かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

学童記(ある年の記録10月)

10月

October 02
『トノサマバッタ』
台風一過。素晴らしい空模様です。模様ないです。快晴ですものと。

本日は、運動会の代休で一日保育です。

朝は八幡神社へ行きました。
木曜日に借り物のボールをなくしてしまったんですね。
物を大切にしなさすぎると怒られ……これは本当に仕方のないことです。
残念でなりませんが、浮き足立つ感じ。なんなのだろうか。

と、それは置いといて、台風後はボールが見つかることがあるので、とにかく行ってみようと思って、改め捜しに行きました。

「じゃあ、3人はあっち見て来て」、「あったー!」
「」を改行できないくらい早い速度で見つかりました。

あんまり早く見つかってしまったので、10分ぐらいそこで遊ぶことに。

本当にこんなに晴れ間の午前に、
神社んとこに座って子どもと足ぶらぶらして、
お話しして、目の前には無邪気にサッカーボールで遊ぶ子どもがいる風景は、
この上なく幸せ、あぁ子どもが育つって感じがしました。

あの天気の下で子どもと何気なく過ごしたら本当に最高です。
話も弾みます。

「あのねーうちねー前友だちの家に行ったとき自殺してみようかなって思ったことあるんだ」

「(えーーーーっ!弾み過ぎだろ!!)どういうこと?」

「友だちの家がねーうんとねー確か11階?で、こっから落ちてみようかなーって。」

「なるほどね、それは、死んでみたいなってこと?それとも落ちてみたいなってこと?」

「落ちてみたいなってこと」

「あーそれはなんか分かるかも、高いところってそう思うときあるよね。なんで落ちるのやめたの?」

「友だちと遊んでて、落ちたら遊べなくなると思ったから」

「うん、それ絶対正解だわ、絶対どっからも落ちるなよ」

「落ちるわけないじゃん」

こんな感じに会話が……弾んだのだろうか。

そうして、今日は偶然お社(?)が開いていて、ちょうどガラガラに興味を持った子もいて、みんなでお参りしました。
あれ?入れて鳴らしてから二礼二拍手一拝だったけ?と。

お次は、昨日は十五夜だったというところで、ススキを取りに行きましょうってことになりました。

いいですねー大きい公園に行けましたよ~。

そうして、この公園にはトノサマバッタがいるんですね。
私は小さい頃に厚木の川ではじめて見て感動したことがあります。

それ以来22年ぶりくらいに見て、緑のは土曜日にはじめて見ました。
そう、土曜日にも来ていて、一匹捕まえたのですが、帰り道で逃げられてしまったのです。
そういうわけで、もう一回行って取って来てあげようという今回の企画です。
ただ、ぜんっぜん捕まりませんでした。
一人強者がいて、二匹も取ってくれました。

ここで昼食の予定だったのに、子どもたちは別の公園を支持し出し……。
まぁ、悪くはなかったのでそっちの公園で昼食にしました。
しかし、別の学校の一年生が帰ってくるころかなぁと思って、私だけ先に帰りました。

もう一人の指導員とちゃんとやれる機会を作りたいのもありました。
4年生にすべてを託し……その後15分後くらいにちゃんと帰って来てくれました。
一年生はまだ帰って来ていなかった……。

午後も今日は外遊びをたくさんしていました。
そう、大変きれいになった庭で遊んでいた子もいました。
1年生のお迎えに来た6年生のお姉ちゃんとそのお友達2人も来ました。
ピアノを弾いたり、絵を描いたりして、本人たちの言葉を使うと、居座って帰りました 笑
彼女たちは居座るという表現をしてしばらく居たのですが、
やっぱりお姉さんがいると学童の雰囲気が全然違うんですね、気になるところもあるけれど、
それは大人だからであって、子ども同士はそんなの気にしないでしょう。
それより、安定感というか、場の安心度が高くなる部分もあるなと思いました。
感謝です。
2年生の女の子たちは、お姉さんたちの描いている絵を静にジッと見ていてかわいかったです。
また、来てね、今度は優しさをもってと言いました。

最近ランドセルをしまえるようになったことと、宿題をはじめるまでが早いことが、継続的にできており嬉しいです。
「なんか最近いつもできるようになってて嬉しいんだけどさ、どうしてできるようになったの?」

