かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

学童記(ある年の記録1・2・3月)

1月

January 16
『よっしゃー!雪!!』
年に2度くらいは、自然に恵まれて雪三昧の日が来ますね。

確かに覚えているのですが、
昨年は、寒いと言って外で雪遊びをしたのは少数精鋭でした。

わずかな人々で雪だるまを作り写真を撮った記憶があります。

しかーし!今年は違う!男の子が多いってのもあるかもしれませんが、
とにかく外へ繰り出して、どんなルールを作って遊ぼうが、数分後にはただの戦争です。
見境なく、誰かから誰かへの攻撃が始まります。

あぁ嫌だ。

優しくないぜ!

昨年の雪だるまを作るほのぼの穏やかとは違います。

小学生……なんて陰湿なんだ!!とか 笑

公園の階段がひどく凍っていました。お年寄りの方が1名すごくおそるおそる階段を一段ずつ降りるのを私は見過ごしてしまいました。
しまったと思ってすかさずスコップを取りに行きました。

そしたら、その雪かきしてる私に向かって無限に雪を投げてくるんですね。

やっぱり、あぁ嫌だ……と。

まぁ、半分、いやー多めに見て半分面白かったから良いですが、
本当眼鏡の内側に見事に投げて来たときとか、うおーーーーーって思いました。

でも、階段の雪かきをしてるときに、中学生が2人通ったですが、2人とも通るときに
「すみません」とか、なんというか挨拶をしてくれて嬉しかったです。

私なんてねぇ、どこぞの知らないおっさんなわけなのに、
地域の人ってことで、雪かきしてるからってそれだけで、柔軟にその場で挨拶を交わせるってすごいよなぁと。

なんでもやってみるもんですよね。
子どもたちにいくら妙な仕打ちを受けようがです。
それでも私は雪をかく!!
かいた!!

January 17
『よっしゃー!雪だーー???』
おーっとデジャヴだ。最近はデジャビューってのかな?

「いやいや2日目は、固いでしょ。やめませんか?」

「えっ、やわらかいよ?」

「(うっそつけ)……ホンマや。」
と、まぁそんな感じで、今日は雪かきもないし、

「よーし、いいじゃんか、やってやろうじゃんか。」
と揺るぎない戦いが再び……。

最初は、雪おにごっこでした。
これは、面白いアイデアです。雪を当てたらおにになると。

ただ、そんなんで済む訳ないのです。
鬼だろうがなんだろうが、ある雪を投げたくなるのが本能。
結局、戦いはまた加熱するのです。

とにかくみんなが敵でした。
今味方だった人が気づけば味方に追撃しニヤリとしている状況、
もはや戦いとしては荒れるに大荒れ大乱戦だったのです。

もう、暑い!疲れすぎるくらいに戦いました。

見つけて、気づけば、自然は面白すぎるわけだ。

January 18
『えーー!まだ雪ーーー!?』
そう、雪がわずかにでも残っている限り、戦いは終わらないのです!

しかし、固い、痛いので、やめっ!!

さぁ、それでも外遊びは終わらないみたいだぜ!

サッカーが始まったぞーー!!
いつ誰がすべって転んでもおかしくないかもしれない!
かつ、ボールが白から黒へ……。

一人また一人とボールを受けるほどちょっと汚れる洋服。
ちょっとじゃない子もいたような気もしますが……保護者の方々すみません。

けれど、やめらなかったのには理由があった!
子どもたちが楽しそうすぎた!
自分の思ってる身体能力と地面がいつもと違うというバランスが少しのスリルを味付けして、
ドキドキ笑ってしまうサッカーだったのだ。
最終的には、誰一人転ぶ子どもはいなかった。
もちろんそういう身体能力だと信じられたから続けたのだが……。

