かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

学童記(ある年の記録6月)

6月

June 01
『誕生日会(3回目)』

誕生日会だよ☆

今日は、2年生の女の子が誕生日のうたをピアノで弾いてくれたよ☆

きっと次からも弾いてくれるよ☆

誕生日会は、みんなでワイワイお祝いムードだったよ☆

優しい奉仕の心を持った人がケーキも買ってきてくれたよ☆

誕生日だった人に年をとった感想を聞いてみたよ☆

嬉しかったって言ってたよ☆

どうしてって聞いたよ☆

みんないたからって言ってたよ☆

そういうことを口に出せる環境・機会ってなかなかないって思ったよ☆

みんなって、あってとっても面白かったよ☆


今日の名言
「OKいいかんじ~」
ローラ

全部で"よ☆"でいくのは、ちと大変・・・・・・。

June 05
『時間を守る』
できるようにしたい目標を掲げて、それができる子が増えているなと思う。

そうすると、今度は、できるようになったことのパフォーマンスをあげていくことが目標になる。

ただ、やるだけでなく、素早くできるか、成功率は高いか、完成度は高いかが求められる。

ということで、少しずつ、今度はパフォーマンスを上げることを帰りの会などで話しています。

一つは、表題の通り、時間に関係するものがあります。
手を洗うにしても、帰って来て素早くできるかどうか。素早くやるにはどうすればいいかっていうと、
自分からやればいいって話で、その辺りを子どもに聞いて考えさせています。

片付けも時間によるところが大きいかなと思います。

日記を書く時間もそう、掃除の時間もそうです。

というところで、できるかどうかよりも、パフォーマンスが上がってくるかに少し視点をもっていきます。

日記、掃除で言えば、時間内にどこまでできるかってことになります。

まだ、詳細には子どもには言っていませんが、10分間で、1分間発表できるくらいの量が書けたらいいなと思っています。
文を書くには、読むのの10倍力を使うと言われているためです。
これは割りと合っていて、10分で音読できる分の、だいたい1分分が10分で書けることになります。

掃除も10分程度と思っています。長くやればきれいにできるのは当たり前なわけで、
時間の中で自分をコントロールして力を発揮できるかが大事になってきます。
本当の意味での、こだわって、心からキレイにしたい気持ちはもう少し先で意識させたいと思っています。
今は、自分がきちんとできたと、自分で思えるように行動できるかを育てたいということです。

ご家庭でも、どこでも、気が付いたときに、時間を意識して行動できるかどうか意識して育てていってもらえたらと思います。

名言のコーナー
「短い人生は時間の浪費によっていっそう短くなる。」
サミュエル・ジョンソン

June 05
『6月の目標ver1』
今日は、目標を決めてみました。

1、2、3年生から一人ずつ言ってくれたものと、先生の思うところを一つを挙げ、
全部で4つにしました。

1年生より
・かたづけをちゃんとする。(とくにロッカーをちゃんとやろう)
2年生より
・うがい(手洗いはできるようになってきたという視点)
3年生より
・すばやく動く(話している時間を意識したものに)
先生
・あいさつ(いつでも、だれにでも、自分から。手洗い、片付けに比べて甘いため。
よりしっかりと身につけたい)


あと、言わない方が良い言葉も挙げて、ポスターを貼りました。

×むり
×できない
×わかんない
×めんどうくさい

です。

より良い自分になるために、特に子どものうちは、自分の可能性を前向きに捉えてほしいです。

むり→むりじゃない!
できない→できる!
わかんない→わかる!
めんどうくさい→めんどうくさくない!