「勝手にできるようになった。繰り返してたからじゃない?」

「すごいね、みんな勝手に成長しちゃうんだなぁ、本当にすごいよ、もうどんどん成長しちゃいな。」
と言いました。

すごいですね、子どもたちは繰り返していると勝手にできるようになっちゃうらしいですよ。
もしかするとポイントかもしれません。
"繰り返させられていると"、ではなく、"繰り返している"となんです。
"誰かに"ではなく、"自分で"という感がなくはないのだと思います。
本当の本当は"誰かに"の部分もあるわけなのですが、そこはMr.マリックなわけです。

いやぁー今日は楽しかったなぁ。
長い時間子どもとかかわるのは本当に楽しいですよ。
夏休みがやっぱり面白かった。
毎日朝から学童の方が子どもが育つんじゃないかと思うくらい。
のびのびな一日でした。

10月からは、
"子どもの日記名場面"にしてみようかと思います。
第一回目は、これ
「だんごめしをつかまえました、
なめくじがいました、
わらじぬしもみつけました。」
かわいい。

October 03
『テスト』
本日はテストをしました。

なんのテストかというと、「とびだし」についてのテストです。

持って帰ってもらっているので、おうちでも振り返ってもらえたらと思います。

ところどころで実技をやらせてもらえると嬉しいなとも思っております。


第二回子どもの日記名場面

「きょうがっこうでうんどうかいのれんしゅうやった。
がくどうにかえってくるのがいつもよりたのしかった。
だい9公園でドッチボールを3しあいやった。
1かいまけて2かいかったいつもとちがって
じぶんよりちいさい人にかげんができた。
たのしかった。」

自分のできたことを振り返れているところが嬉しいです。

October 04
『雨』
日記を書いていますが、久しぶりの雨の日で、
雨ってことが印象的だったのか、
みんな今日は雨でしたってほとんどの子が書いていました。

思ってみれば、
書くか書きたくないかの選択ではなく。
書くとして、何かネタはないかという意識になっているのが嬉しいです。

ネタを探せるようになってきている子もいます。
うれしいことや、できたことを書いてくれている子もやはりいます。
ほとんどの子が書いてくれていて嬉しいです。

第三回
子どもの日記名場面集
「きょうは○○のたんじょうびで大きい声でうたえました。
きょうは○○がかえりの会で、大きい声でゆうていてすごかったです。
こんどはぼくも○○みたいに言いたいでした。」

この振り返りも達者ですね。
こうなりたい、こうできたっていうのは本当に大事だなぁと思います。

October 05
『10月の目標』
9月の目標は
①もっと仲良くする
②はやくすわる、すぐかえる、こえのおおきさ
③おともだちみんなにあいさつ、ちゃんとあいさつ
④かたづけ、みんなで、ほんをみたらすぐ、ランドセルをちゃんと
⑤かえってきたら、すぐにべんきょうをする、ちゃんとまるをつける
以上でした。
③はよく促していたので、している姿が多かったかと思います。
④、⑤に関してはできなかったこできている姿があり良かったです。
②は目標のおかげかはわかりませんが、できていることも少なくなかったです。
①は具体的に成果があったかは判断しにくいもので……もとから仲悪くはなかったんじゃないかっていう……。

そして、今月

10月の目標は
まず挙がった意見を並べると

ドッチボールたいかいゆうしょう
なかまはずれにしない
せんせいにいわれるまえにやる
はなししあい、まとめる
おやつのときにトレイを近づける
うがいをする
ものをなくさない
しせい
わからなかったらきく
はやくすわる
やさしくいう
きづいてかたす、ひろう
だしっぱなしにしない

やはり子どもたちが日々の生活の中で言われていることが多く挙がります。
最近はできて当たり前目標を全体目標にしない傾向があったりします。
この中で言えば、
おやつのときにトレイを近づける
とかです。
この辺りは小学生がみんなで頑張っても良いですが、もっとできると思いたかったりします。

というわけで、その他もろもろを考慮して、この中から今月の目標を5つ抜粋します。

①ドッチボール大会優勝(今燃えているので)
②なかまはずれにしない(先月のもっと仲良くを踏襲するような形で)
③先生に言われる前にやる。わからないときは聞く。(難易度が高いですが大きな目標を一つは掲げておきたい)
④うがいをする。(寒くなってきたし、風邪0と目標ぐらいでは言っておきたい)
⑤ものを大切にする(ものをなくさない、だしっぱなし、きづいたてかたす、ひろうというところを受けて)

