かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

学童記(ある年の記録9月)

9月

September 01
『手紙の締め切り』
多少必死になってもらいたいと思って、何が何でも今日締め切りにする思いでした。

一生に一度しかチャンスのないこともある。
伝えたいときに時間を使わなければ、伝えられないこともある。
先生が4ヶ月時間を使ってくれた分、自分の時間を少しくらい使えよ!って思いです。
事の重大さなんて分かってもらわない方が平和ですが、

誰かを大切にできずに日々を何もなかったかのように流せてしまうとすれば、
その事こそは重大な事柄だと思います。

今日締め切りだからねと言うと、
「ヤバッ」という感じ慌てて一言も無駄口を叩かず本気で書いている子が7、8人はいました。

その「ヤバッ」ってのは、怒られるとかではなくて、ただ純粋に手紙が出せないって「ヤバッ」でしょう。
自分が気持ちを書くのにどれくらい掛かるとか、誰かのための期限に対して焦るとかは、簡単に経験できるものではないように思います。

何かを大切にするには、意思が必要になってくることが実際だと思います。
ただ生きていて何かを大切にするのは難しいことです。
大切に思うことはできると思いますが、それが本当に大切にできているかということです。

この手紙の真剣さが届くといいなと思います。

手紙の内容について相談しにくる子もいましたが、その本気度がいつもとは違いました。

「これでいいか。」
と子どもが言います。
「これでいいの?」
と私。

「う~ん。ダメかも。」

「じゃあ、ダメだね。自分で良いと思いな。」
(普段だとこの辺りで子どもは面倒くさがる。)

(けど今回は)
「何書いたらいいかな。」
(とたじたじしたりする。)

「○○とかは?」

「それ書いた方がいいかもね。」
とまた机に向かって行くわけです。

書きたい思いが真剣にあるっていうのが感じられました。
たぶん、少なからず伝わることでしょう。

書いた人は皆一生懸命向き合って書いていたと思います。
お疲れさまでした。


本日輝いていた子
「達人と称して、掃除を頑張ってくれた一年生が二人いたよ。」
いつもみんなのためにありがとう!

September 04
『聴く、会話、相談などについて』
やっと、遅れていたさまざまなペースを取り戻しつつあります。


(また、長くなっちゃいました。しかし、今回はなかなか良いことが書けたかも!!)


結論だけ言うと、
「子どもの話を聴けば、子どもは幸せに生きられるぜ!!」
ということです。

そういえばこういう本が目に止まりました。
一応細かく書くと、

『9さいからは、まかせて、はなれて、ちょっと聴く』
著:尾塚理恵子 出版:PHP研究所

という本です。

おそらく、題字に結論が書かれていますね。

"聴"くというところに注目したいです。
この"きく"だけあえてひらがなでないところが憎いですね。

この題を見て、「あんたたち大人が聴けてないからでしょうが!」と怒鳴られたような思いでした。


聞くと聴くを簡単に説明すると

聞くは、内容を聞くというイメージ。
聴くは、内容から気持ちを聞いてよというイメージ。
(もちろんここに解決してよという意味は含まれません。)

子どもたちは、聞いてほしいのではなく。

子どもたちは、聴いてほしいのだと。

子どもの話を"き"いても、子どもの様子がどうもおかしいとき、
私たちは、おそらく"聴"けていないんですね。

だから何ってこともありますが。
聴いたからって何になるのよ!と……。

聴く効能を2つ挙げます。

一つは、
小さいころから、大人が聴いてあげてると、小学校高学年~中学・高校になっても親子の会話がちゃんとできる。(らしい。)
小さいころに子どもの話を聴いていないと、
「今日学校どうだった」
「別に」
という方程式ができあがりやすい。

話す習慣がないのに、話せるようになるわけはない。ということだそう。

もう一つは、聴けていれば子どもの問題の早期発見が可能。
これがとっても大事だと思います。
高学年になって、問題が起こってから探りを入れようとしても、
やっぱり
「別に」
って返ってきちゃいます。
問題が起こる前から、いつでも味方だと寄り添うような、聴き手になっていることが大事です。
悪いことはなんでも早期発見する方が、治りが早いはずですしね。


子どもと話ができるとどう良いかももう少し書きます。

子どもと話せるということは、それだけで楽しいですし、
また、いざというときに早い段階できちんとした相談相手になれる可能性が跳ね上がりますね。

いじめ問題においては「誰かに相談すること」というセリフが盛んに言われますが、
私は自身はその効能がいまいちつかめていませんでした。

しかし、それがどんな風に良いのか最近分かりました。

私は、相談=解決の手段
と考えていたからピンと来ていなかったのですが、
(よく言われる男性的な思考ですね。)

実際は、
「相談をすると待てるようになる」
(これは、ある小学6年生女の子が言った言葉だそうです。)

