かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学と甘い毒。(旧:それでも幸せな人はいるから)

「どの人間も生きていてよい」【改め】

やっちまったー!!二日酔いーー!!!「ハピペン」です。

 

この本いいっす。めちゃ希望満載に感じる。

「なんとかする」子どもの貧困 (角川新書)

「なんとかする」子どもの貧困 (角川新書)

 

 

 何かすれば救われる誰かがいる。活動を一発で当てる必要はない。徐々に広がる。長く続けることだ。

 全く必要のない他者なんていないのだ。

テンプルグランディンの言うように、「世界はあらゆる頭脳を必要としている」。それが事実だ。

 

「子ども食堂」って面白い。大量生産ではない、POPな外食が「子ども食堂」なのだ。仕事としてやってんじゃなくて、人間としてやってる食堂。素敵だろうと思う。

 

そういうことがやりたい。「人間として」何かがしたい。ポジションで語るのは嫌だ。

 

あとは、すべて「マッチング」の課題なのだ。

適材が適所にいない。

 

そして、その「THE適所こそ学校の教室なのだ」というのが日本の教育システムだ。

「公」として示されているにも関わらず、そこは日常的に非難がある。すると、無意識にサブリミナルに人権に対するルール違反を承認する癖が身につく。これは怖い。

 

たとえばなのだけど、「ホームレスをよくないモデルとしたり」するのは、それをよくないとしている人たちによって不利益がループするってことだ。

 

ドイツの大統領の話が浮かぶ。

 

なっていないオレは悪くない。

なったその人が悪い。

 

本当にそうだろうか。

それは、考えもしないで「ホームレスを勝手にホームレスにしていないだろうか」。

 

なら「ホームレスに価値を与えたらいい」。そもそもそういう発想がない。「そうして良かったんだ」ということを知らない。まあそれも一人ではできないって思ってしまうけど。

 

 

うちの研究室では 、貧困とかホ ームレスとか生活保護とか 、そういう人たちをアルバイトで雇っているが 、その人たちの中には相当面白い考えの人たちがいる 。それを社会が生かし切れてこなかったのだと思う

(『「なんとかする」子どもの貧困』より)

この文を見て、なんか拍子抜けした。そうだよなって。そうできないフレームをどうするかだなあと。

 

「どんな人間も生きていい」ってのはそういうことだと思う。誰にでも価値を見出す。居場所をマッチングする。もちろん試行していく。

 

現実的な理想が求められるかもしれない。

でもアルティメットな理想を一歩ずつ進めるのが最善で最前だと思う。

子どもはその辺を見抜くと思う。

全員安心したいだけだしね。

 

そのための、コミュニケーションのin・outは一人でも多くの子がなるべく多様な手段を持ってできた方がいい。だから言語能力は必須になってくるかもしれない。ない人はない人でいい。ある人で補う。一緒にいたらいつも同じでないことに気づく。

それと、感情の扱いもいる。あと、つながりを楽しんだことがあるかないか。そうして、つながりを自分で生み出していけたら生きやすい。

 

人間はそもそも助けがいる生き物で、助け合うだけだ。それにやりすぎも不適切も別にない。そもそも履修主義じゃんとか思う。自分でやらせたからって身についているわけではない。一人でやらせてストレスになっている方が違和感がある。

身につけさせるなら、仕組みを変えたほうがいいって感じ。

 

今日、飲食店で声が印象的でパワーを感じる方がいた。秘訣を聞いた。何もなかった。ただ、その人の声を賞賛して終わった。

町中に、日常につながりは潜んでいるし、いくらでも生み出せる。つながりたいようにつながればいい。街中にいる人のいいところを見つければ、いくらでもつながれるのだと思う。嘘はダメだよ?

 

そういえば、もう一人ものすげー洋服屋の店員もいる。あの人ともつながりたい。

美容師にも一度来てもらいたい。あなたのためのマッチング。心に身だしなみについての意識を残せると思う。

そうやって街に好きな人を増やす。簡単なことだ。そして、めちゃ面白い。

 

そして、つながるには、自分が何者か知っていることが超重要で、それを否定しない風土を醸成する必要がある。世の中に怯えないで自分を語れる子どもを育てよう。

 

3学期。

自己紹介できる子どもたちを生み出す。

それで今年度のフィナーレに向かおうと思う。

カタルタを使おうーっと。