言葉に負けてやめてしまわないで、なんでもやり通す自分をもってほしいです。

名言のコーナー
「自分のじゃまをするやつとは、たいてい自分なのだ。」糸井重里

June 07
『安全と安心』
あえて、安全と安心を客観と主観に振り分けると、

安全の方が客観的であり、
安心の方は主観的である。

安全さは、事実に基づくところが大切になり、
対して、安心さは、一人の感じ方にすぎない。

学童では、安心安全という言葉がよく言われる。

ただ、本当に優先すべきは安心よりも安全の方だと、少し思った。

どういうことかというと、大人は安心したくていろいろ手をつくすのだが、
した気になって、安全が疎かになっちゃいないかということだ。

注意なんて特にそう、した気になって終えていないかが重要になる。

返事をさせればいいのか、目を見て話しを聞かせればいいのか、
罰を与えればいいのか、誉めればいいのか。

こんなのは、すべて大人が安心するためにやっていることに過ぎない。
では、どうすれば、注意したいことをやめさせて安全を確保できるのか。

行動としては、
上に書いた、
「返事をさせればいいのか、目を見て話しを聞かせればいいのか、
罰を与えればいいのか、誉めればいいのか。」
これと一緒になるような気もするけど、

その心は、
信頼によって行動がなくなるか、危険に対する客観的事実を受け取って行動がなくなるかのどちらかだ。

そんなのはみんな重々承知だと思う。

どの大人もそうしている。

しかし、ときに、安心が先をいってしまって、形に走ってしまっているときがないかと言いたい。

子どもが行動をキチンとやめる理由は、返事をしたからではない、目を見て話を聞いたからではない、
罰を受けるからではない、誉められるからではないのだ。

数回であれば、それで収まったように見える。
その後も、それで収まるとすればそこに愛を感じたからだろう。
もしくは、子どもが子どもを演じて付き合ってくれているだけだろう。

子どもが、愛と信頼を感じられれば自然と注意すべきことは減るという考えがある。

子どもが、注意されるようなことをするのは、私の愛情不足といつも思う。

ただ、誰が好きだから注意するとか、大切だからというのも潜り抜けて
お前自身が自身を生きたいと思って、自分を大切に生きようとしろよとも思う。

そのためには、なんであれ、とっかかりは他人の賞賛が必要になる。
君がいて良かった、嬉しい、超最高っていうのを表現する他ない。

その辺りも愛情の一部だろうと思う。

と、同時に単純に、学童生活における客観的安全の度合いも常に見直し高めていかなければと思う。

6月、子どもたちが良い方向に進んでいるはずだと思い、大胆にこんなことを書いてみる。

今日の名言
「危険を冒さなければ、危険を乗り越えることはできない。 」
ジョージ・ハーバート(17世紀前半イギリスの詩人・神学者、1593~1633)

June 09
『新しいものを受け取る』
昨日、近所の方(ジェントル)が、おもちゃをくれました。

CAROM(カルム・カロム)というもので、どんなゲームかっていうと、

子どもの方がたとえ上手で、

「なにこれ、おはじき?!」と言っていました。

そう、そんな感じ。

おはじきとビリヤードとカーリングが組み合わさったようなゲームです。

1988年には、日本選手権大会があったらしいです。

私は、はじめて見ましたが、由緒正しいゲームな様子。

ジェントルは、一度学童にカルムの説明書を持ってきてくださり、
ゲームなんかあげて邪魔しちゃ悪いということをとても気にしておりました。

説明書を見てみて大丈夫そうだったら、持ってくるからと、
2週間後くらいにまた、会いに来てくれて、是非やってみたいという旨を伝えると、
もう翌日持ってきてくださいました。

そんなこんなで、今、学童にはカルムがあります。

新しい物が入ってくると、新しい争いも起こり、いろいろなきっかけ、日常に色を添えるなと思います。

早々、泣いている子もおりました。

けれど、その熱いかかわりで確かに、距離が縮まります。
一時的には離れていても、ここでは大体毎日会うわけで、長い目で見れば解決できないことはないです。

広い目で見た、"きっかけ"を、ゲームをあげたいという偶然を通して地域の方がくださるというのは、
随分と祝福されたもんだなと思ったりします。

他者のかかわりなくして、育たないものがあるでしょうから、
たくさんのいろいろな人とのかかわりはいくらでもほしいわけです。
特に、特異的な親切な方とのかかわりは、きっとプラスしかないですから、本当にありがたいものです。
まさに、"有り難い"の"ありがたい"ですね。