その通りかもなと思います。
話を聞いてくれるところがある。
いつでも守ってくれる逃げ場がある。
一緒に共感しながら味方になって考えてもらえる場所がある。

そう思うと余裕ができて、すぐに解決できなくても待つことができますよね。
もう少し頑張ってみようかなと、猶予が与えられるわけです。

子どもが話さないで、一人で考え続けるとどうなっていくかというと。
良い結果にならないことは容易に想像できますね。

この辺りでまとめると、
あなたのこと考えてるよ、ちゃんと"聴"いてるよと安心させてあげることができれば、
聴いて、共感して、励ましてあげれば、子どもたちはいろいろ頑張れる可能性が高いだろうと。
そしたら、子どもが幸せに生きられるって話でした。


本日の光っていた子
「帰りの会で目標を言ってくれたみんな。」
みんな自分の出来ていないことを目標に挙げていました。
自分が何ができないのかよく分かっていておもしろかったです。
注意を聞いていなわけではなくて、たぶん、そのときはどうしてもできないのだなと考えさせられました。

September 05
『安心について』
昨日の話と少し関連して、安心について話します。

話を聴いたり、相談をするのは、なんのためかといえば、安心のするためだと思います。
人が生きていく中で一番なくてはならないものです。

人々の営みや日々のかかわりは安心のためにあると言っても過言ではないでしょう。

その安心のための手がかりを書いてみます。

そもそも安心というのは、心の状態です。いわば感情です。
現代は、まるで物が私たちを安心させてくれるような錯覚がありますが、
いざというとき、物や金銭だけでは安心が保てないときがあります。

物質的に満たされているからといって、いじめられても平気だということはありませんもんね。
最終的に人を安心させられるのは人でしょう。

そんなところで、
先日、プラン・ジャパンとケア宮城というところから、
「被災者の心を支えるために―地域で支援活動をする人の心得―」というものが発行されました。
各ホームページからダウンロードできます。

その34ページ辺りから身近な人ができる支援が書かれています。
「保護者が子どものためにできること」という項目があり
・いつもより時間をかけて相手をする
・安全であることを何度も言って聞かせる
・悪いことが起きたのはあなたのせいではないと話す
・できる限り、遊んだりのんびり過ごしたりする

これらは、子どもを安心させるための基本的な考えだと思います。
みなさん百も承知のことと思いますが、いざというときってどうしたらいいか分からなくなるもんです。
これが安心のために必要なことだと捉えることがでると、こちらが安心して子どもとかかわれますよね。
それが一番大切だと思います。

当然、方法論で安心が得られるわけではないですが、(安全であることを千回言えば安心するわけではありませんし、嘘を言ってもいけません)、一番最初にあるように、いつもより時間をかけ、心を向けて聴く姿勢でかかわることで、安心に近づくはずです。


36ページには
「子どものために言うべきこと、すべきこと」という項目があります。
・大切な人と一緒にいるようにする
できる限り保護者や家族といるようにする。離ればなれにならないようにする。
(これは被災した際のことですが、日常生活においても、心が離ればなれにならぬようにという心掛けが安心につながるかなと思いました。)
・安全を確保する
(こちらも被災した際の大きな注意。日常生活においては、話して親の気持ちや考えをちゃんと伝えることが一番の安全確保につながると思います。どうしても死んでほしくないからと伝えたら一番良いです。)
・聴き、話し、遊ぶ
ここには、落ち着いて穏やかに話しかけ、優しく対応する。子どもに分かる言葉で説明する。年齢に応じた遊びをしたり、子どもの関心事について簡単なおしゃべりをしたりする。とあります。
日常生活でも大いに発揮できる内容だなと思います。

一応紹介は以上です。
私が言いたいのは、

安心っていうのは、大人が優しく穏やかに考えることができていれば伝わるものだということです。
方法論を見て、実践できるかどうかではなく、たとえばこういう文面を見て「そうだな……。」と優しくなれるかどうかです。
それだけで、伝わるものです。
何度も言うように安心は、人の心によって抱くことができるからです。
その日、大人の心がどう反応したかを子どもはちゃんと察知します。

それに、こんな堅いことを日常的に実践することは難しいですし、ありえないです。
もし日々実践されたら、
「お母さんはいつから優しいロボットになっちゃったんだよ!」
って思うと思います。
感情的で良いです。ただ、ふとしたときにこういう優しい考え方に素直に納得できるかです。
そうすると、そういうエッセンスは心に入りますし、子どもとかかわるときに勝手に滲み出ます。
それを子どもは察知します。
「あれ、お母さん、僕のこと考えてくれてるな。」
と分かります。表に出なくても、必ず感じていて、それが響いて何年後かに大きな問題解決につながることもあります。

再び
「愛なき時代に~うぅ~まれたわけじゃなぁぁ~い!
強くなりぃたぁい~優しくなりぃたいぃ~」by斉藤和義
というところです。


本日光っていた子
ガンダムごっこをしている子が3人いました。そして、2人がまんまとケンカ。
するともう一人はしばらくして、
「やっぱり、オレやめよう」と言ってやめようとしました。
自分がしたいけれど、誰かが悲しくなるならもうやめようという感じ方がまずすごい。
その後喧嘩した二人は無事仲直りしました。

