かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【学校戦争だ!】深すぎる闇。不謹慎って言われちゃうかもしれないけどね。

今日は「てんやの日」なんだって、サンキュー天丼とかって言って390円で天丼が食べられたよ。18で、10(てん)・8(や)か!「ハピペン」です。

 

午前は、薬をちゃんと飲まなかったことに対して、本当に心筋梗塞になっちゃうって人だっているんだからね、とお医者様にやんわり釘を刺される。

「あ、はい……。」

 

というところで「闇が深すぎる」って話。

 

金曜の夜。帰り道。

「いやー闇が深すぎる」って言葉浮かぶ。

ほんとそうなんだよ。「先生は幸せか?楽しんでるのか?」ってことが問いたくなる。

 

職場を見ていて、50代でも20代でも、その学校である指導を評価されたら、それがスタンダードになっていってしまうのだ。

その「学校がもつ価値観」という闇。それが、社会と合っていようがいまいが、閉塞した環境では、指導に偏りが生まれる。

それは、管理されているほど良い教室、言う通りにする子ほど良い子、子どもを管理できているほど素晴らしい教師なんなんだろう。

徹底的に管理するために、給食をいつまでも食べさせる。

徹底的に管理するために、スープをこぼしたら一人で拭かなければならない。

徹底的に管理するために、配膳がうまくいかなかったら、昼休みになって謝らなければならない。

徹底的に管理するために、配膳は効率を最優先しなければならない。

徹底的に管理するために、ハンカチは絶対に忘れてはならない。

徹底的に管理するために、マスクを忘れたら、ティシュとセロハンテープで代わりになるものを用意しなければならない。

徹底的に管理するために、体調について普通と答えると、普通が一番意味が分からないと言われなければならない。

こうして徹底的に管理している先生の授業が、授業アドバイザーに誉められている。

そして、その栄冠は、まるで、全人格の肯定のように捉えられ、より徹底するほど良いという錯覚を起こさせているように見える。

 

闇が深すぎて笑えてきてしまった。

もはや「オレはオレを楽しんで」というメッセージなのではないかと思ってしまった。

そんな、現場で、マイナスを0にするようなことをいつまで続けるのか。そして、それは「楽しいのか?」、真剣に問わなければならないと思った。

 

学校で働いている限りは、人間について考え続ける資格を得られるというような、私欲もあるが、学校にこだわる必要があるのか、という言葉が浮かんでしまった。

 

どうりで、と思う。本当に大好きで素敵な校長先生が世の中にはいる。

他にも素晴らしい先生がたくさん。にもかかわらず、世の中がよくなった実感はない。

まあ、そりゃそうなんだけど、でも、何人も素晴らしい先生がいるのに、こんななのである。

その理由は「闇が深すぎるから」なのだ。

 

まあ、イラついているのだけど。

「自分の仕事ぶりを見て、てめーを産んだ母親はどう思うか逐一考えてみろや!」って思っている。

 

ある指導を正当化してしまうと、それを受けた子がそれをしつけとして、指導として、将来虐待しちゃんじゃないかなって思いもする。

虐待しそうな子を育てているような気がする。

強要、支配、脅迫、は「人権侵害してねーか?」そういう視点がないんだよね。

また、そういう人が人権担当だったりするし。

闇は深い。

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