最近、子どもたちの成長を望んでいる人が確かに"いる"という空気間ができているのかもしれないなと感じるときがあります。

子どもが育つかどうかは雰囲気が握っている部分もあると。
たとえば、愛されているなぁと感じられる雰囲気とか。

まぁ、その話は置いておいて。

ますます、たくさんの人の愛を、素直に受け取れる子どもたちに育ってほしいなと思います。

そうそう、受け取る準備ができていれば、それは自然と訪れるなんて考えは、やぼったいけど嫌じゃないなという話。
ではなかったか。

今日の名言のコーナー
「私たちがもっと素直になれば、私たちが毎日こうやって生きているということが、やはり他人の心遣いを受けて生きているのだということが、しみじみ感じられるはずなのである。わたしたちがあまりにも傲慢であり、意固地であるために、自分が何かを借りていると思うよりは、自分が何かを貸していると思いたがるのである。」

谷口隆之助
大阪産業大学学長

June 13
『やさしくなりたい』
「愛なき時代に生まれたわけじゃない」というところで。

まったくその通りで、いち早く"愛"の存在に気づくことが本当に重要。

子どもたちにもそこんとこを是非理解してほしい。
もちろん、愛は理解したって見えたりしないけれど。

ちらっと、優しい大人になってほしいという話をした。
2年生あたりは聞いてくれていたかもしれない……。

優しい大人ってのは、何かっていうと、

反対に優しくない大人を考えてみる。

たとえば、ゴミをポイ捨てする大人はどうか。

あんまり優しくない気がする。

自分が使ったものを片付けない大人はどうか。

これもあんまり優しくない気がする。

もしかすると、優しい大人ってのは、当たり前のことができる大人なのかもしれない。
何かを買ってくれるとか、何しても怒らないとかそういうんでは決してないわけだ。

というところで(2回目)。
ルールを守れる人は優しいんだよね、というところを話ました。

ルールを守れる優しい大人になってよねと。

当たり前のことってのは、やって当たり前だけど、できて当たり前ではなくて、
結構難しい。

簡単だと思わないで、目指して、意識して、頑張って、自分をコントロールして、
当たり前のことをやろうと思ってやったら、それは随分優しいよと言いました。

ホント、言っただけ。

電車の中から見える位置に大きく"ポイ捨て禁止"なんて幕を貼らなくていい世代になってほしいなと思います。

まぁ、なんであれ、良い方に思うのは大事。


余談としてカルムで楽しそうに遊んでいた姿があったことを書いておこう。
学童の2年生以上の子たちは、昨年一時消しピンって遊びにはまっていました。
思えばこの遊びとカロムは、めっちゃそっくり!!

消しピンは、消しゴムをはじいて、他のプレイヤーの消しゴムに当てたりして、場から落とすゲーム。
場は、机など。


で、盛り上がってやっていたわけだ。
嬉しいのは、1、2年生が似たような目線で遊んでいたこと。
なんであれ、変化も大事。

いろいろなものを媒介にして、いろいろなかかわりを経験してほしいです。


今日の名言
「大切なのは どれだけ与えるか、ではなく
与える時に どれだけ愛を込めるか、です 。」
マザーテレサ

与えることが多くて、込めるのを忘るか。
はたまた、与えるものがいくらでもあるから、見えにくくなっているか。

June 14
『子どもの成長』
これは、2年目ぐらいにふと気がついたこと。

学童は、家庭という考えが強くあったときは、
何気なさを大切にしていた。

当たり前の実感、ないし当たり前を貯えること。
これこそが、家庭であり生活と考えていた。

何の気なしに笑ったり、会話をすることが、日々を送る糧になる。
とか、そんな考えがあった。

そして、ときに、子どもの成長が見えないときがあった。

「君、本当変わらないね。」というようなそんな感じ。

しかし、何気なさをキープすることに思いを馳せていた自分は、
そうそうこれこれ、この感覚が良いんだよ、くらいに思っていた。

そこで、ふと閃いた。
家庭における子育て。
親と子どもの距離感。
その子といる当たり前さ。
そして、その子の今は今しかないこと。

随分と貴重な時間をもらっているなと思った。

なんとなく勝手に、親が子どもを子どもと思えるのは、
身長が伸びている間だけじゃないかと思ったりして。
(息子とか娘でなく、"子ども"って感覚)