そして、ガンダムごっこは終結したかと思いきや、
再びはじまりました。

また喧嘩になるかなぁと嫌でしたが、
次は大丈夫そうです。

なんと!!
三人は空想の敵を倒せるようになったのです。
「ケンカにならない方法を考えて、編み出せて本当にすばらしいなと思いました。」

September 06
『もう少しだけ続けたい安心の話』
もう終わりにするのでどうかお許しください。

安心というのは、子どもを救う鍵になるみたいなことを昨日書いたつもりです。
(全然違うこと言ってたような気もしますが……。)

その安心のために一番の力となるのは母親だという話があります。
子どもの不安に犯されてしまった心を助けるには母親の愛情が一番効果的であり、
母親だけは絶対子どもの味方でいてあげてほしい。

というのは、日本防犯診断士協会理事の中山天(たかし)さんの話です。
もちろん母親がいなくても、それに代わる愛情をかけることができれば、助けることはできます。

中山さんはとても素敵なお話をしてくださる方です。
(ホームページにもそのエッセンスが書かれています。)
「誰かが100%誰かを守ることはできない」
「子どもは誰も守れない」と言っています。
「人にできるのは、犯罪、交通事故、病気、災害にあってしまった人を助けることだけであり、守ることはできない」と強く言っています。

安全を考えるときに4つの枠があります。
上に挙げたものに対するもので、防犯、防止、予防、防災です。

その中でも防犯は、より自分で守らなければならないと話していました。

防災は、できることをやるしかないです。万人に来るから、それぞれが対応しておいてみるしかない。
予防は、やっぱり自分でするしかないです。病気にならない身体をつくることはできません。病気にならないように自分で気をつけるしかないです。

しかし、防犯は、ねらわれて起こるものだから、より自分で守る意識を強めなけらばならないそうです。

でも、守れないというところで。
守れないなら助けてほしいというのが中山さんの主張です。

犯罪に巻き込まれた際ダメージはある。それをできるだけ早く削り取るしかないと。

たとえば痴漢に合ったという話を母親が聞いたときの対応として二通りあって。
「何でわからないの!言うこと聞かないの!門限を守らないからでしょ!」なんて言う人と。
「あなたはなんにも悪くないからね!全然悪くない大丈夫よ。警察にわるい男がいるから捕まえてほしいってお願いするね。」と言える人。

本当にここで衝撃の事実なのですが、犯罪に合って、とどめを指すのが母親だったりするというんです。
子どもの心を守りきれていないと。
最後の最後に心を守ることは、母親にしかできないと中山さんは断言しています。
(私は男性なので、この辺で、っておーいと突っ込んでいましたが)

一般的にはですが、たまに会話をするお父さんじゃなくて、いつもお話するお母さんだけがということなんです。一番の防犯は、なんでもお母さんに話すことだと中山さんは言っていました。

ということは、話させることが必要になってきますね。

注意するときに、この子はダメなんだからとかって言い続けると、今はかわいい年頃なので何を言っても着いてきますが、そのまま育てると良い年齢になったころには、共感して話を聴いてくれる同級生と喫茶店に集まるようになるわけです。(少々古いですが。今はマックとか?)

子どもは、言っても自分がどうせ自分がダメって言われるからってなんも言わなくなるようになると言っていました。そうなると、助けられるときに助けられなくなると。

そこでやっぱり会話を重視してほしいな、聴いてほしいなという話になります。
昨日、おとといの。

会話をきちんとやりとりするということが、現実的な安心また安全に必要だと考えられるかなと思います。

小さい頃に愛情をかければ、良い距離で関係を育んでいくことができます。
愛情はほどよい距離感が大事ですよね。偏ってしまうと、ストーカーかDVです。

さらに、現実はもう少し虚しいです。
子どもたちを犯罪者にしないことが、犯罪を減らすために必要です。
秋葉原事件での判決では、「このような犯罪の背景に不適切な子育てがある。しかし、それが死刑を回避する理由にはならない」そうです。
友だちの作り方がわからない。女の人にどう話しかけたらいいか分からないといったコンプレックスがあったようです……。
 
中山さんは、子どもは親が作った基盤(与えたもの)がないと受け取れないと言っていました。
経験しても身につかないのだそうです。

ただ、学童にそういう子は見られません。きちんと保護者の方たち、保育園幼稚園の先生方が愛情をかけてくださった結果だと思います。

しかし、満たされているかといえばそうではないでしょう。当然いまどきそんな子はいないのが普通ですが、だからと言って……というところです。

むやみやたらに愛情を掛け続けたいですねという話です。

じゃあ、愛情って何よ。それに父親は?
という話になりそうですが、それはまた機会があったら書いてみます。
(もうやめて~という声も聞こえそうですが。たぶん話しちゃう。)


本日の光っていた子
①「本日は習字の二年生たちがとてもよくやってくれていた様子です。」
どうも学童の延長と勘違いしている子がいるので、本日からは廊下からは行かないようにしました。
外から行って、靴をそろえて気持ちを切り替えてほしいのです。
また、書道は、道を聞きに行っているのに、言われた通りにしないのなら行く意味はあるのか。
とも言ってあります。習いに行っているということはどういうことかちゃんと知って真剣に頑張ってほしいです。

②「本日、掃除が終わってもひたむきにアイロンビーズを拾い続けてくれている男の子がいました。」
本当に嬉しい。そういう発想、心があるってことを一生誉めたいぜ!