雪っていうテンションはとっても力強くて、どんな遊びも少しハイになって盛り上がります。
なんでもやりすぎはダメでしょうけれど……。

January 19
『絵にも描けない美しさ』
今日は星がきれいな夜でした。

そう思えるうちは幸せでいられないはずがない。
そう強く思いたい夜です。

この世には足りないものばかりです。

今日のところで言えば、いつもかもしれませんが、
まず、時間が足りません。

けれど、人間は優秀です。
大したものです。

その足りない部分を思いで埋めることができます。
時間でなくてもそうです。

足りないものを、人は思いで補っているところが多いのだと思います。

今日も足りないところがきっとあったはずです。

けれど、それは信じるとか、愛とか、期待とか、許しとか優しい感情で補われるだろうと思います。

反対に、優しくない感情で補われることも少なくないと思いますが、
今日感じたところにおいては、皆、最終的な末端の部分で優しい感情で補ってくれると確信しています。

「おっ、相変わらず何が言いたいのか分からないぜ?」
とお思いの方も多いと思いますが、

つまるところは、
子どもであれ、保護者の方であれ、
私は、純粋な今あるつながりを大切に愛おしく思ったということです。
たとえばですが、今日話せた人も、話せなかった人も、話しきれたかもしれない人も、他にも気にもしなかった人、そもそもいなかった人も、
とにかく足りなかったところがあるけれど、
それを補えるくらい、私たちは優しさに満ち満ちているし、美しさを持っているということが言いたいのです。

そりゃ星もきれいなわけだっていう話で、
皆さんの美しさ。
それは、たとえ絵に描けたとしても、
オレは誰にも描かせたくないくらい、尊いもので、掛け替えのない、今、そのときの本物の美しさ、
揺るぎなさを感じたというところなのです。

あぁ分かりづらいって?
もう、ある意味望むところです。

絵にも描けない美しさ。

January 22
『やっぱり必要な高学年』
と言っても、ここでは4年生の話ですが。

大分日が伸びて来てもう少し長く外にいたいと4年生が提案してくれました。

私もちょうどその通りと思っていました。

より長く外で遊ぶことは実は簡単だったりします。

より長く外で遊ぶには、他のことをすばやくやればいいです。

という提案を帰りの会でしました。

・帰りの会をするまでをすばやく
・帰りのかいのときふざけない
そうすれば、時間を短くできるのでその分長く遊べます。

子どもたちから意見が出てみんながよりよくなるのはとっても嬉しいです。

そのためには、必要なことと、やりたいことの間のアイデアを提案できる高学年が必要だなぁと。

すごいぜ!4年生!!

January 23
『インフルエンザ』
インフルエンザが流行り始めているみたいです。

例年上の地域から流行りますが、今年は下から流行っているかも。

1月のインフルエンザ感染者は、12月の10倍だそうです。

学童でも2名出たので、12月の時点で0.2名は感染していたと。
その0.2名分の予防に力が足りなかったのだと反省しています。
あと一歩。
もう一歩徹底できたはずなのです。

ちなみに、ノロウイルス等の感染は大分減ったそうです。

10倍も感染が増えているインフルエンザを倒すために、より一つひとつきちんと手を洗ったりしようと言いました。

January 24
『体罰』
もはや、大津のいじめ自殺問題の問題はなんだったんだっけ?
と思いたくなるくらい、こんどは体罰自殺問題がしばらくメディアで取り上げられています。

大人として何か子どもに話すことはないのか。
これは、大津の話のときも思いました。

私の答えとしては、
「それでも近くの大人がこう思っていると言ってやれることはあるんじゃないか」
というものです。

キャーやめてって思うかもしれませんが。

子どもに話すときは事実を客観的に述べます。
それでどう思うか、まず子どもに聞きます。
そこから出た意見の中で、全体に返すべき考えを広げて話します。

今回のキーワードとしては、
「学校で体罰があった
一日30~40回打たれたときがあった
お母さんに相談した
そのあとまた10回くらい打たれたときがあって自殺してしまった」

