かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

スポンサードリンク

【人のフリ見て】実習生の最終日の姿から学ぶ

諦めない!全力疾走!計算外こそ計算通り「ハピペン」です。

 

実習生の話を聞いて感じたこと。

1ヶ月。子どもたちと付き合って、最後に涙できるって素敵だ。

私は、泣かなかった。というか泣けなかった。やっぱりそもそも入り込まないタチなのだと思う。

 

それでも、号泣している子はいた。

今回も、クラス内でやたら号泣していた子がいたという話を聞いて自分のことを思い出した。

 

私が担当したクラスのその子(Lとしようか)は、フケがあるとか、持ち物が揃わない、勉強ができない、ぽっちゃりしていて運動もできないといういろいろ揃った子だった。

 

決して無下にするクラスではなかったが、そういう立ち位置という感じはあった。

 

「先生は優しい、誰にでも教えてくれる」と当時女子に言われた。

私は良くも悪くも比較しない。誰にでも同じように接する。同じように優しいし、同じように冷たい(厳しいというよりは、冷たいという自覚が少しある)。

 

その甲斐あってかのLの大号泣だった。

 

そこで「Lのそんな姿を始めて見た」とクラスの目が変わった。

 

それからもボランティアでその学校に入っていたけど、「先生あれからL変わったんだよ」「うん、ちゃんとするようになったよね」とすれ違う子どもに言われた。

 

今はもう高校生かな。中学では部活に入って、背も伸びて、すらっとして、スポーツマンという感じに、もう自分なんて相手してもらえないよなというくらいたくましくなっていた。

 

1ヶ月の全力。すごい力がある。

 

他にもボランティア期間中に関わって変容を感じた子がいる。

短期間の全力。温かさのエネルギーのようなものを送り込むことができれば。子どもは変わる。そうしてもそうしなくてもいいことが分かって、自分を自分で選べるようになるのだと思う。

 

話を戻す。

結局、自分は子どもたちに良い影響を与えられるという驕りがあるから、この世界にいるのだろうなあと改めて思い返す。

 

大号泣。長く付き合うと逆にそこまではいかないように思う。

「もう胸の中にいるから大丈夫」と、子どもたちは堪えてくれる。

そして、他のところに行ってもっと誰かに会ってと言われる。

 

こう紐付いていろんなことを思い出す。

今年の1学期半ば、私のことが話題になり「元気にしてるかな?」と教師が話題をふると「大丈夫よ、あの人はどんな子どもとも友達になれる人なんだから」と言っていたそう。

 

とにかく、今の自分を見ても、これまでの子に恥じないかが気になるところだ。

 

大口叩きまくって、希望を与えまくった。

ちゃんと希望を与えて、自分こそ希望を引き連れて与えられるような輝きを持っていたい。

 

こっからだ、こっから。

こっから中のこっから。

なんかピンと来ない何かに気づいて、目の前の子どもを何かこうキラキラ湧かせたい。

スポンサードリンク