かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

学童記(ある年の記録8月)

8月

August 01
『竹の水鉄砲』
今月の工作に竹の水鉄砲を作りたいと思い、
竹を竹材屋さんで買いまいした。

あと、材料にスポンジが必要だったため、子どもたち数人と買い物に出かけました。

とても暑かったですが、無事に買って帰って来れました。

帰って来て、さっそく作ってみました。

しかし、これがなかなか上手くいかない。
イメージとはちょっと違う感じに。

勢いよく押すと自分の方からも出て、自分も濡れる水鉄砲が出来上がりました。

これはこれで大分面白いですが。

子どもたちは、わいわいと庭で遊んでいました。

これも思い出の一つになったと思います。

August 07
『新しい風』
学童に新しい風が吹いている模様。

それは、穏やかな風、柔らかな季節を運ぶ風。

であれば、いいのですが、どちらかというと、
台風の可能性が高いかもしれない……?

きっと、しのぐとき、協力すべきときなのでしょう。

この世の中に必要のない時間は存在しないのです。

すべて好都合と捉えた方が、前向きに構えられ、幸せを運べます。

今日から新しいアルバイトの先生が来て下さいました。

この台風の中、学童に来て下さるありがたい存在です。

本当にピアノがお上手です。なんて言える立場じゃないくらい上手。

朝の歌でも伴奏をしてくださいました。

仲良く生活していきたいです。

また、今日から、15日まで、平和について触れさせてみようと思い。
毎朝の会で少し話をしています。

今日は、
戦争って知っているか。
日本は戦争をしたことがあるか。
68年前の今日特別な爆弾が落ちた。
そして、そのとき悲しいことが起きた。
今だに悲しんでいる人はいる。
という話をしました。

August 08
『反動』
少なからず、新しい風の吹く反動がやはりあり、

不安定な子もいるのかなと思います。特に女の子。

やり場のない気持ちがある。

回りにどうしようもない何かをぶつけている。

すぐ怒る。すぐ泣く。

けれど、連れ出して、二人きりになって話すと、
怒ったり泣いたりしていたのが嘘のように、安心したような顔で笑っている。
(安心って部分は思い込みかもしれないけれど。)

少しヤボな話をすれば、

嫌でも嫌じゃなくても、生きている限りは事実が起こる。(ちょっと言葉が変ですけど。)
その起こった事実と向き合わなければいけない部分がある。
もちろん、絶対無理矢理に向き合わなければいけないということではないです。

でも、その起こった事実に対して、向き合える兆しを与えられるのは家族しかいません。
子どもに関して言えば、
起こった事実について子どもと話したり、子どもから引き出しているかということです。

子どもの本当の本当はみんなの前では普通引き出せませんし、
引き出すこと自体簡単なことではありません。

でも大人が一言声を掛ければ救われる心があると思います。

地球は際限なく(私たちの感覚で見る限りは)回っていますから、
朝がくれば、朝にすべきことをせざるを得ませんが、

どこかで立ち止まって、待つ時間が絶対に必要です。

各家庭なりに起こった事実について話し合ってほしいなと思います。
(先生が一人やめたこと、いじめのこと、戦争のこと等諸々です。)

待つは大事。愛は時間です。
優先順位があります。
子どもが子どもでいられる時は今しかありません。

今日の朝の会では、
昨日の平和祈年式典で代表として選ばれ読まれた、
小学6年生の女の子が書いた「幸せな世界」という作文を読みました。

抜粋して読もうとしましたが、
「全部読んでー!」となんだかんだ興味をもってくれている子がいたので読み切りました。
平和や幸せには、自分だけじゃなく、みんなのことを考えるという視点がやっぱり必要だよね、と話ました。

August 09
『やりたくないと卒業生04』
結構子どもの言葉を鵜呑みにしちゃうことが多いのですが、

子どものやりたくないは、実は49vs51で、それを100vs0にすることが、
"やる"ということになるわけではないと、河合隼雄さんが著書の中で言っていました。

実は子どもに何かをさせるには、たった2どう動かすかなのです。
そうと分かっていても難しいのですが。

子どもの中にはちゃんとやりたい気持ちもあるというところをくすぐることが大事だと思います。

ただ、時間はかかる。2を動かすのにも、その日の子どもの状態で何がヒットするか違いますから。
でも、たぶんそれをいろいろ会話でやりとりして、命中させてあげること、時間をかけてあげることが愛だろうと思います。
万能なのは「○○したらね」とか「○○しないとやっちゃダメ」とかってやつで、
それは、会話がゴム鉄砲の打ち合いだとすれば、後者はバズーカみたいなもので命中率というか威力が激しいので2は簡単に動かせますね。むしろ100vs0にしてしまっているかもしれない。

また、私たちは2を動かす時間もないのかもしれない。
2を動かすっていうのは微調整ですから、慎重さ、熟練していなければやはり時間のかかる作業です。
だったら、バズーカを撃っちまえよってことですよね。

別の視点から考えるともう少し明るい部分もあって、
バズーカを打つときっていうのは、
"何かをしてほしいとき"という行動の結果に視点が向きがちですが、
行動ではなく、子どもの考えに視点を当てると、どんなときも都合の利く成長を促せるかもしれません。
つまりは、"他人の気持ちになってほしいとき"というところです。