あと、その子が何か簡単なことができない状態っていうのは今しかないのだと強く感じた。

そして、そのできないことなんかが、日々を過ごしている中で全自動的にできるようになってしまう。
話していたり、見たり、身体の成長も伴ってできるようになっていく。

そして、ときに、はじめてできちゃった瞬間を見ることがあって。

この間まで一年生だと思ってて、あまり変わらない気持ちで接していたのに、
もうそんなことができるようになるまで大きくなったのか!!という。

そこで、重罪に気づくわけだ。
いや違う、毎日、いや、言い過ぎれば、毎秒毎瞬成長しているに決まっているじゃないかと。

自分は成長している部分を見逃して、成長していないところばかりに目をやってしまっていたのではないかと。

そうなると、もう子どもから目が離せない。
一瞬たりともその子から目を離すわけにはいかないのだ。
その子の成長の瞬間を一緒に喜んであげないわけにはいかないからだ。

子どもの成長は尊い。

変わるとすれば、その一瞬で何かが変わる。変わってしまう。
あっという間に、ついこの間までのその子とは違ったその子へと成長してしまう。

誰もその子の成長を止めることはできない。
誰もその子をそこに留めておくことはできないのだ。

そういうなんかこう、切ない感じ、淋しさ、子育ての哀愁のようなものを感じたのだ。
(こんなのは随分甚だしい話だが、思うのは自由ってことで許してもらおう。)

二度と見ることのできない、成長途中の子どもたち。

まぁ、その尊さは、結局見てくれの可愛さって話か!?とも今少し思った。
(人間は成長し続ける。子どもの成長の尊さをどうして感じるかを絞るともしかしたらなんて。)

そして、長い目で振り返ってやっと、その見落としや尊さに気づくことが出来る。

当たり前の日々を積み重ねながら、なんとかその一瞬一瞬を捉えることに尽力したい。


今日の名言のコーナー
「一瞬で、はかなく消えるものだから、オールスターは尊い。」
イチロー

ちょっとよくわかんないけど、今見た言葉の中だとこの感覚が近いはず!!
彼らは、これまでの彼らの集合体なわけだ。

June 15
『試み03』
おやつの時間に、

「僕も配りたーい」
「私も配りたーい」
と言ってくれる子が多いです。

とっても嬉しいのですが、
2ヶ月経って、4種類のおやつを4、5人で配ってわちゃわちゃしているのが、
悪くはないんだけど、あまり良いとは言えない感じがありました。

たとえば、2人でゆっくり配るのと同じくらいの時間がかかるのです。わちゃわちゃなって。

かつ、これは何年もずっとそうなのですが、おやつの時間はとてもとてもにぎやかなのです。

そこで、配るのは2人くらいでゆっくり静かにやってもらって、
待っている間には、本でも読んでみようと思いました。

私が、"はじめての伝記101人"というのが好きなので、しばらくはそこから選んで読もうと思っています。

雑然としていたおやつを配るのを待つ時間が、とりあえず有意義なものになりました。

今日は、野口英世でした。

アメリカに行って、「もしかすると、日本人は眠らなくても平気なのかね?」
と言わせてしまうほど、勉強熱心だった野口英世の話を聞いて、子どもたちが感じるものもあった様子。
千円札というのもあって、視聴率が高かったのかな。

読み聞かせの時間を設けてみますという話でした。

今日の名言のコーナー
「メリー、ごらんよ、これがいままで研究してきた細菌だ。どうだい、花のようなかたちだろう。」
英世から奥さんへのセリフです。
恋は、その人のすべてを輝かせてしまうのだなと。

June 19
『笑顔』
今日あったことを振り返って、

1年生が工作を頑張ったとか、
2年生が宿題誤魔化すとか、
今日からは水をよく飲むこととか、

いくつか思いつくのだけれど、

最終的に、保護者の方の笑顔が心に止まった。

公園に迎えに来られたのですが、
そのときの笑顔がとっても印象的だったのです。

きっと、公園に迎えに来て、自分の子を見つけての笑顔だったのだと思う。

思い返せば、笑顔でお迎えに来られる保護者の方は結構います。

仕事から帰ってきて、自分の子どもを迎えに来て、
子どもを見つけて、一目見て、つい笑顔になってしまうとしたら最高に素敵です。

本当に!!

