かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【「捨てること」と「幸せ」と「モノと人」】『ぼくたちに、もうモノは必要ない』

バス停から歩いて学校に行っています。途中通学路にさしかかる。「おーーーい!」と声をかけられる。「ハピペン」です。

 

また新しい本『日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点』を読み始めそうだったのですが、本当にアホでアホでアホアホしいのだが……「借りてる本を読めよ!!!」と自分の背徳感が叫んだ。

 

というわけで『ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -』を昨日パラーっと読んだ。

 

「片付け・ミニマリスト」という日常と「自己啓発」がきれいに折り重なった本という印象。そして、編集者である著者は、きっといろいろな人と相談しながら本を紡いでいったのだろうと感じる。

細かいところに手が届き過ぎているのに、余計な内容、隙間、レイアウト、文字、デザインが一切ないと感じる。

本そのものにも「ミニマリズムな」精神を感じさせられる一冊。

 

そもそも論が秀逸。

なぜ人は新しいモノばかり求めてしまうのか?

そもそも人の神経ネットワークは、刺激の「差」を検出する仕組みだという。

「差」こそ刺激。

これが「快」であれば、それが繰り返される。

何が原因か分からないが、人は「手に入れる変化」の方が「快」になりやすいということだろう。買うのは簡単だからだろうと思う。

しかし、それにはコストがかかる。所有スペース、捨てるときの手間などなど。

捨てることの「差」に「快」を感じられるように習慣化していくことが大切。

「捨てる」に報酬を与えられると良い。

 

今の自分が一番、ヒットしたというか、深くとどめておきたいと思ったのはこれ。

誰もがただの「人」

モノを減らしたぼくは、自分に対する認識が変わったと思う。もはやぼくはほとんど何も持っておらず、普通の服装をしていて、その辺をぶらぶら歩いている、ただの「人」だ。何も持たず、池で泳いでいるカモやカメと、もうほとんど同じようなものだ。

(中略)

たくさん持っている人、輝くような才能のある人と会っても、自分を卑下することもなく「普通」に接することができるようになった。逆にわずかしか持っていない人に対しても「自己責任」だとか「努力が足りない」と言って責めることもない。持っているから偉いわけでも、持っていないから偉くないわけでもない。ただ「人」がただの「人」と接するだけ。そんな風に思えるようになって、人との関係も変わった。

この感覚を目指したい。「ただ生きる」 

 

「自分には価値がある」と思わずには、人は生きていられない

人が社会的な動物である以上、「自分に価値がある」と思わずには生きていけない。適切な自己愛がないと何も行動できなくなってしまう。だから「自分には価値がある」と思うことは悪いことじゃなく、必要なことだ。

 この本の中では「欲しい」「必要」は重要なワードだ。その中でも「自分には価値があると思うこと」は必要としているところに、著者の優しさを感じる。

モノをなくして「人」を見つめているからこそ、「人」の本質の取捨選択がなされているのだと思う。少しでもそこに近づきたい。私は、自分がすべきことは、本当は知っているのかもしれない。ただ見ていないだけ。「かつて」が惜しいから「いつか」に放り込んでいるから。それは、結局「今」から目をそらすことにもなる。捨てよう!!

他人という鏡を通してでなければ、自分の姿すら人は見えない。

しかし「内面の価値は人にはとても伝えづらい。」とある。

背が高い、スタイルがよい、筋肉がたくましい、おしゃれ。外見はその価値がわかりやすい。パッと見て分かるのが外見だ。

(中略)

ぼくはどんなに頑張っても、ファッションモデルのようなイケメンにはなれない。

外見以外にも内面に価値がある。優しい、面白い、勤勉、思いやりがある、明るい、真面目、賢い、親切である、勇気がある。

(中略)

だがこういった内面の価値は人にはとても伝えづらい。

 だから、モノに自分の価値を外部委託する、といったことが起こるそう。

「自分で自分を語りたい」そう思った。ロジカルに話すっていうことが苦手だと思って理論をよく見るようになったが、この間のLMWでの発表も知識のひけらかしみたいに(別に見せびらかしていないはずだが)なってしまって、語りたいことは変わらないのに他人の言葉で語っている自分に違和感があった。自分より著名な人に説得力があるんだから仕方ないけどね。

でも、それが通じやすいからって、自分の言葉を減らすのは、どこか違うなと。ここはブレないようにしたいなと思った。

比率の問題だろう。だから、そういう意味でも著作権ってあるんだろうね。他人を侵害しないし、自分も侵害しないように気を付けろってことだ。

 

忙しいならモノを減らそう!!

