かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学と甘い毒。(旧:それでも幸せな人はいるから)

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おしまい。

久しぶりにコーヒーを飲んだら「うまい!うますぎる!」なハピペンです。正確には74日ぶり。脳の疲れの原因をカフェインと特定してみたからなのです。

疲れは減ったような気がするけれど、成果が別に変わらんので、いいかなーと。

と、思ったら、眠いのになんとなく眠れない苦しみに見舞われたハピペンです。なんだろーこれは!!

 

そんなこんなで、おしまい。今日でおしまい。

いろんなことがおしまい。

 

ありがとう子どもたち。

 

でも、誰とも繋がっていないような自分。

(この記事は、日本酒を飲んだ後に書いています。)

 

それぞれにある幸せを享受すること。そこに自分がいなくても、そこにある出来事は限りなく「あり」だ。

 

来年度、私が担任だったらいいと言ってくれていた子も。私が去ると分かれば、その期待は一瞬で最悪に変わる。休み時間に「もう、さいあくだよー。」と頭を抱えていた。

 

おしまい。

 

そういう反動を気にしないで言葉を受け取っているから苦しい。

そう、私は一転、最悪を引き起こす存在になってしまうのだった。

 

それは、その子といることが中途半端だったからかもしれない。きりがないけれど、それも受け入れられるっていうような関係はあると思う、長くいて、住まわせてもらえれば。

 

おしまい。

 

「いろいろなアイデアをいただけた」と言ってもらえる。本を読んで自分をこのままではいけないということを積み上げてきて少しは良かったのだと思う。

 

ハピペンロス。

そういう言葉を挙げてもらうほど、自分がいたのかってことが少し嬉しい。

 

これからも伸びていこう。と思いたくなる。

 

私という日常が去ることが、どう悲しいかは私にはあまり分からない。それは、私が反対に「誰かにいてほしい」って思うことをやめてしまったためかもしれない。

 

おしまい。

 

いろいろな環境に応じて自分がある。

職員室の席が一つ違えば生まれているコミュニケーションがあるのかもしれない。

 

だとしても、今年の自分には少しも全くこれっぽっちも悔いがない。一年間やりたいことをやる時間があって嬉しかった。少し失速気味だが、自分を携えて、自分を楽しんでいこう!

 

おしまい。

 

「戻ってきてほしい」という声。これも有り難い。ただ、素直に喜べない自分がいる。自分がもっと苦悩したいと思うような環境があるような気がする。自分なんて大したことのない人間なのだけど、もっと適所があると思ってしまうのだ。

 

おしまい。

 

もう一年いれば、交流もたせたのにとか。そういうのいいんだわ。お気遣いありがとうございます。

人ってそういうことじゃないだろうって思う。

なぜ、弱い立場の人が譲歩しなければならないのか。変だ。変で、変すぎる。

 

おしまい。ありがとー!

 

4月になるーと思って一年前を見返している。

ブログを読み返すことは、暇つぶしにはもってこいだわ。

 

あっという間の一年だった、いろいろ、全部、昨日のことのようだった本当に。

 

いいね!と思いやりを投げつけた日。

 

そして、私は雨の中を走らなければならなかった。

思いもモヤモヤも今感じる暗いことのすべては、明るい明日につながっていて、そんなの全部、容易く、振り切ってしまわなければならなかったのだから。

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