かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

スポンサードリンク

【目的と手段】どんな手を打つか。次々と繰り広げられる将棋の盤上のように、良循環を描け

長期休みの予定を立てるのが苦手な「ハピペン」です。旅行に行きたい!と思ったときには遅いんだよなあ。

 

今日考えたことを書く。

 

やっぱり、指導には【目的と手段】って重要だろうなって思う。

 

例えば子どもたちに説明をしていてなんか見せるとする。前で示して、後ろの子に見えるか微妙な物なときがある。

 

さて、そうした場合の【目的と手段】は何か。

 

目的

目的をとりあえず「モデルを見せる」。「作業のイメージをもたせる」。説明を理解してもらうとしよう。

 

手段

そのための手段を考える。

  1. 自分が近づく
  2. 子どもたちを近づかせる
  3. 少数ずつ近づかせる
  4. 後で見てと言う
  5. 図に描く
  6. 教科書で確認させる
  7. 拡大版を作る

今、パッと浮かぶパターンは、こんなもん。

それぞれにデメリットがあって選びにくいと私は思う。

 

デメリット

  1. 自分が近づく:時間がかかる小、死角ができる、結局あまりよく見えないかも
  2. 子どもたちを近づかせる:時間がかかる中、さわがしくなるかも
  3. 少数ずつ近づかせる:時間がかかる大
  4. 後で見てと言う:作業時の動作が一つ増えて混乱のもとになるかも
  5. 図に描く:実物と違うから結局伝わらないかも、
  6. 教科書で確認させる:時間がかかる中、開くのに手間がかかる、結局実物と違って分からないかも、教科書をちゃんと見られない子もいるかも
  7. 拡大版を作る:事前の作業時間がかかる大

 

懸念は「時間がかかること」や「さわがしくなること」なのだった。

 

だとしたら、「一手」何を挟むか。

 

「時間がかからないための手」もしくは「さわがしくならないための手」を打てたら、懸念を事前に防ぐことができるかもしれない。

 

たとえば、

  • 事前に展示する、座らせる前に見せる

っていう手もあるかもしれない。その時見せる必要性があるかを検討してもよい。

  • さっと集まって黙る力を信じる

っていう手もあるかもしれない。今から前に集まるけど、騒がないでと釘を刺すというのはとうだろうか。

  • 1.の自分が動くで、見えた人は手を上げてとかで、回っても見えるかな。

そんな風に、懸念に対して講じられる手を打つと考えると、身動きするためのロジックは思ったより簡単になると思っている。

 

それでも懸念が拭えないとき、それはGOではないってことだ。

 

説明をする時間ってしょっちゅうあると思うけど工夫がいるなあと思う。

人は、純粋に距離が遠くなるほど当事者意識が薄れるし、動きがないと覚醒状態が保てず集中力が下がる。

 

目的は説明をすることではなく、説明を理解してもらうことだから、あらゆる手を意識して、右往左往して、こんなもんでいいかな?よりは、もっとがつがつ働きかけたいなあ。私はそういうタイプだなあと思った日。

 

 

スポンサードリンク