September 07
『姿勢』
最近姿勢について気になって、少しインターネットで調べたりしていました。

科学的な根拠は、分からないけれど姿勢が良いと、
「疲れにくく、集中力が高い傾向にある」
という調査がありました。

また、食事中に姿勢の指導をしている家庭は、学校の授業中の姿勢も良い比率が多いそうです。

というところで、学童でも姿勢をよくする波を少しだけ起こしています。

姿勢が良いっていうのはどういうことかというと、背中が伸びているということです。
ひろみちお兄さんです。

背筋ピーン!とやってほしいのです。

正座を一つをとっても形だけやっている子が多いです。
足を折りたたんでいるのが正座と思っています。
足は折りたたんでいても、猫背の子しかいません。

正座はどちらかというと心意気なように思います。
同じ形ならば、背筋を伸ばすというところを意識すると良いように思います。

ふと思い返してみると、
姿勢の悪い子にすぐあきらめたり、いじけたりする子がいるようにも感じられました。
こちらも根拠はありませんが、因果関係があるような気がします。

身体が曲がって心も曲がる可能性ってあるかもしれないなと思います。
ならば、背筋を伸ばして、心もまっすぐに育ったらいいなと思います。

手話を教えに来てくれていた先生もそんな面白い話をしていました。
「私は、顔も頭もよくないけど姿勢だけはよくしてたら結婚できたよ」なんて。

何をおっしゃいますか~という感じですが、やっぱり姿勢の良い人ってたぶん良いですよね。

と言いつつも私もよくないですが。ゆえに、結婚していないと。なるほど。

そんな姿勢の話でした。


本日光っていた子どもたち。
「掃除をめっちゃ丁寧にしてくれた子が数人います。」
昨日お迎えに来た方は、学童がいつもよりきれいだなと感じた人がいると思います。
とっても清い能力を持っている子がいるなぁと思いますね。

September 08
『みんなにあいさつ』
学童から帰るときに

「みんなにあいさつ」
をするというのをやってみています。

大人の願望でしかないのですが、させてみると学童の空気が少し明るくなるような印象を受けます。

友達になって挨拶をするようになるのか、
挨拶をするようになって友達になるのか、

どちらも悪くない筋道だと思っています。

放課後ということを考えると、挨拶を強制しない方が自然な関係と思いましたが、
集団で生活している場から抜ける際には合図が必要だろうという考えに至りました。

友達が遊びから抜けても何の気にもかけないのは、少し怖いですよね。
ある意味ラフで良いですけど。

そんな思いで「みんなにあいさつ」のムーブメントを実施したい思いです。


本日光っていた子
「男の子たち四人がトランプをたくさん使って楽しそうに遊んでいました。」
1セットだけじゃなくて、何セットも使って遊んでいて、工夫があって良いなぁと思いました。

September 11
『地域の子』
本日も公園で遊びましたが、本日は男の子たちがたくさんまとまって遊んでいました。

なかなかの人数で、とっても楽しそうでしたが、
そのとき、砂場で年配の方とおそらくお孫さんが遊んでいました。

申し訳ないなぁと思いながら、あいさつをして、大丈夫ですよと言ってもらって、
本当にありがたいなぁと思います。

どちらかというと、ふざけんなって意志表示の人も少なくないので。

帰り際に少し会話をしました。そのときに、「男の子はこれぐらい元気な方が良いですよ」とおっしゃってくださいました。

素敵な目を持っているよなぁと思いました。
自分の子が楽しく遊べればいいんじゃないんですね。

子どもは子ども。そして、みんなの子どもなんですね。
この感覚は絶対に必要だと思います。
子どもっていうのはよく分かっていて、親や教師や親戚が優しかったり気にかけてくれることについては満足していたりします。

私は、今どきの子に足りないのは、他人に優しくされることだと考えています。
どうも外向きに関係を作りにくい昨今ですから、他人とのかかわりが自然と少なくなってしまいます。
表に出して、他人から優しく見守られていると分かると、子どもはそれだけ健やかに育つかなと思います。

そして、学童はそれができない場所ではないですね。
保護者の方がお迎えに来た際にかかわってもらうと子どもたちはとっても嬉しそうです。

国や地域でも、減らない虐待などの問題から、
子どもっていうのは自分の家の子どもというんじゃなくて、
地域の子どもとか国の子どもという見方をして、
みんなで大切にしようよという動きがあります。

デンマークでは、出産した人渡される育児パンフレットタイトルが、
「あなたの子どもは、あなたの子どもではない」
なんだそうです。
子どもにも人格があるんだから、ちゃんと意志を尊重してあげなさい、
子どもは親の所有物ではないですよという意味だそうです。