子どもには、一日に何回も大人から打たれることを変と思うかと聞きました。
子どもは、自分が悪いのかもしれないと思ってしまうとも言っていました。

回りの人はどう思うかと聞きました。
子どもは、友達が何回も大人から打たれていたら変だと思うかもしれないと言っていました。

そのとき回りの子がでも先生は良い人なんだよ、君が悪いところもあるよと言われたらどうかと聞きました。
子どもは、悲しいとか、ショックとか言っていました。

そういうときどうする?と聞きました。
模範解答としては、誰かに言うとか相談すると出てきます。

でも、今回はお母さんに相談したけど死んじゃった。どうすればよかったのか。
お母さんに言うのが一番大切だけど、やっぱり、まわりの誰かも変だとか味方になったり一緒に考えてくれないとつらかったんじゃないかと話しました。

誰かって誰と聞きました?
子どもは友達とかと言います。

君たちが、変だなって思ったことを変と言えるかどうかが大事だね。
まとめとしては、
君たちの回りにいる大人は、みんな学校の先生もお父さんもお母さんも学童の先生もなんでも聞くつもりでいるから、言ってね。
友達が困ってそうとか、こういうことがあったとかなんでも気になるなぁってこととか言ってねと。
言えば絶対なんとかなる!

そんな感じで終わりました。

彼らが大人になるほど、心地よい世界になってほしいです。

January 25
『優しさVS厳しさ』
子どもは、子どもなりの価値観で正義を全うしていたりします。

けれど、その正義はその場での思いつきにすぎず、本当の本当にそうしたいのか、
それを問う役目を指導員というか周囲の大人は担っているのではないかと思うのです。

良いか悪いかの決定ではなく、それでいいのかと問うのです。

誰でも、「あっ!しまった!」ってことはあります。
その場の自分の利益を優先してしまうときだってあります。
よね?

どういうことかというと、

一人の男の子がめそめそ言いにくるわけです。
「じゃんけんで負けたから見学って言って入れてくれない」と。

そういうルールの遊びだったら仕方ないです。
けどそこに本当になんの作意もないのか問いたい。
それでみんなが楽しく遊べるルールだと思っているのか。
どうも、そのめそめそしている子を対象にしたルールなんじゃないかと問いたいわけです。

本当はただ優しく導いてあげたいけど、今日は厳しめにいきました。
なんかあまりにも人に対して雑だなぁと思ったからです。

「なんで見学にさせたの?」
「人数が多いから」
「人数が多いとできない遊びをやってるの?どうしてもあと一人入るとできないわけ?」
4人で中当てをやっていた。
「いや、べつに。」
「それでもどうしても4人っていう理由があるならそれでいいけど。」
「……。」
「それは、○○がどうしたいかだよ、それでも5人でできるルールを作って楽しみたいのか、いや私は誰かを入れないででも4人でやりたいのか。これはオレの意見だけど、もしその4人ってルールにこだわるならまず自分が抜けるべきだね、誰かを泣かしてまで押し切りたいならそれでいいけど。それでいいの?」
みたいなことを言いました。○○さんは少し顔が曇りました。
一番は、じゃあ君が抜けろって私が言ったからです。
「泣いてる子はそういう気持ちなんだよ。考えろって。何か間違ってたと思うなら呼びにいけば。」
と言ってあとは任せました。

ちょうど迎えにいくのに4人が公園の出口へ走ろうとしたときに、泣いてた子は公園に戻ってきました。
そのあとがなかなか面白かった。
遠目から見ていると何やら話し合いをしているんですね、きっと全員納得を目指して話し合っていたのだと思います。
そして、その話し合いの時間が長い。10分はしてました。身振り手振りからああでもないこうでもないってやってるのがわかります。
そして最終的にどうなったのかというと、おにごっこがはじまったんです。
もう大人にはわけのわからない領域、いやむしろ聖域というほど、子どもの和解力、世界は別のルールで成り立っているような気がします。

