かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【私の「在り方」を学ぶ】新しい自分にまた出会う

喉痛くね?喉。な「ハピペン」です。

 

この間の日曜!大変な雨の中。

だからこそ、思い出に残る勉強会を開催っ!!

 

何よりいいのは、パートナー(小学校の先生を120%楽しむ毎日)が楽しそうに安心した装い振る舞いをしていることでしょうか。

とある人といろいろな場面で付き合うってことはなかなかないことなので、貴重だなあと思います。

 

今回は自分を含めて5人。

 

「ゆるさ」

先日、野中先生の話を聞いて思ったし、OXFAMで話していても思うが、「ゆるく」は重要な要素だと思う。

 

まず「ゆるく」の段階がいる。

 

その理由は「日常化」「習慣化」「持続可能性」。なぜかと言えば「無理なく続けるため」だ。

 

そして、そこで、メンバーの中でヴィジョンが共創された時、「研究会」などに発展してバリバリやっていくのかもしれない、と思った。

 

主催した学び場は、個人的には「ゆるさ」を意識した会で、素直に「教育」について語り合える学び場だ。

 

よく、つぶやきから、大きな変化が生まれるとも言われるし、その片鱗があるように感じる。

 

新しい自分

あと、面白いのは、結局前に立つ時に発揮されるのは、自分の普段の振る舞い方の型なのだろうと思う。

(あとはメンタリズムだろうか。土曜から体調に違和感がある。雨続きのせいだろうか。そういうのもあって自分としては変な自分だった。実際は違うのだけど、先日、自分と真逆の考えと感じるような集団で学んだというのもあるかもしれない)

 

新しい場に出た時、自分の慣れ親しんだライフスタイルが表出、突出という感じだが、現れると言われている。

 

それを飼いならすほど、新しい環境に出ることの場数を踏んでいない。

まして、今回は、ただ参加でなく提案側。

 

そういう諸々が重なると如実に、嫌な自分が露呈する。

 

できれば、そういう違和感のある自分を楽しめるくらいに、自分を楽しめる人になりたい。

 

露呈する自分のライフスタイル・教師スタイル

実際はもっとコントロールしていてあえてそうしているのかもしれないが、教師一人ひとりによって、何を学びとするかのバランスは感覚的に形成されているのだろうな、と思う。

 

教授の視点について、私は、「聞いている人に話させないと(考えさせないと)、離席される、入らない、学びが海馬に届かない」みたいな思考パターンがあり、集中を阻害する要因を徹底的に探そうとして目や体動いてしまう(結果、お前が集中を阻害しているぞ!と笑。そういう意味では、主催は場所の事前チェックが当たり前にいる。そりゃそうだね)。

 

なので、感覚で済ませてしまうバランスについて、目の前に合った「質」・「量」を考えて「内容」を提供できるようになりたいと思った。

 

これについては、授業と同じで、その時間の「ねらい」を大切にして、臨むことだね。

 

感想

思い返すと、やっぱり、露骨に自分が出るなあ。この第一回の自分の印象が自分のすべてなのだろうと思うほどだ。

 

あと、その時takeさせたいものをtakeしてもらうには、準備は当然重要だし、タイミングも、戦略もいる。

 

私としては「口を抑える・口を挟む」のイメトレや計画を練らねば!と思った。

とにかく「より多くを学んでもらうには?」と考えたい。

 

あとは、より素のかっこつけた紐付けでないやり取りの場面もつくりたい。出せる限り素を。一番話す人をモデルに会は形作られていくと思うから。

 

ただ、リフレクションカードが、やっぱり有用なツールだってことも分かったし、在り方についての話って聞きたい人もいるのだなあと感じた。 

 

「Learn my way」の価値

パートナーが考えた、ここの学び場の価値を示す。

  1. 自己開示により自己理解や自己受容が生じて自己肯定感の高まりを感じることができる学び場。
  2. 多様性を認め合い他者から学ぶことを学べる学び場。
  3. 自由に参加できる「港」的な持続可能な学び場。

このような3つを示してくれた。

 

ここでは「安心安全に必要なことは何か」かつ「いかに自分が自然体でいられるか」を追求したいと思った。

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