私はあなたの子どもは、あなたの子どもでしょとは思いますが、
それプラス、あなたの子じゃない子も、あなたの子と一緒に時代を担っていく大切な子どもですよねと思います。

まぁ、本当に他人に思いを馳せるには難しい時代なのかもしれないとは思いますが。
周囲の大人が気にかけた分だけ、子どもは良く育ちます。これは絶対確かです。

それでも、今みんながこの考えで生きるのはやっぱり難しいです。
でもでも、子どもたちの時代からは、「そういえば、オレたちはいろんな大人が声かけてくれたね」と自分たちの下の世代には他人であろうと無かろうと目や手を当たり前にかけてやれる世の中になってほしいなと思ったりはするのです。

学童の子どもは地域の子ども。そういう視点のおかげでやれている部分は大いにあるだろうなと思います。
その恩恵を受けている私たちが視野を広げていく立場になれたら、とっかかりとしては良い筋だろうなと思うのでした。感謝です。


本日光っていた子
「最後までねばってきちんと宿題を終わらせている子がいました」
長く我慢して頑張っている姿が良かったです。

September 12
『本日も集団サッカー』
1、2、3年生ほとんどの男の子でサッカーをするのが続いています。

おもしろいのは、1年生vs2、3年生というところです。

ほとんど2、3年生がボロ勝ちなんだけど、1年生も1点ぐらい入るんです。

そのときの喜びっぷりが半端じゃなくて良いですね。

一年生はズタボロになって頑張っています。
少し体力が付きそうで良いなぁと思っています。

あと、本日はドッチボールのリーダーからぼちぼち練習がはじまるから協力してくださいという話がありました。

予選の最初はいつなんだろう?


本日光っていた子
「負けていようが何しようが、楽しいと思って最後まで頑張れる一年生!」
全身全霊をかけて戦っていて本当におもしろいです。

September 13
『9月のめあて』
一応
「今月のめあて」
が決まりました。

大きく5つです。2については、言った子のまとまり

1.もっとなかよくする

2.はやく行動する、すぐ帰る、声の大きさ

3.おともだち みんなにあいさつしよう
(ちゃんとあいさつしよう)

4.かたづけ みんなで
本を見たらすぐにしまう ランドセルをちゃんとしまう

5.かえってきたら すぐに勉強をする
ちゃんと丸をつける

以上です。

できていることは、3、4、5です。
よりよくなるためには、1、2、といった感じです。


本日光っていた子
「みんなの前で頑張って発表できる子がいます。」
ドッチボールの練習をそろそろはじめようというところで、
リーダーが協力を呼びかけました。

September 14
『仕事』
安心していられる場所というのに、

環境的な居場所と役割が必要だと言われます。

居場所はあるとして、役割も合った方が居心地がいいんですね。
それが重荷にならない程度に。

というところで、
今みんなに仕事を最低一つ持ってもらっています。
基本的には探してもらっています。
仕事探し。仕事っていうのは自分で探すものだよなんて言いながら探してもらっています。

自分でいいなって思う仕事だと長続きするかもしれません。
善意でやってくれている子がいて嬉しいです。

まだ、全員にではないですが、一人ひと役持って、より一人ひとりが安心できたらいいなぁと思います。

本日光っていた子
「本当にまったくかかわっていなかったのに進んで片付けようとしてくれる子」
外で遊んでいたのに、帰ってきて手を洗って、レゴを片しはじめた子がいました。
すごすぎです。言われないでできる脳みその回路があるだけでも本当にすごい!!

September 15
『話を聴こう!!』
話を聴けるようにするには、

話を聴く癖をつけるしかない!

話を聴こう!

率先垂範の心で。

本日光っていた子
「自分で正しいことを選択出来る子。」
我慢が伴ったりするけれど、自分をコントロールできる感覚はとっても大事。

September 19
『新風』
もう秋になりますよね、まだ隙を見つけてはセミが鳴いていますが。

本日より、新しい指導員の先生が来てくださいました。

子どもたちと外で遊んでくれる先生です。

学童を優しい母の目線で見守ってくださることでしょう。

協力して生活していきたいですね。

帰りの会では、話を聴くとき目で聴いてみようという話をしてくれました。

いいですね、新風です。

また学童の季節が一つ先に進むのだと思います。


本日光っていた子
「お話のときにきちんと返事をしてくれる子。」

これは、この子に限ってはいつもなのですが、改めて取り上げます。
今、学童にはお話のときに返事ができるのは、この子一人だけです。
実は、今年度返事については注意したことがなかったです。
それは、返事を優先すると、聴いたふりで終わりそうだったからです。
そろそろ、注意しても良いころかなと思います。
優しい方、お家でもよろしくお願いいたします。

September 20
『おやつの用意』
最近は、おやつの用意の手伝いも子どもの仕事になっていたりします。

時間になると用意し始めてくれます。

ただ、今日はお習字だったので、その仕事人がいなかった……。

と、そこで、
本日の光っていた子。
「◯◯いないからおやつ用意しといたよ」
っていう一年生の女の子。

すごいですね。そんなに気の利いちゃう子っていますか?!