これは、エゴですが。そこまで話し合う優しさがあるなら最初から発揮しろよと思ってしまいます。
けれど、発揮できない。しまった!がある。
それを振り返れるようにするのが大人の役割かと。自分で気づくべきだ派もいると思いますが。
けれど、そのあとそうやって話し合ったり優しさを発揮できるのだから、私は彼らの本質がそっちであってほしいのです。
それを見ながら今日も平和だと思うという、それで本当に大丈夫?というエゴの話。

帰りの会で、今日帰りの会の前の遊びが楽しかった人と聞くと、泣いた子を除いて全員手を挙げました。
その子に、直前の直前はどうだった?と聞くと。楽しかったと言っていました。
つまり、最初の方がダメだったから手が挙がらないってこと?と聞くと、うなずいていました。

まぁ、そっからはね、そういう日もあるさとしか言いようがないです。
でもちゃんとその後楽しくなっていて、彼らは寄りかかり寄りかかられつまずきながら、よりよく成長していくんだと思います。
また、一週間以内にそういうことがあれば、大人もより考えなければならないなぁと思います。

2月

February 13
『知ってる→できる』
「知ってる→できる」へ。

気づく→考える→行動する

なんて話をちらちらとしております。

一応、なんとなく行動するコツを知ってもらえたらなんて思って。

そうして、最終章。行動についてと思っての表題です。

知ってるだけでいいのかという話です。
できてなきゃ意味ないねと。じゃあどうすればできるのか。

答えは簡単で、けど、それじゃ確実にできるようになるとはなりませんが……。

答えは、『やろうとする』です。知ってる→できるの間には『やろうとする』がいます。
やろうとすればできます。

子どもたちの中でそうしたときを、ピックアップして褒めたいなと思います。

今やろうとした?できた?

できたね!!やっぱり、やろうとすればできるね!!というような……。

実際、やろうとしてできている子どもたちがいるので、本当にすごいなと思います。

尊敬。

February 14
『将棋』
今日は久しぶりに将棋ができたぞー☆

一年生の男の子で一生懸命な子がおります。
なんと!バレンタインデイ!

別にドキドキしてないんだからねっ!!

とか言ってみたくなったりして……笑

栄養不足の私に、1名チョコをくださいました☆
とーーーっても嬉しいです!
私のホワイトチョコ好きを把握し、1つ入ってました。
(あとで、聞いたら、みんなそうだよってことでしたが。)

そして、もう1名。
学童を昨年やめた子がチョコをもってきてくれました。
嬉しかったです☆
気持ちを行動で示す。大切なことを教わった気すらします。

その子が特別ゲストで帰りの会にも参加してくれました。
久しぶりでもすんなりといてもらえて嬉しかったです。

その子が帰りの会で書いた日記をのせちゃおーーー☆

「今日、みんなにあえて、うれしかったです。
みんな大きくなっていたし、みんな元気になっていました。
3月に○○くん(私)がいなくなるのは、さみしいです。」

みんな元気になっていました。とういうのが温かくてすごく好きです。
自然とみんなのことを見れるお姉さん……恐るべし!!

みんな、ありがとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

February 19
『顔色』
子どもたちは、いろいろな顔で帰ってきます。

遊びながら楽しそうに帰ってくる子もいれば、ぶすーっとしかめつらで帰ってきたり、
トイレに行きたくて焦って帰ってきたり、泣いて帰ってくる子はいたことないですが浮かない様子のときもあったりします。

