かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【ケーキが食べたいのに羊羹喰ってる】「認知的容易性」の話

いやー晴こそ至高!!「ハピペン」です!

いや、そりゃねーもう雨だらけじゃね、出ませんよセロトニン!テンション回復な気分だ!!

 

意識はあてにならない。無意識を隠して意識はフリをする。本当は、私たちを突き動かしている無意識。「認知的容易性」。人は簡単なものを脳に負担のないものを好む。

 

 

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

「 認知的容易性」は、この本から。

 

これの威力は、異様だ。

 

虐待された子が虐待しがちなループも。そういう雰囲気の家庭に慣れていて楽だからだと考えられる。

 

人は慣れたパターンに埋没する。虐待はよくないこと。理性じゃない。無意識がパターンを呼び起こしている。

 

家族とは愛情、コミュニケーション、人間関係。確かにそうだが、それを越えたところに、単なる、型、パターン、慣れが潜んでいる。

自分が家族だと思うものを形作りたければ、その枠に気づき、枠であることの心地よさにいる自分に気づいて、理想とする形であることの心地よさとの違いを認識する必要がある。

 

俗に言う「ケーキが食べたいのに羊羹喰ってる状態」を回避しなければならない。

甘いつながりで、感覚は誤魔化される。

 

だから、メタする。自分を俯瞰する。

 

教育活動も俯瞰する。

 

俯瞰することで、自分の「在り方」を見る。その中に回り回って自分を苦しめているどぎついパターンはないか見つめるのだ。

 

自分や教育活動を俯瞰する価値は、場面に対応する力を得ることにつながるからだ。

 

変化の激しい時代、まだ見ぬことに応じる必要がある。そうしたときに、自分がこれまで危機をどう乗り越えたか、その場面に何があるかを推理・推測するためにメタ力がいる。

 

見たことのない場面には、自分の総力を挙げて応じるしかない。しかも、そうした場面は、猶予がないことが多い。

 

「あっ、ちょっと待ってください、今、A先生の本見ますから。」とか言ってられない。

 

答えはその場で、自分が出さなければならないことがある。

 

この辺りは「省察的実践」「エピソード記述」のこと。

 

なんとなく好き勝手なことを羅列してしまった今日。

 

最近はまっているのは、沈黙を待つこと。雑談を思いつかない自分をありにすることだ。

相手の話力を頼る。大体、数分のうちに向こうが話してくれる。

そういうところから「自分が、自分が」ではなく、相手に委ねること、信じることを始めようかな、と。

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