以上です。
ここでものを大切にするに進歩がないと、10月後半には大いに指摘され、11月に目標で上に上がってくることと思います。

今年を通して、あいさつ、てあらい、かたづけの根本の姿勢を植え付けることができればとは思います。
この三つは、要は、
「他人、自分、それ以外の物」
もとい、すべての"もの"を大切にする基盤だったりします。
これができていれば、
「あなたはものを大切にする人間だね」と認めることができます。
ものを大切にする人間であれば、生きていていいに決まっていますよね。
そういう自尊心、自己肯定感が伸びれば……とは思います。


第四回
子どもの日記名場面集

「きょうさっかあの
れんしゅうをしてたら
きゅうにうまくなったから
うれしかった
あとぼくがいえおつくったら
みんなとあそんて
すごいねっていってくれました。」

オリジナルの観点があって、しかもそれが和やかというかほんわかしていて、
良い日常の1ページを切り取ったなぁという感じがしました。
なんでもやってみれば、急にうまくれるときもあるし、
みんなと遊んだらすごいって言ってもらえるときがある。
素晴らしい事実認識です。

October 06
『ドッチボール大会について』
今年度は、おそらく二つのドッチボール大会に出ると思います。

一つは、今回はじめて出る横浜市のはまっこ、学童、放課後キッズクラブ対抗のもの。
もう一つは、毎年出ている都筑区学童対抗のものです。

横浜市のものは、123年と456年に分かれており、
いろいろ質問したり、策を練ったものの、123年の方のみの出場となります。

本日、審判の研修会があり、改めて確認し、4年生にその旨を伝えました。

その話を聞いてから、この日の彼は輝いていました。
2、3年生を引っ張ってコーチをしてくれました。
彼はドッチボールをしているときに、全くひいきのないあの彼です。
全員に均等に声掛けをし、アドバイスをし、練習を導いていました。

「今日の○○は100点満点に近い○○だった。」
「今日○○くんに感動しました。あんなに声を掛けてちゃんと見守ってやってすごいと思いました。」
というのはこの日の先生方の言葉です。

本当に一番輝いていてほしいのは、まさに、君なんだよと思います。
素直になって思い直して頑張れる姿には、本当にあっぱれです。

ありがたいなと思います。お疲れ様です。

大会は、区ごとに予選が行われ、勝てれば本戦へ行けます。
予選は11/11(日)です。
詳しい時間等についてはまたお知らせします。


第五回
子どもの日記名場面集

「きょうはドッチボールをやりました。
あときょうもあつかったからいっぱいあそべました。
あときょうあそべたらこうえんでおばけをみつけられるかもしれません。」

ドキドキしますね。
この三つの文で引き込まれました。
どうなったんだろうってとっても気になります。
美しいです。

みんなだんだんに文学者に?!

October 10
『会話について』
週明けの子どもたちは落ち着いていることが多いです。
落ち着いているというのは元気がないということではなく、自分なりに正しいことを考えて正しく行動出来ているといった感じです。

いつも思うのは、土日に安心できるような温かい時間を過ごせたからかなぁと思っています。
たとえば会話したり。

というところでやや強引ですが、そこで……。
子どもとの会話についていくらでも上手に優しくなりたいなと思っていたりしますよね。

最近見つけた話を1つ書きます。
この本
「小川式 声掛けメソッド」
正しくは、
「驚くほど国語力が伸びる!学力が上がる!小川式「声かけ」メソッド」だそう。
著:小川大介 出版:宝島社 
すべての学力に必要となるのは、国語力である。
それを上げるには会話が大切になる。
そしてその会話を上手にするための声かけのメソッドが書かれているわけです。
Amazonのレビューにもありますが、

抜粋すると、

①笑顔
②待つ
③楽しむ
④信頼
⑤観察
⑥6秒ルール
そして、
⑦ほめる

というメソッドです。

会話というより、言い換えると優しい子どもの愛で方というような感じがするなと思いました。

順番に一言ずつ入れていきます。
①笑顔
これは入口ですね。この態勢がなかったから子どもは何ももの言えぬものになるでしょう。
人間誰でもそうだと思います。
なので笑顔の入口を作っておく。

②待つ
入口に入ってもらってから。最近の世の中はとっても親切で、相手を汲み取る力が長けています。
たとえになるかわかりませんが、昔は、レストランで何名様ですか?(何名様でいらっしゃいますか)でしたが、最近は、2名様でよろしいですか?と聞かれることもなくないです。
ここで知るべきは、親切・サービスと愛は違うってところです。
愛は、待つ。「かーなーらーず、最後に愛は待つ~のそれです。」
(勝つでしょ!と言ってくれたあなたは優しい。)
子どもが「あのね~」と入口に入ってきたらまず待つ。
「ゆっくりでいいよ」「ちょっと、むずかしい?」などの声をはさんでやりとりもしてみる。

