ・カンナ: メガシティが塗り替える世界地図 | TED Talkwww.ted.com

 

養老さんのトビケラの話も刺さる。

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「なんだ、これは」と。その感情をそのまま楽しむことを許容したい。

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