「時間をつくること」と「モノを減らすこと」について、2018年まであと38日意識したい。

心理学者のティム・キャサーは「時間の豊かさ」が幸せに直結し、「物質の豊かさ」はそうではないと主張した。

(中略)

モノを減らせば、時間は本当に増える。モノを買う時間も、モノを探す時間も、家事の時間も、引っ越しのための時間も、ダラダラしている時間も減るからだ。

 モノを探す時間……トホホ。「収納」ってことじゃない!!という気持ちにもさせられる。とにかく、捨てよう!!

 

心理学者のダニエル・カーネマンは忙しすぎると、大きな喜びのはずの「子育て」すら楽しめなくなると、母親たちの行動を記録した実験で確かめている。

 ダニエル・カーネマンはたまにこのブログに出てくる『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 文庫 (上)(下)セット』の著者。

 

「モノ」を減らすと「人」に意識が向く 

自分に何も欠けていないと知ったとき、世界はあなたとひとつになる。(老子)

この感覚!別に老子になりたいわけではないが、世界を自分(世界がではなく)、世界を自分の一部だと思えたら、生き心地は力強いものになるだろうと思う。

私の語彙では「自己拡張」と表現しているが、。もしできたなら、自尊感情の高まりにもつながると思っているものだ。

 

どうしたって、何を追ったって

誰にでも自分より優れた人がいる。

 と著者は言う。その通りだ。きりがない。

 

比較についても温かいことが書かれている。

モノを捨てて、ぼくは自分を誰とも比べなくなった。以前は誰かと比べてみすぼらしい部屋に住んでいる自分が恥ずかしかった。 

誰とも比べない自分。いい。

比べるって話は、「比べる」だけで話すと矛盾することがあると思っているのだけど、「違い」は「比べる」ことが大切だと思う。ただその「価値」は「比べない」方がよいと思う。

どの人類も価値は等価(市場価値は知らん)という前提をなくしたい。これは、結局、自然権の話になだれ込むが。

 

「経験」は比べられない。

「経験」は誰にも盗めない、奪われない。

 といった言葉も。モノをすべて失おうが、自分は自分だ!!

 

そして、私たちの幸せには「モノ」より「人」が必要なのだ。

「Into The Wind」という映画で、クリス・マッカンドレスが「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」という言葉を残したそう。やはり、幸せを感じる上で大切なのは、幸せを分かち合える人間関係があることだ。

 私が養護学校でのOBのスピーチで感動した理由と同じ。

「花が美しく咲いているということ。食べ物がおいしいということ。生きる喜びをこの学校で教わった。」と言っていた。

これらは、人とのつながりがなければ教わることのできない。

「つながり」こそ至高。

学童の管理者だったときの理念もそう。

「一緒に過ごしている誰とでも、『おかえり・ただいま』や『おいしいものをおいしい』と言い合える関係。それが放課後の家庭ごっこで演出できる安心」だと考えた。

 

一人で幸せになれたとしても、そこには地球を登場人物化させたアニミズムが働いているかなと妄想。

人はみんな誰でも一人では生きていけないから

「すてきな友達」より 

と掛け合わせて考えると、人は一人では幸せになれない、そしたら生きてはいけないってことだ。

 

まとめると「捨てること」「幸せ」「モノと人」について書かれた最強の本だと思った。

大好きで大切な本『自分の小さな「箱」から脱出する方法』について書かれているところもある。

その付近に

お互いがお互いをモノのように思っているので、人間関係は固定化され、改善されない。人をモノとして見るのではなく、自分と同じように重要で、欲求があり、苦労があり、心配事があり、恐怖心がある人として見ること。 

とある。 

これに尽きる。

「捨てる方法リスト55!!」「さらに捨てたい人へ追加リスト15!!」という項目もあるので、捨てることに本気になりたい人は是非!読んでみてください。

「捨てることから自己啓発」させられる一冊でした。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 

 

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