③楽しむ
ここで楽しむを挟んでくるのが憎いです。楽しく待つのって難しいです。
それを楽しむ。子どもが一生懸命考えて何かを話そうとしてる。何かを伝えようとしているという行動って愛ですよね、愛そのものです。それを楽しむ、そうしたら子どもも思いのまま女性が洋服を選ぶように言葉を選べます。

④信頼
そして、そして、まだ待ちましょう。必ずでます。その目の前の子どもから愛のある優しい考えが。
待ちます。信頼して待つのです。ねぇ、忙しいだから早くしてとは言いません。今から彼らの話す言葉が決して無駄なものではなく、大切な時間になるということを信頼するのです。
ただ、それだけではダメです。そこで……

⑤観察
観察です。
子どもに今「声をかけていいのか、声をかけないほうがいいのか」よく観察します。
今心の中はどんなかなと気にかけながら観察するのです。
 
『ただ、間違わないでいただきたいのは、「声かけ」というと言葉を出すことばかり考える方が多いのですが、実は8割が「聴く」ということ。「声かけ」はタイミングが大切で、8割は子どものことを観察してよく聴いて、あ、今だ、というときにぽつっと言う。それまで待つことが大切なのです。』
(ネットのインタビューがありました。)

⑥6秒ルール
これが具体的で面白いのですが、小言を言いそうになったときは6秒待ってみるのだそうです。
心の中で6秒数える。不毛な争いは避けようということです。
「宿題やったの?」
「今やろうと思ってた」
「そんなこと言っていつもやらないじゃない!」
みたいなのを6秒待って避ける。
最初に思いついた言葉を言うのではなく、一度飲んで適切な言葉をということだそうです。
(むずかしいですね)

⑦ほめる
以上の⑥点をふまえつつ、ほめることによって子どもの会話を心地よくするのでしょう。
「すごいね」「さすが」「そんな言い方知ってるんだ」「そうそう、上手に言えたね」
そして「ありがとう」などの声を掛けて会話をやりとりします。

会話では、
「どんなことがあった?」「誰が何をしたの?」「どんなものが見えそう?」
「この中だとどれが一番よさそう?」「○○と××は、どういうところが違うの?」
「この後、どうなるんだろうね?」
こうしたヒントも出して会話を広げるといったことが書かれています。

詳しく、多く会話ができれば、ちゃんと育つものもあるようですね。
難しいですが、心にこういう考えがあるだけで必ず変われるときがありますよ。


第六回
子どもの日記名場面集

「すべりだいやりました
ぶらんこやた
とらんぶやりました
すなばやりました」

目一杯考えている様子が浮かびます。
熱意が伝わってきたんです。
いいなと思ってのせます。
すべてやりました。と書き言葉で書けているところも素晴らしいです。
"を"と小さい"つ"が抜けていますが、これもまた味があって◎だと思います。

October 12
『怒られない世界(怒る、怒らない、怒り方、怒り等について)』
10月に入って子どもの成長が見られる点がよくあるなぁと思っています。
もしくは、純粋に子どもがここでの生活により慣れて、正しい心で人間らしく生きるというような、子ども本来の本質が出ているのかなとも思います。

ここでの成長というのは、行動がよりよくなるということではないところもあります。
自我が強くなってきたなとか、もちろんできるようになったことなとかもあるし、
まとめると、変化があるということで、後退もあるのだけど、それは確実に前進ためのものであるから、やはり成長が見られるなと思っています。