その行動ができないというよりは、他人の気持ちになれないというところが大きいです。

他人の中では、家族は最も大切な他人と私は考えています。
つまりは、家族が大切にできなければ、家族でない他人を大切にするのはなかなか難しいと思います。

2を動かすのは、簡単と言えば簡単です。条件を出すか、飴をあげるくらいで2動きます。
ただ、そこに温かい愛が含まれているかどうかは、子どもはちゃんと見ています。

時間がかかっていい。掛けられる時間をどうにか手に入れていきたいものです。
時間が出来た分、仕事か勉強の時間をプライベートに持ちがちなのが現代ですが。
ここで、また、優先順位を問わなければならないだろうと思います。


そして、そして、本日忘れてはならないのは卒業生が来てくれたこと。
やはり水曜日は出現率が高い。
本日はいつもより大勢でした。中学1年生の男の子2人、5年生の男の子2人、4年生の女の子3人です。

女の子不足の学童にとって、とても良い風を吹き込んでくれたように思います。
2年生の女の子たちが一緒に遊んでもらって本当に楽しそうでした。
"今"を少しだけ信じたくなるような、楽しい時間、安心感を得たのではないかと思います。

男の子たちには、本の片付けを手伝ってもらいました。
また、微妙に模様替えをされた学童ですが、先生の机の左後ろに本棚が移動しているのは彼らのおかげ。

5,6年のいない放課後事業は成り立たないと言われますが、
やはりいると、賑やかさ、エネルギー、パワーが全然違います。
大人と子どもの両方の考えを持つことができて、子どもたちの生活に奥行きができるような感じがします。

たまにでも良いから是非またきてほしいです。
ありがとうございます。


今日の朝の会では、
『いたずらかいじゅうのおたんじょうび』という絵本を読みました。
少々露骨で良くなかったなと思ったのですが(こういうことに絵本を使いたくない)、
主人公のビリーが、自分のことだけを考えて少々失敗する話です。
ただ、「こうしろ」という話ではなく、考え方の提案であり、
材料の提供だと思っているので、これはこれで良かったとも思います。

みんなっていう視点に立てると、楽しかったり、幸せにつながることって少なくないです。
ブログでも連日言っていますが、他人のことを考えるのが本当に大事だと思います。
言えば、考えられないから先生はやめることになったし、
考える機会を与えるために協力しないと生活しづらい状況になったのだと考えれます。
そして、それは、大きく言えば周囲の大人のせいであったと思いたい。

自分をきっと世界は映してる。

もうこれ以上はかわせないし、逃げられない。残った大人がやるしかないのです。

August 10
『「同じ釜の飯を」と卒業生05』
本日は昼食作りです。
アルバイトの先生が中心となって作ってくださいます。

メニューはうどんでした。

やはりいつものお昼とは少し違う感がありました。
同じ器で、同じ物を揃って食べる一体感でしょうか。
壮大な感じで、愛のある風景に感じられました。

そしてまた、その味が本当においしかったです。
保育園で調理をしていた先生ですから当然といえば当然なのですが、味が絶妙。
子どもが「上手い!」と言いながらシャキーンと立ち上がっておかわりをもらいに行っていました。
ありがとうございます。

同じ釜の飯を喰うという言葉はダテじゃないです。
一緒に生活している気持ちが強まります。とっても家族っぽい。
楽しいですし、子どもたちをより近くに感じられました。


そして、そして。
本日も卒業生が少し来てくれました。昨日は来ていなかった子です。
というよりも、お迎えに来ただけだったのですが、巻き込まれたという感じです。
おやつの時間だったのですが、やっぱりいるだけでも違う。
何かが変わるところがあります。
人には多かれ少なかれ、長い物には巻かれたい願望があるのかもしれません。
もしくは、元々一緒に生活をしていたから無条件に心を許しているのか、そんな感じ。
異学年での生活というのは、すべての学年が少なくとも一人ずついて初めて完成するのかもしれません。
一緒に過ごしてもらってありがとうございます。


朝の会では、
テレビの放送に則って、11:02に黙祷をしました。
長崎での平和祈年式典です。(月曜日のブログで誤字をしました。記念→祈年ですね。)
起立→黙祷→着席という流れをテレビが指示してくれます。
私たちも立って黙祷をしました。
子どもたちは、何を祈るべきか一応考えて臨んでくれました。
戦争でなくなった人へ安らかに眠ってもらったり、平和を願ったり、また決意等々。
国内規模、世界規模で誰かを思える子がいる学童です。
黙祷はきちんとされました。
これができるなら、近所の誰かさんのことを考えるなんて簡単でしょと思います。

August 11
『遠足(2回目)と一週間』
良い天気です。快晴というのではなく、太陽に少し雲がかかっているはからいがナイス。
どうなることかと思っていましたが(本当に)、無事に終えましたね。

アスレチックに着いて、荷物を置いてから、グループで行動しました。
4グループ2まとまりで、1まとまり2人の先生で回りました。
アスレチックは、いくつかのブロックに分かれていて、
ファーストステージというところは、ならしに丁度良い感じで、
1年生、女の子はこちらで午前を過ごしました。
もう一つのまとまりは、少し難しいところに行っていたようで、
ギブアップ宣言もあったようです。