いろんな子に助けられて生活できています。

ありがたいです。
絶対幸せな人生ご待ってるに違いないぜ!!

September 21
『ドッチーボールの練習①』
本日はドッチボールの練習がありました。

一年生も二年生を当てられたりして楽しそうでした。


本日の光っていた子
今回は早くもなのですが、
「ドッチボールで声を出して指示しているリーダー!」
ドッチボールリーダーが一応いまして、このリーダーがドッチボール中は声が出てとっても良いんです。
ドッチボールについての話はよく聞いたり、「そっか」と素直になったり、なんか責任感が垣間見えていいなぁと思っています。
ドッチボールに関しては副リーダーもいて、この子も真剣で頼もしいです。

毎年毎年いろいろなドッチボール風景がありますが、
今年はわりと良い気持ちでみんな参加しているところがあります。(男の子が多いからというのもあります)
今年のドッチボールは、真剣&和やかという感じです。

September 22
『ひさびさの誕生日』
本日、ようやく8月の子のお誕生日を祝いました。
(一ヶ月以上も遅れている……。)

ケーキを食べられて嬉しそうでなによりでした。

ハッピバースデーの歌をいつも子どもたちに弾いてもらっているのですが、
今日のはこれまでで一番上手だったように思います。
打楽器をいれたからかもしれません。

これからも、やるときにビシッとスイッチを入れてよりちゃんとお祝いできるようになりたいなぁと思います。


本日光っていた子
「誕生日プレゼントを渡すお願いをしたら、サッと臨機応変に対応できた子!」
誕生日の彼となんかよく言い合っている彼にお願いしました。
いつもだと「なんで?」とよく口にするのですが、きちんと立って、静かに出番を待ち、
サッと歩き渡していました。
なんか身のこなしが丁寧というかきれいというか良い感じでした。

いつもの「なんで?」は本当に「なんで?」と思っていて、
その「なんで」に答えてさえいれば、自分で理由を見つけられるようになって。
理由を自分で見つけられたことは、「なんで?」と言わずにスムーズに出来るのかもしれませんね。

無理矢理感がありますが、やっぱりいっぱい会話するしかないなと思いますね。

September 25
『ほめちぎる』

ほめ方で大事なことを三つ。

今日、コンビニで偶然「ほめちぎる」という言葉が目に入りました。

詳しくはこちらにあるのですが、
http://family.php.co.jp/2012/09/post-266.php
(PHPのびのび子育て)

「ほめちぎる」と子どもは変わる
という表題が書かれています。

子どもをほめて伸ばそうというのは、だいぶ一般化してしまって、
それ本当なの?という気持ちが見え隠れする今日このごろなのですが、

やっぱり、ほめるっていうのは根強く子どもたちの心を捉えてやまないようです。

じゃあどうして効果が薄まったような感じがするかと考えてみると、
ほめろほめろと言われ、ほめるということが当たり前になってきました。
でも、当たり前になった分、実践する機会が増えましたが、
増えたからって、それが本当に子どもの気持ちに届くほめ方ができているかっていうと、
まぁ違うみたいだというのが、効果がでない原因かなと思います。

私もそうやって育った記憶があるわけではないので、ほめるのは別に上手くないです。
前に悩んだことがあって、保育士の友達に相談したら、
「リアクションを6割増しにする」と言われました。
なるほどと思って。子どもに惚れ込んでいるからこそ大胆に6割増しのリアクションで愛せるのだなと関心しました。

ほめるってのは結構難しいもんです。
尾木直樹先生も、ほめるほめるってよく言われるようになってなんでもかんでもほめなきゃいけないって思うけど、
子どもはちゃんとお利口さんだから、ほめられるべきことをほめられないと、大人がよいしょしてるってわかっちゃうと言っていました。
たとえば、片付けをするときに、「まぁーいっぱい散らかしてすごいねぇ」なんてほめてもバカにしてるのかって思うそうです。
じゃあどうほめるシーンを演出するかっていうと、とにかく少しでも片付けを手伝えるように仕向けるわけです。
一緒に片してあげるよとか、
これどこにしまったらいいんだっけとか、
二人でやったらたのしいなぁとか、
まぁいろいろやって、一緒に片させる。
そうしたときに、「ありがとね、できるね、やっぱり片付けできるじゃない(ハートマーク)」みたいな感じでほめるってわけです。

PHPの本の話に戻りますが、ぱらぱらめくって、目についた言葉がありました。
それは、
「できたね」
って言葉です。

確かに子どもがほしい言葉かもしれないなと思いました。
特にお母さんからです。

男の子に寄った話しになってしまうかもしれませんが、
やっぱり母親からできたねって受けとめてほしい、僕を認めてほしいってことがあると思うんです。
子どもの最初の生きがいはそこだと思うんです。
お母さんが僕を認めてくれるか。
それがないと、どうせ僕なんてっていう人生になっちゃう。

