かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学と甘い毒。(旧:それでも幸せな人はいるから)

スーホの白い馬

流れる季節の真ん中で「ハピペン」です。

流れる季節のど直球。ど真ん中。そんな気さらっさらないね。端の端だ。

昨日の遠足についてのお家の方の意見が返ってきた。子どもが安心して過ごしているのが伝わってきたとのこと。そういう学校を感じてもらえたのは嬉しい。

 

そんな中やっているのが「2年:スーホの白い馬」の読み取り。

 

語彙や生活経験がないと考えられる彼らと、劇遊びをしながら物語を読み取るのは(読み取るというほどのことができている自信はないけど)面白い。

 

言葉を正確に読むというのが難しいから、身体を動かしながら、いる場所とか、したこととかをやらせると、誤りに気付いたり、起こっていることに気づける。

 

競馬大会で白馬に乗ってレースをする。優勝したのは誰ですかと問う。「とのさま」と言ってみたり(もう手に入れちゃってんじゃん!)、「いや、今乗って優勝したのあなたでしょ、あなた誰なのよ?」「●●●(本名)」「違うし!役よ役、今あなたは誰なの?」「スーホ」「でしょ?!買ったあなた誰?」みたいな。

 

白馬を失って悲しんでいるスーホにとのさまが白馬を渡しにきちゃったり(いいのよ、今道徳観発揮しないで、そういうことじゃないのよ。と)。

 

生活の中でまだ出くわしていない経験を感じ取らせるのがむずかしい。「眠ろうとしたがなかなか眠れなかった」とか。

 

そもそも「眠ろうとして寝れない」って結構大人っぽいよね。2年で出てくるけど。

 

ただ「スーホの白い馬」で一番日常とかけ離れていて、不明に陥るのは、馬を楽器にするところだろうと思う。

 

今回は、小道具として、画用紙で馬を作っていたので、そのシーンになって、馬を解体。ハサミで切らせる。そして、セロテープを使って楽器にする。

子どもがハサミを入れた馬の頭がちゃんと楽器の一番上にある。

 

YouTubeで、馬頭琴の音を鳴らしながら、その楽器を弾くフリをするのは、楽しそうで、周りの子も寄ってきてやりたがった。

 

スーホの気持ちとして、馬がいなくなって悲しいけど、楽器として生まれ変わって共にあるってそういうことなんだ。と、物を見てなんとなく知る。

 

二週間くらい、演じる中で私たちと一緒に登場していた白馬は死んだ。楽器になってしまった。

 

そこまで、画用紙の白馬に愛着があったか分からないけど、「切っていいの?」と「ここ?」と5回は聞いてきたので躊躇いはあったと思う。

来週、最終場面を読む。

 

白馬は死んだけど、楽器としては存在して、それを大切にしたってことが少しは伝わると信じている。

 

そして最後には、それを試すのに業者テストをやろうと思っている自分のつまらなさに落胆する。

 

今回、大切にしているのは、言葉の理解です。

自分たちで演じた動きや意味が想起できるようになるといいなあと思う。

それと、一番驚いたところを聞こう。