お昼を食べて、午後は池のブロックで遊びます。
なるべく着替えはさせたくなかったのですが、最後には半分以上がびしょびしょでした。
わざと落ちる子もいました。まぁ好きにはしゃいでもらっていいですが。
この池のエリアがわりと面白くて午後の1時間はここにいました。
そうして、着替えて帰路に着きました。

もう少し長居したかった感もありますが、もしいたら子どもたちは自力で帰ってこれなかっただろうなと思います。
チャレンジできていない残りは、また次回と思いたいです。

今回あったルールは、
・ふざけない
・じゃましない
・むりしない
でした。

前回の遠足よりも、当然ですが、公共の場においてはきちんと過ごしてくれました。
まだ、電車の中をうろうろする子もいますが、そういう年齢だと思います。
しかし、きちんと注意はします。

ここ連日、みんなのことを考えるということを戦争を通じて言いまくっている効果もあるかもしれません。
そういう煽りは入れます。「君たちがみんなのことを考えられないわけがないんだから、頼むよ、もう少しだけ頑張ろう」とか。
そうして無事に帰って来れたのだから本当に良かったです。

ただ、完全に無事かというと違って、アスレチックの出口まで行く途中で1名転んでしまい、おでこに擦り傷とこぶができてしまいました。申し訳ありません。
でも、誰が悪いというよりは、みんなが悪かったと考えます。これは明らかと思います。

帰って来てからは、数分振り返りをします。
みんなで過ごしている中の何かが悪かったから起こったことだと話しています。
もっとみんなのことを考えて良いし、あとほんの少しでも考えられていたら、誰もケガをしなかったと思うと言いました。

引率してくださった先生方には感謝してもしきれないくらい、本当に助かりました。
ありがとうございます。

一人ひとりもう少しドラマがあったようにも思います。
何が一番大変だったかとか、笑えたことは?とか、いろいろ引っぱり出してみてください。

みんな力一杯遊べた一日でした。


今日の朝の会では、
『だれも知らない』(作:灰谷健次郎)を読みました。
以前私が作った紙芝居があったのでそれを。

この物語の主人公はまり子さん。まり子さんは身体が不自由です。
上手く話すことができません。あーあーとかうーうーとなってしまう。
そして、筋力が普通の人の10分の1しかありません。
200mの通学路を歩くのに40分かかります。その間休憩を4回とります。

通学の途中では、町中も通ります。
町中ではいろいろな人がいろいろな言葉をまり子さんに掛けます。
中でも衝撃的なのは「あんな子生きてて何が楽しいのやろ」です。

どうしてそんなことが言えるのか。
それは、"知らない"からなんですね。

子どもたちは物語を通して、まり子さんの通学の様子を知ります。
読み終わって、「まり子さんの通学路行ってみたい?」と聞いたら、「行ってみたい!」と返ってきます。
子どもたちの方が、瞬間的に理解してくれるところがあります。
知らないから。知らないから蔑ろにできてしまう。
知れば変わる。愛せる。そう思います。

ただ、今の時代は知る時間がないってことになってる。家族ですら精一杯という感じに。
知るっていうことは時間のかかる行為です。これは絶対です。
まり子さんの話だって8分かかります。

けどたった8分使えば、知ることが出来る。あんな子、生きてて楽しいに決まってるじゃんと胸を張って言える。

みんなのこと、誰かのことを考えるには、"知る"ってことが必要になる。
できれば子どものうちから、誰かいろいろな人を知っていくことが大切だと思う。
子どもは知った材料を上手に使って生きられる生き物です。

最後は灰谷健次郎の詩を読みました。


あなたの知らないところに いろいろな人生がある
あなたの人生が かけがえのないように
あなたの知らない人生も また かけがえがない
人を愛するということは
知らない人生を 知るということだ


あなたたちは、知らない人生を知ったね。あなたたちは、人を愛せるね、温かい心を持っているんだね。
という気持ちです。

灰谷健次郎は優しい人だなと思います。
沖縄に行って、大切な人を亡くしたある人に出会います。
けれど、その人は強く生きている。亡くなった大切な人の分まで一緒に生きている。
自分が生きることでしか、亡くなった人の分も生き切ることはできないという無念さを知る。

いろいろな人生がある。どうすることもできない人生がある。
すべてその人それぞれの人生。

だけど、それを「知らない」の一言で済ましてしまうのは、あんまりじゃない?というところです。

悲しい人も、しょうがないって一人で生きない。
知らせていく。そして、知っていく。子どもたちにもそういう姿勢は作りたいですね。

August 14
『最少人数』
盆に親戚の子を寺子屋に集めたような人数でした。

2年生6名。平日の学童では恐らく一年の中での最少人数です。
コアな保育ができますね。

このくらいの人数になると男も女も言ってられません。

思う存分仲間を募って遊んでいました。

主には、セミ取りチームと、レゴお絵描きチームでした。
途中途中サッカーなんかをしたけれど、
今日は、今年度で一番暑いんじゃないかってくらい暑い。

というか苦しい。
やっぱり光化学スモッグも出ていました。

一生の中で一日くらいは、一日中セミに食らいつく日があっても良いと思うんです。
とっても夏休みらしいです。

のんびりと過ごしちゃいました。

たぶんこの何気ない日がこの夏の一番思い出に残る日になるような気がする。


今日は朝の会の話はお休みです。

August 15
『初プール』
ようやくプールに入ることができました!!