もうどーすりゃいいんだいって感じですが、
そのヒントとして、新しい言葉「ほめちぎる」
ってのが出てきたかなと思います。

「6割増し、ほめられるべきことをほめる、ほめちぎる」

この三つで、子どもにちゃんと届くほめ方ができるような気がします。


本日光っていた子
「4年生の男の子。ドッチボールのときとっても正しく、熱心に参加してくれます。」
まず、ひいきがなく、きちんとルールを守るところ。
年下の子に配慮してボールを投げるところ。
全員参加にこだわって、女の子を粘って誘うところ。

どれも本当にすごいです。
彼のような垣根のなさは世界を平和に幸せにするととっても思います。

September 26
『ごめんとかありがとうとか』
子どもたちのレベルが上がるにしたがって、
天の誰かさんが試練を与えてくださっているような感じがある。

身内に挨拶ができるようになれば、他人に挨拶をしなければならなくなるような瞬間がほんのりと訪れるわけだ。

外でドッチボールをしていて、
普段はそんなことはないのだけど、
今日に限って、公園を通った方にボールが当たってしまった。

すぐには謝れなかったけれど、ちゃんと謝れました。

こういう機会があることは本当にありがたいですね。

気づけば、ごめんなさいとか、ありがとうも挨拶ですね。

きちんとチャレンジできる機会にできたらいいなと思います。

「ありがとうは、言うときになったら3秒以内」って話を今度しようと思います。

ごめんねとありがとうは、早いほどいいですね。
そんなことがいつか経験で学べたらいいなぁ。


本日に光っていた子
「今日は、きちんと本を、二回も片してくれた子がいたよ!」
とーっても嬉しかったよ!!
めんどうくさかったり、嫌だけどね、ちゃんとできて子どもってのは本当にすごいぜ。

September 27
『不在』
今日は珍しく、私がいなかったので、子どもたちはワイワイやって楽しかったみたいです。

隙間といえば隙間なのですが、こういう隙間を見つけて子どもたちは本質を表出させます。

その本質を近くにいる大人がどのように受け止めるのかがとっても大事です。

私が学童に入ったとき、一日目は歓迎されつつ子どもたちはどんな人間かを探ります。
二、三日するとお試しが入ります。○○したらどう反応するか、どんな人間かの一次審査です。
私は、公園に落ちていたグレープフルーツだかなんかを当てられる遊びの的にされました。
当時の学童の子たちは信頼する大人の目がなければ会って、二、三日の人間にそういう報復のできる子どもたちでした。
なぜそういうことができるのかと言えば、ルールを自分から守っているのではなく、いやいや守っているからに他なりません。
私は、このやり方がダメとも良いとも言いませんでした。
ここでダメと言えば、そういう大人として一次審査を通らないからです。
私は、これでいいのか、楽しいのかと言いました。
楽しいと思うならやったらいいと思うし、ただ、私はかなり面白くないよとだけ伝えました。
思い返すと、△って感じですが、子どもたちの審査結果は、「まぁ、少しは話せる奴かも」くらいでしょうかね。

はじめて一人でやった土曜日には、閉め出しにあいました。
これもまた、私がどう接するかの審査だったと思います。
怒る、ダメが定石な子たちは、大人がそうするか見ているのです。
ある意味、そういうパターンの大人だと分かってしまえば、ソイツの前でだけ言うことを聞いておけば楽は楽です。子どもは子どもの振りをすればいいんだなと安心します。
でも、私はただ待ってみました。すのこのところに座って待ってました。
そのうち、結構長い時間ですが、いろいろ気がすんだのか、淋しい感じにドアが空きました。
私はどうしたの?と言ったような気がします。
細かくは覚えていないけど、ありがとうとか言ったかな。
これは、やめた方がいいよ、あんま面白くないし、そっちに得がなんもないよみたいなことを言った気がします。

本当に最初ここの子どもたちは、
大人は信用できないもの、ヒドい目に合わせなければならないものそういう感覚をもっているように感じました。
指導員に気に入られている一部の子は居心地が良い様子で、ここがスタンダードのように生活していましたが、そうじゃない子も少なくなかったでしょう。

子どもは、もともと上に書いたようなことがしたい心を持っているのか。
そんなわけないと思います。大人と仲の良い関係を築きたかったのだと思います。

ただ、大人が子どもの心を汲まないでルールを示して、遠ざけたからすれたんです。
その後が学童がどうなったかといえば、まっすぐ常に成長し続けたわけではもちろんありませんが、
今の子どもは、大人に果物をなげて報復するようなことはありません。

ただ、そうなる可能性はまだあります。
大人が子どもと同じ側に立ち寄り添えなければすぐにそうなります。

ルールは安全のためにはありません。安心のためにルールがあります。
そのルールを守って安全を作り出すのはほぼ人です。
あの事故が人災になったのはそういうことだと思います。