けど、全部ありのままでいいなと思います。

ここに一歩入ってどこまで素でいられるか。
私は、大事だと思っています。

私が、いつも相変わらずで臆せずいられる日もあれば、
機嫌が悪そうで嫌だなと思う日もあるでしょう。

そのときどき、その環境に対して素を出せるかどうかが、気になります。

嬉しいのは、私がいつも通りであっても、不機嫌でも、
子どもは素直に、かかわってくれていると思っています。

今日は、なんとなく元気ない気味の日でした。

それでも、ぶすーと帰ってきた子は私の方へ顔を上げた瞬間笑顔で寄ってきたり、
ねー○○やろうーって言ったりして誘うというか受け入れてくれます。

気を遣ってるんだったりして……(笑)だとしたら笑えないのですが、

それがたまらなく嬉しくて、彼らが好きで好きでたまらなくて泣いちゃいそうだったぜー!!
って話なのでした☆

February 20
『やらない、している』
なんとなく、面白いことを思いつきました。

子どもは、

「やらないのではなく、やれないのではないか。」
「しているのではなく、してしまうのではないか。」

罪を憎んで人を憎まず。

彼らが悪いのではなく、彼らの中の何かもしくは、周囲に何か問題があるのではないか。

そう思うと、
彼らはなんにも悪くないと分かるので、しばらく見てられます。

最悪めっちゃ長いです。それこそ一つ進めるのに30分くらい辛抱したりします。
でも、辛抱できるときならしたいです。勝手ですが。

29分59秒までに、やらせようとすれば「できない、やらない子」になってしまいますが、
けれど、30分待てれば、「自分からできる、やれる子」になれます。
そして、褒めたくなって、
「自分からできるじゃん!」と。
そして、
「次もう少し早くできるといいかな?」って聞いてみます。
子どもは天才なので
「うん!」
って言ってくれたりします。
「そう、じゃ頑張れるといいね。」と言ってみます。
私も少しは押しつけがましいので、
「忘れちゃってそうなときは注意してもいい?」と許可をもらいます。
「してほしい」と言われればしますし、「しない方がいい」と言われればしません。
してほしいと言える子はきっと心地よい人間関係を知っているのだろうなと思います。

あぁ、愛したい!!

February 21
『緊急告知!!』
学童の窓に、模造紙を貼りました。

「 あいをみつける き 」です。

こちらには、木が書かれていて、葉っぱが貼られています。

愛、一枚につき、愛と葉っぱを交換できます。

全部の葉っぱがなくなって、愛が咲いたら大成功です!!

保護者の方々も書いてくださると、とーーーっても嬉しいです!

ちなみに「き」には、

あいをみつける木

あいをみつける気?(そんなん無理でしょ……いや!無理じゃない!)って思いが含まってます。

私は、がぜんみつける気です☆よろしくおねがいします。
February 22
『ゆっくり生きる』
本当にわかりやすい世の中です。

どんな疑問に対する答えも簡単に出ます。

けど、その中でもわからないことについて考えたい。

子どもは、そんな気持ちを持っている気がします。

たとえば、バリアフリーが進んで、表示や施設が変化したとしましょう。
その意味はすぐにわかります。
心地よく生きられるように。

じゃあ、なんでそうしたか?それが、たとえば、考えたいわからないことです。

子どもはいろいろなことを言うでしょう。

その子どものいろいろなことを聞きたい。

そのためにゆっくり生きる。

そうすると、なんでも愛しくなります。

なぜ、生きる?愛しいから。

愛しいから生きているのに、愛しめているか。
伝わっているか。

愛しみたい。ただ、子どもを見つめられる時間は、本当に最高に心地よいのです。

February 23
『二つあるもの、一つあるもの』
二つあるもの。それだけ大事ってことだよね。

一つあるもの。気を付けて使おうってことだね。

二つあるものが一つしかなくても。一つだけのものが二つあっても。
よくはないです。

なんの話かというと、顔のパーツの話です。

誰かが話しているとき、口は一つか。いろいろな人が話して口がいくつもあると、
なかなか苦しいです。

二つあって、それだけ大事なもの、使ってますか。と。
たとえば、口よりも、耳を注意して使っていますか。と。

そんな話を今日はしましたね☆

February 27
『壊れる』
物が壊れるときってのは、大抵正しい使い方をしていないときだったりする。

その物がもって生まれた役割がある。

たとえば、その物を使う人は、その物の役割を全うさせてあげなければならない。
ときには、その物がもつ役割以外の可能性を見つけることもできるけれど、
その場合、本当にそう使ってもらってその物が嬉しいかを考えられるようにしなければならないと思う。