本日も少ない人数でしたが、小さなまとまりで遊べて楽しそうでした。


今年は、はじめて準備体操を子どもがやっていたりします。

子どもの協力が必要不可欠です。

アルバイトの先生のご主人まで手伝ってもらって、やっと安心してプールに入ることができています。

感謝です。


本日の朝の会では、
友だち観について話ました。

人を愛するということは
知らない人生を知るということである。

という言葉があります。
じゃあ、"知る"ってなんなのかというところです。

テレビで尾木ママと呼ばれて人気の尾木直樹先生の体験に、
中学生の男の子の友だちが亡くなったときのお別れの言葉の話があります。

その男の子は、亡くなった子の分まで生きようと考えます。
なぜなら「オマエは命より大切な友だちだから」です。

知るというのは、ただ知るというのもありますが、
究極の行き着く先は、その人の、いわゆる知らない人生と一緒になって生きていくということだと思います。

知らない人生がある。それをただ知るだけでも良いけれど、
知るの中でも、どのくらい知るかがあって、
やっぱり相手の気持ちになっていって、他人の存在に気づいて、自分の中に他人を存在させることが大切だと思います。

そんな話をしました。高学年向きでしたが……。

August 16
『クッキーと全国戦没者追悼式』
本日はお菓子作りで、クッキーを作りました。

しかし、女の子たちは午前で帰り、午後には男がクッキー作り、男に振る舞っていました。

作るのに熱心な子もいれば、出来上がると急に前傾姿勢になってくる子もいます。

みんなで分けて食べました。

出来は、子ども的には美味しいらしかったです……。


そして、8月15日は、全国戦没者追悼式です。
今日は朝の会はお休みで、午後、全国戦没者追悼式を見ました。

戦争から67年。67回目の追悼式です。

野田総理は
「今日のわが国の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれています」と言いました。

子どもたちに、こういう感覚があるかという話をしました。

当然"ない"と言います。私もありません。

ただ、少なからずそういう事実はある。知らなくてもいいんだけど、これまで生きてきた人がいるから私たちが手に入れているものっていうのはあるよと言いました。

続いて黙祷があり。

次は、天皇陛下のおことばです。

子どもからすると、天皇なんて知らんと言っていましたが、
日本人の代表のようなもの、日本人の幸せを願っている人だよと言いました。

一人の子どもが、「自分だけのことじゃなくて?」と言っていました。

また、天皇陛下のおことばは意味が分からないと子どもが言っていました。

この感覚はとても大事だなと思いました。
知らない人生を知るには、知識が必要になります。

分からないから、無視するのか。それとも知りたいと思うのか。
自分の考えが大切です。

戦争で亡くなった人がいて、悲しんでいる人がいて、その人の気持ちをちゃんと知りたいならば、
勉強するしかありません。

今は、分からなくてもいいです。
分かるためには、やっぱり勉強を頑張らなきゃいけないと言いました。

なぜみんな勉強をするのか。理由は簡単で、勉強が必ず役に立つからです。
それは、学歴のためという意味ではなく、他人の役に立つということです。

知らない人生を知るには、同年代であれば感性だけで良いかもしれませんが、
年や生きた時代が違えば、様々な言葉が必要になります。

勉強をするのに、誰かのためという感覚があってもいいなと思い、
そんなことを話ました。

August 17
『プール(2回目)ともう一つの友だち観』
本日もプールに無事に入れました。

初参加の子もいて楽しそうでした。

プールでは5つルールを設けています。

1.プールサイドは「はしらない」

2.プールの中に「とびこまない」
それでも初回二人飛び込みがありました。次やったら今年は無しって言ってあります。

3.プールの中で「ふざけない」
本当は"溺れた真似をしない"が定番ですが、学童では"ふざけるときとふざけないとき"という感覚を持ってほしいので、(アスレチックのルールでもあった)"ふざけない"としました。楽しいと遊びとふざけは違うといつも言ってます。ふざけで人は死ぬよとも言ってます。

4.バディと言ったら「手をつなぐ」
なぜ、バディがあるかも話してあります。

5.笛を吹いたら何であろうと「全員出る」

この日は、1年生と、2、3年生で分かれて遊びました。
1年生たちに水慣れの時間が長めに必要な子がいると考えたからです。

プールがあるとホントあっという間に一日が終わります。


朝の会では、
昨日の全国戦没者追悼式は番外編として、
おとといの友だちについての話からつながって、
友だち観についてもう少し話しました。

最初は幸せって何か。
お金がある、物がある、笑顔になれる、楽しいなど4つくらい出て、
これを二つに分けました。
物の幸せと、気持ちの幸せです。

次に国旗を書いて、どこの国か。
日本とバングラディシュです。

バングラディシュでは、
一日に一度の食事につけない人が半数、
学校に行けない子どもが半数、ゆえに、読み書きができない子どもが半数。

ここの人たちをどう思うか。
悲しい、可哀想、大変そうなど。

けど、不幸に暮らしているわけではないと話しました。
物はないかもしれないけど、気持ちはどうか。

一つ小話をして。
バングラディシュの人に
「電気がないと不便じゃないですか?」
と聞いた人がいて、するとバングラディシュの人は、
「電気を使うためには、電線を引かなければならない。
電線を引くと友だちがひっかかるから電気は使わない。」
と言ったそうです。

