かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【何気ない日にもフラグは潜在する】のんびり過ごした一日

テンション低めな「ハピペン」です。とにかく4H雨の中外が気持ちまで冷やした……と思いたい。

 

昨日は「のんびり過ごす」をテーマにあまり子どもたちを煽らなかった。

 

にもかかわらず、子どもたちはこれまでの積み重ねから、自分なりのクオリティを保って学校活動を送ってくれる。

 

6年

2年が休みだった。私のパートナーは出張だった。それをとてもさびしがり、悔しがり「こんな日があるなんてー」とぼそぼそと言っていた。

2年に対して「Aさんは、やるときはやるからなーいないとやっぱり寂しいなー」と漏らしていた。

割と犬猿の仲なのだけれど、やっぱり、徐々に人を見るフレームが変わっている。いかに優しく見るか、共同体と見なすか。うちのクラスは泣かすと自分でなんとかさせられるってのもある。自分が導いた結果を自分で解決させられる(もちろん場合に応じて助ける)。

スパーンと怒られて終わりなんていう風には逃がさない。その子の立場に立った関わりを考えさせられる。

他にも、私が「今日の時間割分からないから、自分で動くんだよ、毎回次算数じゃない?(交流だから)とは言ったげるから」と柔らかい声で伝える。

10分くらいすると勝手に時間割を示してくる。

大体、放っておく、勝手に自分の親戚の話なんかをし出して5分前行動を始める。

いつもギャンギャン言われて5分遅れで行くのだけどね。

「教えて信じて待って、事が起こったら誉める」これが、鉄板かもしれない。

ギャンギャンと聴覚のやたらな情報を入れるから身動きできなくなるだけなのだ。子どもをよく観察していれば分かる。

 

5年

自立して学習していることが多かったように思う。一週間の振り返り、そうするとどんな自分になれそうか?の作業を自分だけでこなせていた。「へえーそういう力付いてるんだ」と思った。

 

1年

自分から排泄に行けた。

これは、めちゃ驚いた。何気ない日に急激な変化を感じられる日があるもんだ、と驚いた。

 

よーく見つめていれば何でもない日にも何かある。

 

成長っていうのは、気づかなければないものになってしまう。学校においては、大人が気づけるかで成長の「ある・なし」が決まってしまう(子ども同士で見つけるもあるけどね)。

 

気づきすれば、成長は無限大である。

その日に潜在する明日につながる成長に気づけたなら、それは、未来への大きな跳躍の助走となる。

気づかなければ、今日という日に文句を言って、なじって、責めて、せっかくの助走にはライングを出し、出鼻をくじくことになるだろう。

 

そうやって、成長しているにもかかわらず、成長していないとされる子どもたちを減らしたいわ。

 

 

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