かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学と甘い毒。(旧:それでも幸せな人はいるから)

理想的な休日

3連休初日。激しく考えてはいないハピペンです。

ただ、体を移動して、本を読んで、話を聞いて、職場に行って、サイゼリヤ行って。

おーっと重要なことを忘れてる。

Apple pencil 落としてるやんけー!!最寄りからサイゼリヤの間で落としてらー。本当にアホ。

呪いだ。これは呪い。

 

午前は荷物を待つ。

 

午後はpiecesというNPO法人のCYW(コミュニティユースワーカー)育成プログラムの説明会。

 

そして、3H仕事をしに行った。移動の行き帰りで2H。全部で5Hこれは、ちょっとよくない傾向かもしれん……。

学びも仕事もあってってところは理想的な休日だけどね。

 

PIECESについて

PIECESは「子どもの孤立」の解決に取り組んでいる団体です。

 

VISION

「誰もが尊厳を持って生きていける豊かな社会」

 

MISSION

  • 子どもにとっての信頼できる他者を増やし、社会の受容性を高めることで、子どもが孤立しない仕組みをつくる。

 

CYW(コミュニティユースワーカー)という、子どもの孤立を解決・予防する人の育成も行なっています。

 

CYWには、

  • 特定の信頼できる大人になること
  • 多数の大人を接続すること

などの役目があります。

 

なりたいのですが、活動が主に都内なので、仕事との両立が簡単ではないような気がする……。

 

上の二つの条件を満たす存在に、自分の最寄りの地域で何か会をつくってなればいいだけだよなあとも思った。

 

ただ、とにかくPIECESのかかげる理念や言葉は響く。

 

「どんな環境に生まれ育っても、孤立することなく豊かに生きていける。」

「どんな環境に生まれ育っても、信頼できる人、相談できる人と出会える」

 

こうした世の中であるべきだって思わされます。

 

NPO法人PIECES

 

言葉を選ぶ、授業が変わる!

 

言葉を選ぶ、授業が変わる!

言葉を選ぶ、授業が変わる!

  • 作者: ピーター・H・ジョンストン,長田友紀,迎勝彦,吉田新一郎
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2018/03/31
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

「言葉は心の栄養」

このフレーズが重要だと感じて、自分の使う言葉を少しでも選べたらと思っていた矢先にこの本が出た。

 

「読むしかない!」という感じ。

 

まえがきからわくわくする。

「これを読んで、明らかに自分の授業が変わるのを実感したからこそ訳したのだ」と言ったことが書かれている。

 

騙されたと思って読む。

 

今の時点で「言葉の力をもっともっと信じたくなる気持ちが湧いている」。たとえば、子どもとのかかわりの中で自分がどこか嫌な感情になるとする。

それすら、その前後の自分の使う言葉、コミュニケーションの選び方で拭えるのではないか。と思わされる。

 

私は言葉のパワーに翻弄され、子どもたちを翻弄してしまっているだけなのだった。

もし、自分の使う言葉の意図をもっと意識できたら、子どもと私の関係はもちろん、子ども同士の関係ももっとパワーに満ちたものになるように思う。

 

読んでいるときのツイートをのせておく。

 

メモも。

 

とてもパワフルなヴィジョンです。

「教育を単なる子どもたちへの情報伝達とは捉えておらず、より公正で、互いに気づかい合う社会をもたらすための実践や練習の場と捉えています。学校で使われる言葉を変えたいだけでなく、学校の外の社会で使われている言葉を変えたり、言葉がつくり出す差別までも解消したいと願っています。

 

子どもたちに問いたいこと。

  • 赤ちゃんのとき泣いていたと思う人
  • たぶん泣いていたと思う人
  • じゃあ、なんで泣くのやめたの?
  • 言葉で言うようになったの?

言葉のパワーや大切さに気づけるかも。

 

子どもにはそれぞれアイデンティティーがあり、一人の人間として教師からも仲間からも尊重されたいと思っています。

そのためには「言葉」が大切であり、「言葉を選ぶこと」が大切であると著者は一貫して主張します。

 

「何も聞かれずに、やるべきことだけを指示される」ということは、これとは(主体的なアイデンティティを養うこととは)、まったく逆になります。

「何をしたらよいか」や「どうやればよいか」を明確にされてしまうと(しかもそれが何度も何度も繰り返されると)、自分が「できること」や「できないこと」、さらに自分が「誰であるのか」について、本来とは違った感情(本来とは違った物語の基盤)が提供されてしまうのです。

 

子どもは「自分たちだけで成し遂げる力」をもってます。

 

思えば、子どもたちに「先生には解決する力がある」ってことばかりを植え付けているような指導場面が多すぎるのかもしれない。

 

その度に子どもたちは自分は「無能だ」と再確認させられるわけだ。それは、あえて、言葉化され表現されてることはなく、暗に繰り返し繰り返し植え付けられていくことだ。

 

本来的には、子どもたちに「私たちのことは私たちで解決できる」そして「その力がある」と感じさせられる方をゴールにしたい。

 

この辺りは、アドラーであったり、ブリーフセラピーであったりにも通じるところがある。

 

この辺も見た日でした。

 

そういや、職場の最寄りに行く電車が揺れて、右足のくるぶしを若いねーちゃんのハイヒールに思いっきり踏まれたわ。そんな日もある。