そして、そういう瞬間を子どもは読み取っているんじゃないかって思う。
親が自分が居て嬉しそうにしている姿ってやつを。

もちろん、いつもそう思うのは難しい。

「まぁ!!なんてことを!!」ってときは結構あるし、
「ねぇ!また?!」ってときはもっと結構ある。

でも、いろいろ悩んだり迷ったりしても、要所要所で結局子どもが一番っていう風に返ってくる。

「素直に言うことを聞く子どもなんて気持ち悪いでしょ。」
って、ドラマの最終回でオダギリジョーが言ってた。

その通りで、どんな子であれ、「もう少し自律して動いてよ」と思うときもあるけど、
ふとした瞬間に、子どもがいる喜びに気づいて表現できること、笑顔になれることが大事かもしれない。

まとめると、笑顔でお迎えに来られる家族ってめっちゃ幸せそうだなって思ったという話でした。

やぼな話をしてたらすみません。

今日の名言のコーナー
「子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ。」
夏目漱石『門』

言いたかったことは、これ。
ただ現実には、そう陽気でいられない何かがある様子。

June 21
『台風一過』
夜中に、台風が過ぎ去ったおかげで、朝の空はきれいでしたね。

いつもいつも、台風のときっていうのは、
翌朝の空がきれいになることを忘れていたりして、
毎翌朝驚いているような気がします。

止まない雨はないとか、
明けない夜はないとか、

その辺りの真実を、ガツンとおみまいされるような感じです。

子どもにも、台風の次の日のよく晴れたきれいな空を見ながら、
どんなことにも、必ずパァーっと晴れる日が来るなんて話ができたらいいなと思ったりします。
(天気の話なのに、頭の中が能天気「No天気」と)

人生は本当にそういうところがある。生活もそう。

もうだめだ~とか、大変だ~!!
ってときを乗り越えるのは結構大変なのだけど、
いろいろな気づきとか、助けとか、いろいろなものが折り重なってなんとか乗り越えられる。

大変な辛いときに、台風の翌日の空なんてまず思い出せないのだけれど、
台風のまっただ中のときと、翌朝の空の青さを比較して感じる驚きみたいなものを意識してでも体験させることは、人生を進める材料の一つとして大事だろうと思う。

台風の翌朝の空はきれいで眩しい。
人生には、台風の翌朝みたいにどん底から思いっきり晴れるような要素がある。

要は、人生って本当に眩しいってところを、いろいろな瞬間に伝えられたらいいなと思うのです。

台風一過の空を見ていると、その後、2、3日ぐらいは、
どんなときも必ず晴れる日が来るって思えて頑張れたりします。(効果短っ)

午後は、曇っていたので、子どもたちには、空の話は特にしませんでした。

むしろ、子どもたちは上を見て空というより、下を見て水溜りでした。

恋焦がれ、庭の砂場にできた愛しの水溜りちゃんと、多くの子が裸足になって遊んでいました。
もしかしたら、プールに入れない日が続いているモヤモヤも手伝って、水溜まりでストレスを解消したのかも。

水溜まりで遊ぶのは、幼児であればよくある光景なように思いますが、
小学生になって十数名で水溜りで遊べるっていうのは、少し羨ましいなと思いました。

実際は、空なんか見なくたって、どこを向いていようが、そこに純粋さや夢中さがあれば良いのかもしれませんね。

空なんかより、水溜りを見つめる、純粋さや夢中さの方が、そう彼らの動向の方がよっぽど眩しい。

それでも、仰ぐものは必要だろうけどもね。

今日の名言のコーナー
「幸せとは、空にかかる虹を仰ぐこと。
不幸せとは、その虹をつかもうと地団駄を踏むこと。 」
イ・ギュギョン『おなかがすいたらごはんたべるんだより 』

今日の子どもバージョンで言えば、
「幸せとは、少しでも早く水溜りに入る許可をもらうこと。
不幸せとは、その許可が下りないまま大人になること。」
かな、と。
子どもの方が現実的で実用主義なときがある。

