かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【なんだろう「ぼーっ」とする】「戯言の集まり」そういう時期。昨晩は眠りがめちゃ浅かった。

タイトルや書きたいことすら浮かばない「ハピペン」です。

 

とにかく、疲れた、しんどい、きつい。そんな言葉ばかり浮かぶ。

 

体調が悪くなる前ぶりだろうか。

「未病」ってやつだ。これは、養命酒が特許を取っている言葉。売り文句となっている。「笑点」が好きな人は知っていると思う。

(そういう戦略ってすごいよね。)

 

何が積み重なっているかといえば

  • アウトプットする時間、体力がないくらいインプットが多いこと。
  • そんな中、お酒を飲みに行っていること。
  • さらに、学びに外に出てばかりで休まっていないこと。

 

この3つが重なって何からすればいいかモヤモヤしつつ、さらにやれる気力がないって悪循環で気分がやばい。

 

これから、重なり過ぎないように気をつけたい。気をつけられるか?!

 

もうね、その瞬間瞬間はめちゃ楽しい。今年度一ぐらいフラットな雰囲気な飲みにも参加できて嬉しかった。

だけど、後遺症がアホみたいにきつい。

 

アウトプットができていないと、ただ外に出ただけで何にもなってない自分にもめっちゃ嫌悪感、劣等感、絶望。

 

子どもに返せないストレスも強くある。

「何やってんだオレは感」が止まらない。

 

自分は何をしたかったのか。何のために活動的なのか。特に「自分にとって幸せってなんだろうか(ここについては、どこかでこねくり回したいが)、そこにコストをかけているか?」という問いが着地点を見失っている。

 

とにかく深呼吸をしよう。あと笑顔。今日外で陽に当たっている時は気持ちよかった。

そういうのんびりが足りない。

 

変な角度から刺すと、自分は謙りすぎて、自分低く見積もりすぎているかもしれない。

「受け取る」ってことを覚えた方がいい。

 

あとは「できていること」を考えよう。

少なくとも今日までにしなければならないことは完全に終えて職場を出た。

 

怖いのは、何か今目の前にあるものを蔑ろにしてしまっていないかってことだ。

愛とか、感謝とか、幸せとか(だからなんだよそれってのはまた話したい)。

 

一年の疲れの時期なのかもしれないってのもあるか。

 

クラスに一人風邪で休んだ子がいた。

反対に一人安定してるなあって子も。

髪を切ってきてますますチャーミングになっている子。

自分なりに頑張っている子。

自分の不利益に対して切れて泣いて帰る子。

 

結局、いろんな時、いろんなこと、いろんな状態、いろんな状況があるだけなのだとここまできて思う。

 

やっぱりアウトプットっているなー。

ブログもみんなが人生の足しになることを書いていて自分も頑張りたいってなりがちなのだけど、ただ流すのも私は大切にしよう(というかいつもほとんどそうなのだけど)。

 

今日は髪型も変だ。

 

ただそう、あと2ヶ月。

最後には、今年、通して心に抱いている四文字熟語「歓天喜地」が浮かぶ。

 

それすら「大いに喜ぶことだ」。この鬼畜な設定によって自分の想定を越えるのだけど、今年はそれによる予期せぬポジティブな出会いがめちゃくちゃあった。

 

少し失速するのは当然の流れなのかもしれない。そもそもスペックが高くないわけだから、無理して走って少しは速度を落とすべきなのだ。

 

と言っておく。ヒーローは大体そっからどう走るかだ。

自分が「きつい」と認識できて状況を把握してからのヒーローは強い。

このピンチは、形勢逆転のための次週に視聴率を保って続くってことなんだから!

 

追い込まれる自分をもう少し楽しむことに決めたぜ!!!

(食べられない、眠れない、学校行きたくないの三拍子は揃ってないので、ご心配なく。まあ学校行きたくないー休みたいーは、ちょっとはあるけどね。)

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