かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

スポンサードリンク

【支援の子どもたち】共に生きるって感性は共に生きなければ分からない

じゃあ!共に生きるってなんだ!?って「ハピペン」です。

 

そこを突き詰めるのは難しいなあ。

同じものを見て、同じことを聴き、同じことをやってみる、言ってみる。目の前の子の言葉を噛みしめる。

 

最近、現代の課題として「目に見えないものを見る力の欠如」があると思う。

過度なエビデンス主義は見落とすものがある。

想像力や思想など。

 

想像力で補って見えないものを見て優しくなれるなら、その世界は平和だ。

 

想像力が欠如するとどうなるか。これは、言い換えれば予想ってことでもある。

原子爆弾を例に出したいのだけど、たとえば、原子爆弾は作った後、それを使う人間の判断に委ねられた。

予想を上回って、大きな過ちが起こる。

 

そして、新たに匹敵するような科学があるらしい。本屋にあった。

 

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

  • 作者: ジェニファー・ダウドナ,サミュエル・スターンバーグ,櫻井祐子,須田桃子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/10/04
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 以下の記事のような内容。

http://www.science-palpunte.sakura.ne.jp/2016/10/05/crisprcas9/

https://www.google.co.jp/amp/diamond.jp/articles/amp/145408

 

遺伝子編集技術の話だ。実現できるところまで来ているというような内容だった。

しかし、それを可能にしてしまっていいのかということ。

できてしまう前に、「どう使うか」を現在は様々な立場の人たちと対話をしまくっているらしい。

ここでも対話が出てくる。未来への正しさは、私たちで、我々で決めていくしかないのだ。

ここにあるのは、原子爆弾は、作ってしまったから使われてしまったということだ。

作らなければ使われることはない。だから、原爆の二の足を踏まないために、作る前に「どう使うか」を話し合っているとのことだった。

遺伝子編集。面白いトピックだ。誰でも簡単に使えてしまったら、誰かの何かの存在は地球上からいなくなってしまうかもしれない。

 

そんな風に、予想しきれない未来ってのはそこらじゅうにある。

それをイメージするには「想像力」がいる。

最悪も最良も想像力が助けてくれる。

 

そして、想像力は、目の前の子どもを生かす。

 

今朝、昨日のレクで仲良くなった他校の子に4年生と声をかけた。

私「Bくんおはよー!」

4年「おはよー!」

Bくんは、無言で通り過ぎていった。

 

インクルーシブを謳う支援者だったらなんて言うだろうか。

私はなんて思っていただろうか。

 

分からない。

 

0.01秒の隙もなく

「心の中でおはよーって言ったんじゃない?」

と4年に言われてしまった。

 

「うん!そーかも!」

と私。

 

誰かをポジティブに見るってのはそういうことだ。また、自分が許されたように他者を簡単に許せる温かい関係。

 

「この子にある『心』が、私たちにはないのか?!」

と問いたい。

 

あるとすれば、なぜ表出されない?なぜ想像できない?なぜ目の前の子どもの姿をなじる?

 

「そこにある『違い』は何か?」。

 

頑張って言葉化すれば、それは

「目の前のあなたの姿は私の求めるあなたの姿と違って、私の求めるあなたの姿と実際のあなた姿が違うことを認められない」

という違いだ。

 

「その子がその子であることを認められない」という違い。

いつだって、目の前のその子よりも、未来でよくなっているその子が優先されるのだった。

 

こんなエピソードも思い出す。

ある子が怒られまくって、その後もう少し遊びを続けられることになって「よかったね」と声を掛けられるようなこと。この感覚に似ている。

目の前のその子の立場に立ってみる。

「想像力」なんてそれだけのことだ。

 

結局「自分ごと化」って話になりそうだ。

そして「優しい方」を選ぶセンス。

 

さて、私たちはこの世界をどう見ようか?

ギスギス?ほわほわ?

チクチク?ふわふわ?

 

厳しいと捉えてもいいだろう。問題ない。

だとして、いつか子どもにこう言われる。

「じゃあ、どうして、先生はそれを変えようとしないの?変えようと思わないの?」と。

 

「おかしい、間違っている、変だ、と分かっているのにどうして何もしないの?」と。

 

 

まったく。うちの子たちこそ、世界一多様性を認められる人たちだと毎年思う。

植えたものを信じて忘れずに体で示してくれる。

これもまた、大人が良しとしたことだけが、伝播され残っていく。

 

結局は、私たちが何を残そうとしているのか。そこに自覚的になれているかが鍵だ。

 

正解はないよ。

 

何を正解とするか選ぶのは自分自身だ。

決めるのは半分くらいは法律と知識。

あと半分は感情と経験の組み合わせかな。

 

今年もそんな風にご家庭含め育てられた子どもたちと共に生きている。

 

スポンサードリンク