June 22
『答えのないこと』
今日は、

公園では長くサッカーに熱中している子がいました。
チーム変えず40分くらい継続してできました。

中では、一年生たちがレゴをしていました。
こちらは、同じことの繰り返しではなくて、友達の編成が変わっていたりするので見守っておく。

庭では、女の子たちが、ごっこ遊びをしていました。なぜか靴磨き屋さん。

いつもより、遊びに力が入っていると見えた日。


表題の答えのないことっていうのは、帰って来てからの子どもの会話で、
おもしろいなと思ったので書いておく。

子どもは、本当におもしろくて、
急に真理の探究に目覚める瞬間がある。
ときに、真理が口をついて出てしまうときがあるというが、そんな感じ。

第一幕

子1「ねぇ、人っている意味あるの?」

私「あるね。なきゃいないでしょ。」

子1「じゃあ、どういう意味?」

私「まぁ、いるってことは、その人にしかない何かがあるんじゃない?
その人だけのものがあればいる意味があるでしょ。自分だけのもの何だと思う?」

子1「心?」
子2「命?」
子1「身体?」

私「だいたいそんなところじゃないかな、私は、時間とも思うけどそんなところだよ。」

子1「それだけ?じゃあそれがある意味は?」

私「それは、自分で考えてほしいけど。たとえば、私がいて、君が嬉しいとか、
何か感じたりすることがあるとすれば、それだけで十分意味があると思うけどね。
私は、君がいて良かったとか嬉しいとかって思うときがあったから。君がいた意味があるなって思うけど。」

子1「じゃあ虫は?」

私「虫も同じ。虫だけのものがあるんじゃない?」

子1「……」

わたし「(えっ、終わり?)」

第二幕
子1「名前ってどうして付けるの?」

私「どうしてだと思うの?」

子2「だって呼ぶとき名前がないと困るじゃん。」

子1「ねぇって呼べばいいじゃん。」

子3「遠くだったらわかんないから。」

・・・・・・。
一件落着みたいな雰囲気に。


私「便利だから名前をつける。そんなわけないでしょ。」
(余計かもしれないけど、口を挟んでしまった。)

子1「えー、じゃあなんでつけるの?」

私「なぜ、名前をつけるのか。そんなの!!
そんなのーーーーーーー!!愛してるからに決まってんだろ!!」

子1「へぇーそうなんだ。」

私「だから、嫌なときは名前で呼ばなかったりするじゃん。」

子1「……。」

私「(えー!また終わり?!)」

終了しました。
(もっと自分たちで楽しく考えさせてあげたらよかったかな。)

今日の名言コーナー
「テロでは、5000人が死んだわけだけど、
それを数だけで語ることは怖いこと。
その一人一人に家族があるわけで、
5000回のドラマがあるということを考えなきゃいけないんだ。 」
ビートたけし

命とか人権とか。
いち早く他人の存在に気づいて、誰にでも大切なドラマがあることは知らなければならないはず。

June 25
『水溜りリターンズ』
今日も池があったぞー!!
と口には出していないものの、子どもたちは今日も庭の水溜りで遊び始めました。

前回は、はだしではじまっていて、
今回は、長靴をはいていた子が多かったので、最初は長靴を貸し合って遊んでました。
水溜りの中をウロウロ。
次は、水溜りの中にジャンプ。
この辺りで、「飛び込むのはやめなた方がいいよ」と言った2秒後に一人が大ごけ。

腰まで浸っちゃいました。
そこからどうしてか、長靴は脱ぎ去られ、腰まで浸かって遊んでました。
まぁ、すごい。

公園でもブランコに乗ってビシャビシャでした。
水曜日の言葉を撤回したいような気もしましたが、面白いんだったら仕方がない。

また、さらに、成長が見えてしまうところが問題。
タオルを自分で用意したり、着替えで部屋に入るときに汚れてしまった床を拭き掃除したり、
きちんとやることをやっているから、良いか。となってしまう。

なんでも、やめさせるのは簡単で
(無理矢理条件を出してやめさせれば良い。もちろん無理矢理でもやめさせなければならないこともある。)