たとえば、定規。
これは、長さを測ったり、線を引くためにある。
ときには、消しゴムを打つ道具にもなったりするだろう。(この辺りまでは定規も許してくれそうだ。)
では、定規で机を叩いたらどうか。
きっと定規の頭の中は全く意味不明で理解できないに違いない。
定規ってのはメモリのある方が欠けたらその選手生命は断たれるし、そもそもの生命が絶たれる(折れる)可能性もある。
本日あったのは、後者。定規は折れた。

物には使い方があって、違う使い方をすれば、その物自体か、その回りのかかわっている物が壊れる(可能性がある絶対ではない)。

机に座らないとかも似たところがある。物の気持ちを考えたい。

それができなくなってくると、次はどうなるか。

学校にナイフを持ってくることがすごかった時代から、それが普通になると、今度はナイフを使わないとすごくないと錯覚してしまうように、物は物なんだからとなると今度は人に向かう。

人の使い方というと語感が悪いけれど、心配な子がちらほら見える。

それは、人を間違った使い方してるんじゃないの?と思う。
本当にできてんのか人間生活と。

なぞなぞの本を見ている子を覗いた子がいて
その子に
「はっ!?見ないで。」
それでいいんだろうか。

人も間違った使い方をすればどうなるか。

それは、物と同じである。
壊れておしまい。

恐いなあ、と思う。

先の、物は生きていないという錯覚が恐いです。

けど、子どもは大切にされれば、大切にできるようになります。
まずは、誰が、与えるのかって話です。

人を蔑ろにしない。

February 28
『気持ちは渡せる』
必要な事実です。

「気持ちは渡せる」

挨拶とか、

元気な声で
大きい声で
相手を見て

と言ったりするのですが、なんで?っていうのが入ってないかなと思ったりします。

土曜日、アルバイトの先生が帰るときに、みんな挨拶をしました。
(あいさつに反応できるのは、本当にとてもすごいです!)
け・れ・ど、少しエネルギーが弱いなぁと思いました。

もっと、元気よく挨拶できるでしょ!?
とか、言ってしまいたいのだけど、

少し言葉を変えて、
もっと、元気あげれるんじゃない?と言いました。
そうすると、
子どもたちは元気いっぱいに挨拶してくれました。

関係ができていれば、子どもたちは気づいて相手に元気をあげたい、と思えるスイッチを入れることができるんですね。

挨拶で元気が渡せるって視点はなかなか必要なことだと思います。

あぁ、そっか、気持ちって渡せるんだなあ、と実感しました。

渡せると分かったなら。

自分がどんな気持ちを渡せているのか、考えて過ごしたいと思いました。

さて、どんな気持ちを渡そうか。

3月

March 07
『圧力をかけるのは圧力鍋に入るものだけにして!』
と、ただ思い付きで言ってみます。

子どもは圧力をかけると、その圧を別のところに逃がそうとして爆発します。

圧力をかけすぎると大変です。

圧力ってどんなことかというと、「何かすべきことをしなければ自分は選択されないかもしれない」という圧力です。

何かをしなければ認めてもらえないのは、社会生活においてであって、そのために親ないし回りの大人も何かをさせようとする必要もあるのですが、いつもそれではとても苦しくなります。

注意するなら抱きしめながらしたって良いのです。
それって圧力かけたいだけじゃないの?本当に子どもに伝えて正したいの?って思うときがあります。

もちろん私も怒るときはあります。それは悲しみからくるときです。どうしてそんなことをするのだろうと悲しくなりすぎると怒っちゃうときがあります。

えーっと、ガンダムのセリフを引用すると、
クロスボーン・ガンダムのトビアという子が
敵に「それが人間のすることかよっ!バカ野郎!」
って言うのがあって、そういう気持ちになると怒っちゃうときがあります。

でも、基本は、そのまんま、ありのままでいいんだよ。でも、こうしたい自分はいないの?って訴えかけたりします。
子どもは本当に天才なので、何が良いのかよく分かっています。ただ選択できないだけだし、動けないときがあるだけです。
気づかせたり、こちらを愛してもらうだけで、正しい行動をしてもらえたりします。