私はジャンプ力高っ!とかって思ったのですが、
みなさんはどう思いますか?
私は、友だちって言われると大体人間しか思い浮かばなかったりするわけです。

答えを言ってしまうと、
その友だちっていうのはツルで、
電線を引くとツルが引っかかったり遊びに来れなくなるから嫌だっていうわけです。

学童では、最近虫を捕まえますが、
最終的には、逃がすとかって言います。
もしくは、下手をすれば大量虐殺が起きます。

他の生き物を友だちって思えるといろいろ話、考え方が変わってくるなと思います。

そろそろ虫とバイバイしようかなとか、
友だちを放っておいて殺すわけにはいかないなと。

伊豆大島で暮らしていた人の話も良くて、
そこでは、「お花を見に行く」なんて言わなくて、
「あそこに咲いた真っ赤なお花に会いに行ってくるね」と言うのが普通だそうです。

花に会いに行くってあんまり言えるもんじゃないよなと思いました。すごい。

そして、よくよく思えば、そんな当たり前のことは、ある歌で何度も言われているわけです。

ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、
トンボだって、カエルだって、ミツバチだって
スズメだって、イナゴだって、カゲロウだって、
みんなみんないきているんだ"ともだち"なんだ

これは冗談抜きで、そういう感覚なわけです。
正直半信半疑でしたが、嘘じゃない。

ともだちなんだなぁと。

言ってしまえば、知らないから分からないんですね。

生き物たちにある知らない人生を知ったら大切で仕方なくて、
ともだちに決まっているんです。

かわいそうだから逃がしてあげるのか、
大切だからバイバイできるのか。少し考えたいところです。

August 18
『プール(3回目)と地震』
やったー!!今日もプールに入れたよ!!

本当に嬉しい限りです。

今日は2チームに分かれて、水中のおもちゃを取ったりしました。
昨日ドキドキだった子も、水を顔につけながら遊べて良かったです。
水の中での身体の動きに慣れて行ってコントロールできるようになれば恐くないですよね。
予想外の動きが恐いのでしょうから。

最近は良く晴れます。にわか雨も少しありますが、青空を毎日臨めます。
子どもたちも無事に生活でき、夏休みも残すところ一週間というところです。

前にお話した台風も気づけば去ったように思います。
新しい先生も台風の中を子どもたちと一緒に凌ぎ、支え子どもたちを元気にしてくれています。

そう、またいつものように忘れていたのですが、
台風が来るということは、一つの約束がされたようなものなのです。

学童に不穏な空気が流れようが子どもたちの心に嵐が吹き荒れようが、
それは、もう青空が訪れることと同義なのです。

青空は約束されたも同然なのです。
ただ、ボーッとしていては、飛ばされるので、あれやこれやと手を尽くしてみる必要はありますが。
何もしない人間なんていませんから、
青空を思って、信じて生きたらいいのです。

あと一週間、気持ち良く過ごせたらと思います。
とりあえずの台風は去ったと思っています。


本日の朝の会は、平和等について考える最終回です。
ダラダラ長くやっても仕方ないので、ここで打ち切りです。
(打ち切りというか予定の通り)

私たちが地震についてきちんと知らなければならないことは、
地震で悲しんでいる人が、本当に確かにいるということです。

風化し、忘れたり、濁って見えにくくなったりしますが、
悲しんでいる人はいて、いざというとき、悲しんでいる人の気持ちを聞いてあげる受け皿を持ちたいねという話をしました。

閖上(ゆりあげ)の小学6年生の女の子の話をしました。
でも、みんなが分かったのは、この子がたくさんの人を考えていることくらいと思います。

こちらが分かったこととして、
嫌なこととか、悲しいことは誰にも言えないと子どもたちが考えているということです。
6年生の女の子は悲しかったことを言葉にして言わなければ始まらないと考え行動した子です。

なんでも言った方がいいです。
言って損はないよと、誰かに話を聞いてもらうと嫌な気持ちっていうのは減るから、
そういうときが来たら誰か見つけて話しなさいと言いました。
反対に悲しんでいる人がいたら大丈夫?って聞いてあげなさいと。

これもまた高学年向きかと思います……。

ただ、しかし、子どもたちと会話してるかなって気にもなります。
同級生の保育士に面白い人がいて、
その人は「話してるじゃなくて、語れよ!!」と言っていました。
そういうことなのか?とも思いますが、つまるとかつまらないとかじゃなくて、
大人の考え、エゴでもいいから、言いたいことや気持ちは、言う、話すだけじゃなく、
語らなきゃいけないなとは思います。

頑張ろう!最後の週!