少し話しが跳んじゃうんだけど、
子どもたちの安全をちゃんと守るなら、
大人が子どもに寄り添ってきちんと伝えないといけないなぁと思います。


本日光っていた子は、
「ありのまま素直に自分を表現できる子どもたち」です。

September 28
『交通ルール』
本日は飛び出しについての話が出ました。
やっぱり甘いというところで、かなり疑問視・問題視されました。

とにかく一回家庭で、飛び出しって知ってるって問うてみてほしいです。

飛び出しって知ってる?
 知ってる
したことある?
 ある
どんなとき?
 ○○とか、○○
車が来るか考えた?
 忘れた
来たらどうなる?
 わかんない、死ぬ
車が来てて、人が急に出て来たらどうなるかな?
 ぶつかる、ブレーキ踏む
ぶつかったらどうなるかな
 わかんない
あのね、交通事故に合うんだよ、けがしたり、死んじゃったり、病院に行ったり、
警察がきたり、何より私は悲しすぎるよ、なんでかわかる?
 わかんない
○○が大好きだからだよ(ハート)
 ……。

どうしたら交通事故にならないかな
 飛び出さない
そうだね、どうしたら飛び出さないかな。まず?
 右左見る
それだけで平気?
 耳で車の音を確認する

ってな感じで、ここでちょーっと待ったぁ!!というところで、
どうしたら交通事故にならないか。
文章にしたからかもしれませんが、一個抜けているんですね。

何かっていうと、極々当たり前なのですが、
まず、
"一旦止まる"ですね。
どうして?
 あぶないから
どうしてあぶないの?
 車が来てるかもしれないから
どうやって確認するの?
 右左を見る

とまぁこんな回りくどくなくて良いのですが、お話してもらえたらと思います。
特に愛しているのくだりを。

学童でも改めてかなり真剣モードで今一度伝えます。
飛び出したら、もうその日は外で遊べないくらいのつもりでいいのかもしれないと言われ、
考えさせられました。


本日光っていた子
「今日はおやつがいだったね!一番に並んでいた子!君!そうそこの君だ!」
ちゃんと回りを見て、素早くその場所に来て並べて偉いなと思いました。
最近めっちゃ頑張ってるよ!!自分でできるなぁって思ってほしいぜ!!

September 29
『父性について』
ちょっと出来事と関係ないので、学童と関係ないことに興味のない方は、
今回は特に読み飛ばしてもらって……。

父親の役割ということについて忘れないうちにちょっと書かせていただこうかと……というところです。

私の思う父親の役割(父性)3つは、
①自分がどんな考えや人生を歩んで来た人間であるか分かるように優しく教えること
②家庭内のことを生かすか殺すかというように生殺与奪の権力で決断すること
③「おれもおれの人生を生きている。お母さんはお母さんの人生を生きている。おまえもおまえの人生を生きろ」というところで。それを実現するために守り(見守り)、責任を取る覚悟を持つこと

以上の3点です。
(参考:『父親の力 母親の力』河合隼雄 講談社+α新書)

よくよくドラマで目にするような父親像でもあるように思います。
オレも若い頃は系、そこまで言うならお父さんに聞いてみましょ系、アイツの好きなようにさせろ系という感じ。

この3つが演出できると一般的な父性を子どもに感じさせられるわけです。

これは、本を読んだり、自分の経験を踏まえて打ち出してみたものです。
こうした父性を母親でも父親でもいいから演出できたら良いのだろうと思います。

母親というのは、一般的には子どもと接する時間が長いと言われます。
父親は子どもと顔を合わせる時間が少ないにしても、父親的役割を示せれば良いのですが、父親の父親がどんなであったか、父性をどう捉えているかによって対応はさまざまになります。それは家庭の個性であって、好きに示してもらって良いのですが、子どもに父親の父親観が伝わっていないと、子どもは純粋に戸惑うでしょう。

うちには、トータルして考えてみるとこの3つはなかったと言ってしまうか悩むけど、なかったような気がするかもしれなくらいにしておこうかな。(ずいぶん濁した!)

要は、下手だったと。
それは、それで上手い父親なんてのも気持ちが悪いのですが。

言いたいのは、優しいだけの父親に戸惑っている子もいたりしますし、指示するときはよく怒鳴るだけの父親にも当然戸惑いますし、随分聞き分けががよく丁寧すぎる父親にも子どもは戸惑ったりします。

父と子っていうのは(母と子も)、こうしたらよくて完成形と言えるようなものはなく、その溝こそ各家庭の愛じゃないの!わけのわからない父親ってのはそれこそ文化よ!とも思うのですが、
私の思う愛には別の考えがありますし、いろいろな考えを知りつつ自分を選ぶことは大切だと思うのです。
特に息子チームはなんでもいいから、父親と"マジになって"話せることを望んでいると思います。それが嬉しいはずです。小さい頃に話してくれれば良かったのにってみんな思うと思います。
子どもを見て自分なりに愛を伝えて接することができているならそれで素晴らしいです。

①、②、③の順に求められることだと思います。

とまぁここまで言って、このブログを見ている男性は皆無だということに今更ハッとしつつ、こんなこと世の父親に言ったら嫌われるなぁとも思いつつ、書いてしまったので、どうかお許しを。

イライラする人がいたら消しますm(_ _)m

いずれ、今度は"マジになって"話すことと、やっぱり愛については書きたい予定です。