昨日ものすごいなあ、と思うシーンがありました。
おやつの挨拶のときに、1年生の男の子二人がどうもうまくいかなったのです。
誰かがちゃんとしなさいって言ってもいいし、今どうするときなのと訴えても良いでしょう。挨拶上手なのは誰かなとか誘い込んでもよいし、誰々姿勢がいいねぇと煽っても良いです。
私より早く2年生の女の子が動きました。なんて言ったかというと、
「挨拶のときだけ離れて、終わったら戻っていいから」と30cmぐらい席を離しました。
この言葉掛けの凄みは、「終わったら戻っていいから」というところですね。
あくまで、そのときのその行為だけが上手くいってないよと教える感じが素敵でした。
ダメだしも何もないのです。ただ離れてと終わったら戻っていいよなのです。

罪を憎んで人を憎まずってこういうことじゃないかなとも思いました。
よっぽど優しい。
言い方もお前はダメだって感じじゃないのです。割と事務的というかただ事実を言うだけで、いつも通りのトーンというか、大人って注意するときやっぱり憎しみじゃないけど、なんかこう痛いのがこもるところがあると思うのです。
本当に正したかったり、物事を進めたかったら、こうありたいなと、私は思ったのです。

圧力をかけない。

March 30
『学童のみんなへ』LAST
学童のみんなへ

こんにちは。

みんなには、人間一人ひとりを大切にしてほしいです。

今日で学童で先生をやるのは終わりになります。
私は、学童に5年11ヵ月いました。あと1ヵ月で6年間です。
みんなが小学校を卒業するまでと同じ時間ここにいたのだなと思います。

ほぼ6年間。いろいろな子どもたちを見てきました。利き腕を骨折して反対の手で1ヵ月キャッチボールをした子、私にバズライトわきげナガイヤーというあだ名をつけた子、パズルのゲームが得意な子、算数の宿題ができなくてもずっと正座で考えていた子、砂場で駅を作っていた子、4年生になっても平気で女の子を蹴っていた子、ドッチボールで1年生に「強いボールを取れたときの喜びも知ってほしい」と言った子、3年生になるまで外に出たがらなかった子、「お前なんか学童やめちまえ!」って言った子もいます。

みんなは何を見てきましたか。みんなは何を大切にしてきましたか。
もう一度言いますが、みんなには人間一人ひとりを大切にしてほしいです。

人間がもっているものは何だと思いますか。
私は、3つ知っています。
それは、「『いのち』と『じかん』と『おもいで』」です。
みんなには、じぶんとみんなの「『いのち』と『じかん』と『おもいで』」を大切にしてほしいです。

誰かの悪口を言ったり、怒鳴ったり、嫌いになったりして、誰かの「いのち」をいじめていないか。
誰かとふざけたり、わがままを言ったり、頑張ったことをバカにしたりして、誰かの「じかん」を奪っていないか。
誰かの作品に変と言ったり、できないことを笑ったり、写真に落書きをしたりして、誰かの「おもいで」を殺していないか。

気づいて、考えて、行動してください。

みんなで、みんながもっている「『いのち』と『じかん』と『おもいで』」を守ってほしいです。

ひとまず、私はおもいでに変わります。
私がいのちとじかんを使ってみんなとすごしたことは,おもいでになるのです。
そのおもいでを大切に守ってくれれば、私はいつでもそこにいられます。

たまに、思い出してください。
今、自分は「いのち」を大切にできているか。
今、自分は「時間」を守れているか。

私も、みんなとの「おもいで」を守り続けます。

ずっとずっと、だいすきだよ。
またね☆

 

ここまで目を通してくださった方。

ありがとうございました。

この1年がハピペンの基盤です。

今後もハピペン劇場をお楽しみください。同じ空の下で元気に幸せに生きていきましょう!!