August 19
『遠足(3回目)』
本日は、映画です。

結果から言うと、遠足の中で一番大変でした。

というのは、やはり上映時間が長かった……。

本当勉強になります。

遠足に関しては最後の最後まで怒濤でした。

まず、前売り券がないというのが大変ビックリでした。
(そういう映画があるって知らなかった。)

そして、思ったより、クライマックスまでが退屈してしまうというところが大変でした。
つまらながる子は、つまらながり、他のお客様の迷惑にも……。
(また見たいと言っているこもちらほらいますが。)

やっぱり、いつでも、誰かと暮らしているという感覚はほしいですね。

人間としてです。

悲しい迷惑はかけるべきではないでしょう。
それを注意してくれるほど社会が優しければ良いのですが、
そういうのを白い目で見るだけの方が多い社会です。

気持ちよく生きていくには、相応のマナーを身に付けて自分をコントロールする必要があります。

子どもたちの中にある"自由"の感覚が

「自由とは誰にも迷惑がかからないもの」

で、あってほしいです。

今回の映画は、思い出度としては低くないように思います。
楽しかったは、楽しかったです。

ただ、他のお客さんも同じ気持ちだったかというと……というところ。
そこだけが、本当にマイナスポイントと思います。

一人の生活者としての自覚を。

でもたくさんの協力があって無事に行って返ってこれました。
道中は上級生の活躍がなければ成り立たないところが少なくないです。
感謝。

August 22
『プール (4回目)とドッチボール』
毎年学童対抗でドッチボール大会があり(区内)昨年は準優勝となりました。
その他に昨年からは、市でのドッチボール大会もはじまりました。昨年は参加しなかったのですが、今年はどうだろうと思い、子どもたちに聞いてみると、もの凄い盛り上がりでやる気満々でした。

目指すとこ、倒すべきところが明確になると子どもの動きも変わってくるところがあります。
とても強いドッチボール熱が出てきました。

昨日から午前はドッチボールをしています。
気づけば一年生たちも、それらしくドッチボールができるようになりました。
四年生の声かけがとってもいいです。好き嫌いより、善悪で判断した声かけがされています。
公正な判断というのでしょうか。
回りの子も気持ちよく参加できるだろうなと思います。

これからドッチボールをきっかけに、より結束力が高まればいいなと思っています。

そして、4回目のプールでした。

今日で最後なので、小学校の皆様に、お礼のお手紙を渡しました。
この一週間学童は手紙ラッシュだったりします。
けれど、本当に嫌がったり、面倒くさがる子がいなくて嬉しいです。

多少、書くことに自信を持たせることもできているのかなと思います。
日記等で。

今日が最初で最後の子もいたのですが、まだまだ入りたかったそうです。
楽しそうで何よりです。

一人ひとり思い思いの夏休みが終わっていくなぁと思います。

本当にあっという間というか、無事終われそうなのが嬉しいです。

August 23
『リズム遊び』
本日は、新しい先生プレゼンツです。

リズム遊びを用意してくださっていて、
夏休み中一日くらい雨があるかなと思っていたのですが、
なかったので、今日やることにしました。

明後日で最後なので。

午前中、子どもたちはとっても楽しそうにリズムに親しんで過ごしました。

最初は四分音符と八分音符を見せて叩き分けをしました。

四分音符は、タン
八分音符は、タタ
二部音符は、ターン
ってな感じ。

それを踏まえて、次は、
これらの音符が書いてあって、
そのリズムと同じ音数の食べ物を当てるゲームでした。

たとえば、
タタタン

まぁ、これは"リンゴ"という感じです。

タタタンタン

なんていうと"みそラーメン"

面白いですよね!

しかも、やはりとても運び上手。
嬉しいです。

そして、その後、

いす取りゲームと、

これは、音楽と関係ないのですが、

なんでもバスケット

をしました。

午後は、習い事の子が多く少人数で外遊びをしました。

August 24
『お祭りの準備(その1)』
どうなることかと思っていますが、今日からお祭りの準備をはじめました。

意外と班行動ができる様子で嬉しいです。

1、2年生がほとんどなので、アイデアは持っていても全員に意見を伝えたり、引っ張っていくのがなかなか難しいかなと思っていましたが……。

女の子不足もあって、一つの班に女の子が一人だったりして、班が決まった瞬間はブーブー言っていたりしたのですが、はじまってみると楽しそうで何よりです。

私は結構子どものことを鵜呑みにするタイプなのですが、子どもは言うほど常に事態が深刻というわけでもないのかもしれません。
もちろん聞き耳は立てるのですが、強行突破も必要なときがある。

もしくは、以前言ったように、49VS51の法則なのか。

それにしても、暑いです。

子どもが全員部屋の中を動くとこんなに暑いのかってくらいに暑い。

夏休み終わり際で良かったですが、こんなに暑い日がたくさんでなくて良かったです。

今日は本当に大方お祭りの準備で終わりです。

ダンボールがこんなに見事に変化して、ダンボールも嬉しいだろうなと思う次第です。

今年は、

ヨーヨー
しゃてき
くじ
わなげ
ボウリング

です。

本番は月曜日。

August 25
『お祭りの準備(その2)』
本日は、

夏休み最後。

朝の会でも、夏休み中最後の歌の時間となり、
ピピ事お祭りでした。

みんな頑張って準備しました。

ダンボールでしかなかったものが、いろいろ楽しい道具に本当に様変わりして、
なかなかやるなと思います。

本当にきちんと遂行されました。
お店ごとのルールは子どもたちできちんと決めてくれました。

遊べる回数のやりとりは、スタンプカード形式です。
一人10回遊ぶことができ、一回遊ぶごとに、一か所にスタンプが押されるということ。

満足して終えることができた様子でした。


こちらからは、
お祭りごっこであり、お祭りふざけごっこではないと言いました。
ちゃんとお店やさんをしてくださいと言いました。

大きなルールとして、
言葉が厳しいですが、"犯罪行為の禁止"としました。
泥棒、喧嘩、裏取引が発覚したら即終了です。

お店の人の言っているルールをちゃんと守ること。
自分のことだけ考えてズルしないことです。

おかげかはわかりませんが、楽しくできました。

来年はもっとお店屋さん、景品が多いと良いそうです。
今年の一年生が成長して、来年規模が大きくできたら良いですね。


話は変わりますが、
本日光っていた子を紹介していこうかと思います。
(名言は大変。かつ、誰も求めていなかった。)