チーターも、「3歩進んで2歩下がる」と言っています。
これは、嘆きではなくて、このパターンだと人間が一番成長するという愛のある応援歌、真実だと思う。

今回も長くなってしまったのですが、
やっぱり書かなきゃいけないことだと思ったので出します。
さて、今日は、怒るって話についてです。

第1幕

少年は訴えました。
「いつも僕は何も痛いことをしていないのに、あの子が痛いことをしてくる」

「それはひどいね。」

その子を呼びました。
「どういうことだろうね。」

「私にだって痛いことしたよ!ブラシで足を叩いた。」

「何かしてるみたいだけど、どうだろう少年。」

「いーや、叩いてないね」

「でも、ブラシは持っていた?」

少年はうなずきました。

「叩いてはいないけれど、当たった可能性はある?」

少年は再びうなずきました。

「まぁ、そういうときもあるさ、これからは痛くないように生活したらいいよ、
注意するにしても痛くない方法ですべきだろうね。」

一まず落着しました。

少年は納得できない様子で
「もうこんな世界嫌だ」
と言いました。

「じゃあ君はどういう世界だったらいいのさ」

「うーんとね、怒られない世界」

「すばらしいね!そうあるべきだね!」

第1幕 終

第2幕

お迎えのときにその話をしました。

「きょうどんな世界が良いかという話になって、
彼は、『怒られない世界』と言ってましたよ。」

彼はちゃんと覚えていて、
「じゃあさ、『もしもボックス』を使ってそういう世界にしたらいいんじゃない?」
と言いました。
(もしもボックスとは、ドラえもんに登場するもしもの世界を現実にできる道具。
作中では魔法が使える世界とかになる。)

続けて彼は、サッカーの試合中にボールを蹴って木を倒すというルール破りを示し、それでも怒られないということを言いまいした。(と思ったけど、解釈を間違っているかもしれない。)

私は続けて、
「でも、サッカーをしている人が急に野球やりたいって言っていなくなったら大変じゃないの?」

「それはそうかもね」

「やっぱりルールは必要だし、怒りたくなる人、ルール守るために怒る人は必要なんだろうね。」

「たしかに」

「まぁ、できるよ『もしもボックス』がなくても、実現できるよその世界は。君とまわり次第だ。」

第2幕 終

だからなんだよと言われるとそこまでなのですが、
(内容には、さんまさんの言うところの「嘘」ではなく「脚色」が多少あるかもしれませんが)
この話で嬉しいところは、

「自分の望む世界を大体は否定される可能性があっても示せた点です。」

言ってみても大丈夫という距離の近さと、
いろいろ考えたり思ったりして生活しながら今ある生活に対してものを言っている、
自分の生活を見つめる視点が素晴らしいなと思いました。

また、これは、わがままではなくて願いだと思います。

彼が『もしもボックス』を使ってまで、怒られない世界を望む愛に私は勝手に心を打たれているのですが、
魔法で楽しい世界とかではなくて、彼は周囲の人が僕を怒らない世界がほしいのだと。
そういう不安を彼はもっているのかもしれないと気になりました。
また、怒られるかどうかを魔法で解決しても意味がないのだろうという、より現実に迫る感じが伝わってきました。誰かが心をもってして変わらなきゃいけないということだと。

彼はルールが必要で、怒りたい人がいることも、怒る人が必要だろうってことも分かっている様子です。
それでも怒られたくないと思ってしまうのは、私たちの怒り方に過った点がなくはないからではないかと考えました。

怒るという嫌な相手でも、怒られない世界にして共存を望む彼の姿勢というか愛は美しいですよね。
なんとかしたくて、いろいろ思いが浮かんできます。

私たちは、どう怒っているのか。
「怒るということは手段ではなく、感情」です。
その感情に、子どもは、何か嫌なものを感じて苦しんでいると。

子どもの生活においては、危険を回避するために、
怒るという手段が必要なときがあります。
命を守るために脅迫や抑圧的な態度が必要となるときもあるでしょう。

しかし、根本的に怒るということが手段ではなく感情であったならば、
感情なのだから、それは伝わらなければなりません。
伝わることが意図されない勝手な感情であったなら、その勝手な感情は、どこにもいかず投げっぱなしになり、その場に漂うことになります。
その後、その感情がどうなるかといえば、相手にぶつかって止まるわけです。
ぶつかった相手は、その後感情のやりとりができなければ、たとえばいじけたり、物に当たるしかなくなるわけです。これは、人間だれでもそうだと思います。
勝手な怒りの暴走は、回りの人がなんとか飲み込むという泣き寝入り的なところがあると思います。

感情を受け取るのではなく、感情にぶつかった相手はその感情にふっとばされて、その感情をなんとか受け入れるために自分を見つめ作り変え、自分の責任と思うことで解決しようとするわけです。

その感情が本当に相手のためのものであるには、
受け取れるように細工・工夫が必要になります。
(社会ではそういう人もいるのだから、そのための訓練になるという話はまた別です。)

ここで、彼の「怒られない世界」という言葉を汲み取って言い換えてみると、「怒らないで普通に伝えてよ」ということかなと考えることができます。
普通に言って伝わるような細工・工夫を彼は求めているということです。
たとえば、時間をかけるとか、相手に主導権を持たせながらをやりとりしながら話すとかです。
(おそらくは、普通に言ってできなかったから、怒られるようになったとも思いますが……。)