しかし、自分からやめるには、少しの忍耐と広い視野、時間が必要になる。
大人は水溜りで遊ばない。どうしてかは分からないが(生産性がないからだろうか)。

何度か凝るまでやったら、自然となくなるだろう。
3、4年生も入っていなかった。

ならば、今しか楽しいと思えるときはないのだろうから、
今くらいは存分にやらせてあげられたらと、やっぱり思うわけだ。

言いたいことは、
私たちは先を見ているようで、実は今しか見ていないということだ。
これは、まただけど、安心と安全の話に通ずる。
安心を考えれば今やめさせたいが、
安全を思うとどんなに時間がかかろうが本当にやりきって子ども自身から離れていく方が良い。

話が飛ぶけど、自立もそうで、依存のない自立はないのだそう。
依存しきれば、自立がはじまる可能性は高いわけだ。


今日の名言のコーナー
「 子供というものは、元気なようでいて、案外もろくて弱いものです。疲れやすいのです。」
大村はま

ただ、目一杯遊ぶ。
そうして遊び終わるころには、
名言にあるように、疲れてしまっているってことをよく知っておきたいなと。

June 26
『きちんとやる気持ち』
みんなで協力して過ごしてね、掃除とか頑張ろうねと言ったら、

一年生の男の子と二年生の女の子が
ホワイトボードに素敵な言葉を書いてくれたよ。

「そうじのじかんは、ちゃんとやろう!!☆
きれいにね!!☆あそばないでね!!☆」

ってみんなへの呼びかけです。

きちんとやろうと思ってくれるのはとっても嬉しいです。

今日の名言
「そうじのじかんは、ちゃんとやろう!!☆
きれいにね!!☆あそばないでね!!☆」

YES!!

June 27
『カラフル』
私が好んで視聴している番組がいくつかあって、

最近よく見ているのは、「カラフル」って番組。

金曜の午前にNHKでやっている。(土曜の朝にも再放送をしていたような。)

毎回、どこかの国のどこかの子どもが主役となって、
その子の生活を撮影し放送するドキュメント番組。

素人の子ども版情熱大陸みたいな感じ。

これに出てくる子どもはみんな生き生きしていると言わざるをえない子どもばかり。
正直、悔しい気持ちになるくらい。

昨日も録画したものを見ていて、これに出てくる子どもたちに共通点が見えた。

すぐに答えを書いてしまうけど、
この子たちに共通するのは、「自分だけの時間」ではないかと思った。
(隣の芝生は青く見えるってのもあるだろうけど)

この日見た子は、
怪獣映画を撮りたいという6年生の男の子で、両親は陶芸家。

「帰ったらすぐ宿題をやれと言われるけど、怪獣のことが気になって、宿題をすぐやったことなんて一度もない。」
ってのは彼のセリフだ。

部屋の机の上には、自分が粘土で作った怪獣がいっぱい飾ってある。

怪獣映画を一本すでに撮っており(ハンディカムで)
それを友達に見てもらったら、次回作も見たいと言われ、
その続編を作っているところが本編。

二本目の製作に当たっては、賛同者も増え、一緒になって楽しそうに撮影準備をしている。

この辺りを見て、「最初から仲良くいつも誰かがいるわけではない」というところに目がいった。

一人で怪獣と遊んでいる時間があった。(なければならない時間だったかは分からない。)
なんとなく、本当の孤独や淋しさの先にしか、大切な自分とか、
他人の愛とかを知ることはできないんじゃないかと考えさせられた。

自分を生きられるようにするにはどうすればいいのか。
いつも誰かがいて、まぁいいやって誰かに話しかけていたら、
ちゃんと自分を見つけて生きられないんじゃないかと。

みんなといても、自分だけの感覚というものと見つめる時間が必要なのではないかという感じ。

と、前フリがいつも長いのだけれど、
自分だけの時間を持ったらいいよねと子どもたちにも話してみた。

(ここからは、帰りの会。)
指「今日テレビで見たんだけどさ、6年生の男の子で怪獣の映画を撮ろうって思ってる子がいてさ。」

2年女子「怪獣なんているわけないじゃん。」
(指摘したいところは本当にこれで、常に仲間に入っていると、その仲間の中でおかしいってことは、
おかしいってことになるし、一人でいたら言われる必要のないことも仲間といると言われることがある。)

