かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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【子どものまちのLDK】「さきちゃんち」でくつろいできたよっ☆

だいぶ咳が収まってきた。今日もいい天気だ!「ハピペン」です。

 

sakichanchi.org

 

昨日は、OXFAM仲間からの誘いで、さきちゃんちに行ってきました。

 

What's さきちゃんち

 「お友達の家に行く」感覚で行ける場所

まちの人が共有する「おうち」
子どもたちがまちの人に見守られながら、
つくる・たべる・あそぶ・まなぶ・くつろぐ場

 というコンセプトで運営されております。

興味がある方はHPを見てねっ☆

 

行動こそ最大の学び

一昨日、12時間の学びに参加した。大量の未知の世界を体験して脳がスッキリしていた。しかし、5H「さきちゃんち」に行くというアクションの方が本当の学びがあると感じた。

 

詳しくは書きにくいのだけれど、とにかく子どもたちに居場所は必要だし、そうした場で誰とでも気持ちよく関われるようにコミュニケーション能力をつけさせたいなあとか、発散のためのコンテンツってやっぱり重要だなあとかいろいら感じる。

 

当然、それが指導者に依拠するのではなく、彼らの中でモノにしてもらい、生きていけるように一般化、汎化、日常化をどう行っていくかも課題になるが。

 

やはり「今」起こっているんだから、言い訳をしている場合ではない

やはり「今」起こっているということも痛感する。

 

前に学童をやっていたので「保険」であったり、どこまで助けてしまっていいかなど、どこまで何を出来るようにしておき、実際何をやるかといった境界線の難しさがあると思っていた。

 

まさにそうで、その境界を設けるほど、救える子は減る印象。

誰でも来てほしいのに、ある子は来ないでということになり兼ねない。

 

私のいた学童は、学童以外の子と遊んでもいいか、どこまでサービスしていいかなどの課題があった。

人によって与えられるサービスが変わってしまうという問題もある。それはそれでいいけど、理念に反さなければね。

 

大事なのは「その時」にある資源で「今」を解決するってことなんだ。

 

社会問題の刹那的解決と長期的解決

社会問題には、

  1. 今すぐ解決しなければならなくて「今すぐ解決できること」
  2. 今すぐ解決しなければならいが「今すぐ解決できないこと」

がある。

 

たとえば、ご近所さんが

「今日うちの子を預かってほしいんですが……」

「分かりました!じゃあ、来年には保育士の資格を取って預かれるようにしておきますぅ☆」

これでは、助けになっていないというように、すでに問題は起こっていて、今!解決しなければならないことがある。

この例で言えば「資格がなくとも今日預かる」が、すぐ解決しなければならなくて「今すぐ解決できること」である。そして「毎回急に今日資格のない人が気合で預かる」のでは困ってしまうので、継続的にニーズを支えられるように「資格のある人、保険の整備、そこで活躍する人の人生の豊かさも損なわない」といった整備をするのが、今すぐ解決しなければならないが「今すぐ解決できないこと」で、長期的な目線で制度等もふまえながら解決していくべきことだ。

 

足立区のある一角に、年末年始の居場所として、さきちゃんちが存在している。

この町で暮らしている子どもは安心して成長していけるように思う。

全国に町に一つこういった居場所(コミュニティスペース)があって当たり前な方がいいように感じる。

もちろん稼働率の問題とか出るのかもしれないが、どこにでも当たり前にあってほしい。こういうところと、公の学校が連携して、多用な子どもたちのニーズを公とソーシャルで網羅しきって、子どもが安心して成長していける町を生み出していくことが理想的だ。

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