というわけで、
本日光っていた子のコーナー(こちらも続くか分かりませんが。)

本日光っていた子は、お祭りの片づけをしている際に、
「この机どうするの」
と聞いてきた女の子がいました。

特に考えていなかったので
「好きに決めていいよ」
と言いました。

そうして、
「私はここにあった方がいい」
と女の子が言いました。
いつもの本棚の前、おもちゃがいっぱいあるところの青い扉の前。

「じゃあそこでいいんじゃない?」
と言うと

「でも、ここじゃあぶないかも。みんなジャンプしたりするかも。」
と言ってのけるわけです。

上手く言葉が出ませんが、すごいなぁと思います。

「とりあえず、あっちにつけとく?」
と女の子が言って。

「そう思ったら、その通りだよ」
と言いました。

とりあえず、大きい机にくっついて置かれています。

とっても良い目です。何者にも代えがたいです。

一緒に働いてほしいぐらいです……。

August 29
『平穏さ』
本日はとっても平穏な日でした。

夏休みやお祭りが終わって、より学年の隔たりなく過ごす姿があるかなと思います。
新しいマッチングがあったりする。

学校が4時間なので、遊ぶ時間が多くて楽しそうです。

たぶん遊び続ける臨界点みたいなものってあって、一日中同じことをやるのってのはなかなかないです。

1週間の自然体験に子どもを連れて行って、最初はずーっとDSをやっている子も、
3日ぐらいするととんぼを捕まえ出すと言っていました。
(本当にレゴをやらせきりたいなといつも思います。)

というところで、遊ぶ時間がきちんと長ければ新しいかかわりもあったりします。
(4時間授業の方が子どもが育つんじゃないか。なんて言ってみる。)

夏休み効果です。

いろいろな子がいろいろな子とじゃれている感じが、その勉強に追われずに何の心配もなく過ごしている時間が平穏だなぁと思った次第です。

あと2日の4時間猶予期間を楽しく過ごしてほしいなと思います。

つづく


本日の光っている子

2年生の男の子が、学校始まって早々しっかりと宿題をやっています。
他の子は
「ない~」
と言っているのですが、その子は言われてやるでもなく、自分から時間を見つけて思い出してやっています。

すごすぎます。

やっぱり、自分の周囲にいるたくさんの人が好きなのだと思います。
大切だと思っているのだと思います。

だから、自分を動かせる。ちゃんとしようと思える。そういう優しさの原動力ってあると思うのです。
頑張りすぎないで、良い気持ちで自分をコントロールして成長していってほしいなと思います。


つづき

(そして、ここから下は、また無駄に長くおじさんが喋りだしちゃったので、よっぽど優しい方は見て下さい。忙しい方は、うるせーって怒っちゃうかもしれません。)

ここの学童はわりと学年の垣根がないとは思っていますが、上手にかかわって遊べるかというと違っているようで。

かといって、無理矢理仕向けたりはしたくないなとは思っています。

妙な信仰がないというか、自然に自分の世界の感覚が満たされれば外に向いてくるだろうなと思うからです。

1年生たちは、まだごっこ遊びが好きです。
2、3年生に指導してそれに付き合わせることもできますが、それが必要かというと違うように思います。

2、3年生はドッチボールが好きです。
1年生は少し強く誘えば一緒にやりますが、いつもではありません。
それも、指導すればやれますが、本当に必要かというと違うはずです。

もっと上手なバランスで、かかわり合えるタイミングがあると思うのです。
自分の学年での遊びがきちんと満たされて安心すれば、もっと他の人、多くの人とという風に目が向きます。

ドッチボール大会にしても無理矢理に結束させたいから出させるなんてことなら、出てもらいたくないわけです。
けれど、今回はとても自然にやろうやろうという風になりました。
練習の過程で文句は出るでしょうが。(2年生が熱いため。)

学童は、ほとんどの子が少なくとも3年はいるので、その間に他人の存在に気づいて成長できればいいと思うのです。

みんなのことを考えるというのは、本当のところでは、一心に自分と向き合うということです。

大体の自分で生きないということです。

「本当に自分はどう在りたいか?」と子どもに問えば、子どもは一番最善の正しい答えを出せます。(適当モードのときでなければ。真剣に問えば。)
これは、家庭と保育園・幼稚園教育の賜物です。本当にありがたいものです。