指「毎日誰かといたら、今みたいにやる気がなくなるようなことを言う人がいたりね、
つまんないなって思っても誰かに話かけちゃえばよくなるでしょ?
いつも一緒にいるからさ、ふざけちゃおうって誤魔化す人がいるのかなって。」

(子どもたちはまぁまぁ真剣。)

指「それはそれでいいんだけど、この男の子みたいに、
自分だけの時間にしか出てこないもの、見えないものって絶対あると思うんだよね。
どうすりゃいいのかって話だけど。日記は自分だけの時間にならないかな?」

そんなこんなで、日記を自分だけの時間にしてほしいことを話した。
(もともとそうあるべきだったけれど。)

自分だけの時間っていう言葉が結構分かりやすかったみたいで、
これまでが嘘みたいに書ける子が増えた。

本来は、放課後はなんとなくで生きられてしまう時間で良いのだけど、
いつも誰か話相手がいて、自分の気持ちを見ないフリできちゃう部分もあるなという話。

今日の名言
「人間は孤独でいるかぎり、かれ自身であり得るのだ。
だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ。
けだし孤独でいるときのみ人間は自由なのだから。」
ショーペンハウアー(ドイツ)

まさにこんなんが言いたかったのだ。

June 28
『知らない人が見てどう思うか』
きょうは、ベートーベンを読みました。
5年間も耳が聞こえないことをばれないようにしていたベートーベンの人生にみんな耳を傾けていました。

この話とは関係ないのですが、

帰りの会で話したことを書きます。

とっーーーっても大事な話!と題して、

この学童に足りなかったものーーーーー!!
を伝えました。

それは、
「知らない人がみたらどう思うか」です。

子どもたちは、知らない人がどう思うか判断できます。
なので、日々の行いを知らない人が見たらどう思うか。
そう考えさせると少しはかどりました。

片付けとかあいさつなんかは本当にそう。
知らない人がどう思うか。

大事だと思ったので書いておきます。

今日の名言
「素早く自分を見つけるには、できるだけたくさんの他人とかかわればよい。」

他人がいなければ、自分を選択することはできない。
心を使って、いない他人を想像して、自分の正しい行動を選ぶってことが必要かなと。

June 29
『こだわり』
子どもたちの中には、ある一つの良いことを、
これだけは譲らないというような感じで実践し続けてくれている子がいる。

ある女の子は、毎日丁寧におじぎをして手を揃えてさようならと言ってくれる。
ある男の子は、おやつや帰りの会のときにいつも一番にきちんと座って待ってくれる。
もうずっといつもである。

子どもたちは、自分だけの曲げない何かを持っている。

なんでもきちんとしている子とか、いつも優しい子というのは存在しないと思う。
いろいろな気持ちや具合のときがあってよい。

ただ、心の一番底の基盤に良い自分でいたいという気持ちがあり、
いつもある時に、自分を律して良い行動を選択できる子は強いなと思う。
良い自分でいたくないって子もいないと思うけど。

この"もうずっといつも続く良い行い"への"こだわり"はどこから来るのかなと思う。

私としては、愛が関係しているような気がする。

なんと、子どもがなんとかいろいろ考えて行動してくれるのは、
そこに"愛"があるからなのだ!!

愛がなければ、どんな状態でいたって良くなってしまう。

自分に対する愛か、誰かに対する愛か……。

子どもたちの、自分を律して自分の中でこだわって行動を選択できるところは本当にすごいなと思います。

愛のおかげ。

特に家庭の愛があるから、子どもは外でも良い行いを発揮できるのだと思います。
良い自分でいる意味や良さを知る基盤は家庭にしかないでしょう。

愛を振舞う。

今日の名言のコーナー
「本当にしてはいけないことは家庭でしか伝えられない。」
家庭で愛を伝え、愛のある行動を教えなければ、
子どもは外で何を聞いても、愛をもって行動することはできない。