子どもたちの本当の自分の中に、みんなのことを考えて生きていきたいという考えが子どもたちにはあります。みんなで幸せになりたいという気持ちがです。

"そこ"を育てたいから、説教ぽくしないで、人とのかかわりの自然な移り変わりを求めるって話でした。

そこっていうのは、他人の存在に気づくのではなくて、他人の存在を認めるというものです。
気づいて声を掛けるのと、認めていて声をかけるのではいろいろ違うと思います。

ここでの、気づくは、ただ"いる"から声をかけるというニュアンスで、
認めるは、相手の立場に立っての声かけになるかなという感じです。

自分を生きるために、みんなのことを考える。

August 30
『4時間授業と卒業生06』
本日までどの学校も4時間授業です。

みんなでそろってご飯を食べることはしばらくありません。
本日もいつも通り賑やかにご飯を食べ終えました。

本当にドッチボールに力が入っていて、
ご飯が食べ終わって少ししたら外へ行きました。

学童に長くいると、いろいろな遊びが始まりやすいです。
今日は外に行くと、一年生の女の子が滑り台の下に人を集めてくれと言いました。

なんでも、歌を歌うからだそうです。
そして、いざ歌うとき、意気込んだものの緊張して声がなかなか出てこない様子。
おもしろい体験をしているなぁと思いました。

続いて、他の子も歌うことになり、順番に滑り台の上に立って歌を歌いました。
面白い試みだなぁと思います。


そして、今日は習字があるので、卒業生が来ました。
割とわんさかきました。
嬉しいですね。

2年生の女の子が6年生の女の子と話す時に、いつもとすこーしだけ声色が違ったりして面白いです。
おーい、よそ行きかーい。

夕方は、外で一緒に遊んでもらいました。
大縄を回してくれたり、自分たちもしたりしてもらったことなので当然なのでしょうが、
本当にごく自然に遊びに入れるところが、自然すぎて面白いです。

卒業生が気兼ねなくいつでも来れる学童だといいなと思います。

で、す、が、そんな暇はない方が普通ですよね。
健全に自分の人生に忙しく生きていてほしいです。

もちろん、来てもらって、たまの息抜きになれば幸いだなぁとも思います。

本日の光っていた子
「滑り台の上で歌を歌うと言い始めた一年生の女の子。」
なんでもやってみようとか、新しいチャレンジや思いつきには輝きがあると思います。

August 31
『こえのものさしと卒業生07』
こえのものさしなるものの話が、先日出まして、

そしたら、アルバイトの先生が作ってくれました。

まぁ、素晴らしいものです。
本当に女性っていうのは、こういうものに生まれもって長けていて羨ましいです。

学童に貼ってあるので、思い出したら見てみて下さい。

昨今、流行りの"みんなのことを考える"という生活の中で、
声の大きさを少し気にしてほしいなというのがあります。

いつも、怯えて生活しろという意味ではありません。
思いっきり叫んで良いときの方が多いです。

ただ、あるとき、他人の邪魔をしてはいけないときっていうのはあります。

そこで、自分をコントロールできるようにはなってほしいですね。
絶対できるようになれとは思っていませんが、集団でいる以上そういうものだという注意はしなければなりません。
清く正しく美しくなんていうのは気持ち悪いですが、目指すべきではあると思います。
また、ここの子たちはできなくないというところがあります。
自分で出来る、考えられるスイッチさえ手に入れば現段階ではこの上ないほど完璧でしょう。

夕方。
今日は珍しく早く帰って来れたというお母様がいました。

掃除が早く終わって、少し外に行けたのですが、一緒に来て大縄を回してくれました。

8人くらいいたのですが、まぁ、あまり上手くは続かず……。
みんなで同時に跳んで20回が目標でしたが、10回になり。

結果達成できず。運動については、本当にさまざま順番に訓練が必要なように思います。
走る、跳ぶ、投げる、昇る、降りる等々。
(走る、投げるは、レベルが高いかもしれない。)

一人の二年生の男の子がかなりテンションが高いなぁと思って。
いろいろ心中があるのだろうと思うのだけれど。

嫉妬だか、喜びだか。

その子が帰りにぼそっと
「いいなぁ、こんな遅くまで遊んでくれるお母さんで」
なんて言うわけです。
と言っても6時15分。

子どもの愛情のものさしって難しいなぁと思いました。
難しいというか、子どもは自分の都合に良い愛情を求めるのでしょうね。
愛されたい方法でしか愛情を感じとることができにくいのです。

ってなると、子どもとよく話合って、子どもの言い分を聞くしかないですね。

たとえば今回の話でいけば、
6時まで遊べるとして、
15分子どものわがままに付き合うと良い大人になったりするわけです。
もちろん譲れないものは譲れないとして良いですが、
でも、15分っていうのは、日によっては話し合いで決めることができそうな数値だなと。

話し合って、お互いの気持ちを寄せていくことが本当に大事だなと思います。
(私自身も、本当に交渉を100VS0でしない癖を付けたいなと思います。)

しかし、これが本当になかなか難しい。
"時間"がないってやつです。

けれど、「本当に時間ないの?」って大人はいつも自分自身問いかけなきゃいけないと私は思っています。

今しか優先できないこともあります。
優先順位に睨みをきかせる必要があるでしょう。

本日の光っていた子
「一年生の男の子で、いつも素早い子がいます。」
一番に気づいて行動できる注意力に拍手です。


そういえば、今日も卒業生が来たんだ!

昨日も来た子二人とそのお友達一人(指導員とは顔見知り)

しばらく遊んで、おやつを食べて帰りました。

いつもそうですが、一瞬で溶け込んで居座れる何かがこの学童にはあります。
誰も危害を加えてくる人がいないという特徴があるように思います。