この話は、先にも言ったように距離が近づいてきたからそんな本心が出てきたと私は思っていて、
本当は伝えてくれればできるよって教えてくれたのかなと思いました。
要は、やっぱり、怒らないでもう少しだけ待ってって感じです。
それでも、待てないからやっぱり怒るシーンがどうしても少しはあるのだと思うのだけれど……。

でも、やっぱり少し上手に怒っていきたいなとは強く思うわけです。

もう少し書きますが、
怒るっていうのは感情であって、やり取りなわけです。
そこに伝え合いがなかったら、子どもは「怒られた」で止まってしまって、
中身のやりとりができないのです。

その感覚の緩和として、たとえば、いくら言葉で、「好きだから怒る」と言ってもこれは子どもを混乱させるだろうなと私は思います。
そうすると、怒られないと好かれてないと極端な解釈をする子も出てきます。

言ってしまえば、そもそも、怒るってことをよく分からせる必要はないわけです。
怒られたではなく、行いを注意してくれた、正そうとしてくれたと思ってほしいわけです。

そんなにうまく怒っている人なんかいるかよとも思いますし、そんなことできたら人間らしいというとこから少し離れるような気もします。
それでも、少しは上手に怒らなければなりません。
下手に怒っていれば、何を言っても「怒られた」で止まってしまうのです。
感情がぶつかって、ふっとんで、それを打ち返せないからです。
「怒られた」ではなく、せめて「怒られている」となり、
そこから「子どもの感情」をこっちに打たせる。
そうすると、「怒られた」の先に行けると思うんです。

「怒られた」の先っていうのは、話をした、語り合った、注意された、正そうとしてくれた、好きって伝わったっていうことです。

そんな難しいこと言ったってねぇ、子ども相手でしょ、ねぇ奥さん
とお思いのそこのあなた!

子どもは万能ですよ、なんでもできるし、なんでも知っています。
ただ、思い出せなかったり、そしておっちょこちょいなのです。あぁ、かわいい。
そういうことです。

「怒られた」の先に行けているならば、好きだから怒っているは筋が通ると思います。
私の目線では、ほとんど子が相手が自分を好きだから怒っているとは思っていないと見えます。

2つ言って終わりにします。
1つは、怒りは悲しみだってことです。
人には最初、喜びと悲しみしかなくて、生後何か月かに、怒りが出てくるそうです。
怒りは生活の中で作られた感情なのです。
悲しみから出てきたものだと思えば、怒りを感情と認識して伝えることができるかなと。
怒りだけでは怒りしか伝わりません。伝えたい中身が伝わりません。
こういう理由で、悲しいくて怒ってしまうと言えるようになりたいです。

もう1つは、
好きだから怒るというのをもう少し崩して
「立派になってほしいから怒る」と考えを少し変えてみることです。
立派になってほしいからに好きという感じが含まれていると思います。
子どもにも分かる言葉でしょう。
じゃあなんで立派になってほしいの?という話になって、
あなたが好きだからと伝えられると思うのです。怒りながらお前が好きだからだよ!って言われても、私だったらうるせーよもっと静かに好きって伝えられねーのかって口答えしたくなります。
伝わらない感情、相手が受け取れ切れない感情をぶつけてもやっぱり悲しいだけです。

これからどうなっていくのかというと、
やっぱり誰でも子どもを怒ると思いまです。
でもそこには会話があります。
「っていうかさ、やっぱりそれじゃ誰だって怒るさ。」
「そうかもね。」
「それでも、私だって怒りたくないから、どうすべきか。そこは協力しよう。あなたの考えがあるなら、あなたに任せるよ。」と。
学童では時間があるので、これができると思うのです。

ただ、実生活は違いますね。
でも、どこかで密に会話をしていれば、その心ないし感情は伝わるはずです。
結局、どんな形でも子どもが愛情として受け取れるように、
より近く、より親密に、会話をしたりして子どもとつながろうという話。(になってしまいました。)
元気につながっていれば、粗末な怒りという感情でさえも、子どもは「怒られた」ではなく、
その心を受け取ってくれると思うのです。

みんなで語り合う。

第八回
子どもの日記名場面集
「きょうきのうおばあちゃんちにいきました。
おばあちゃんのおうちはきょうとです。
ぼくはかながわからってとういいです。」

これまたかわいい日記です。
知ったことをありのまま言葉にできている感じが良いです。
京都と神奈川は遠い。
遠いっていうのはどういうことかを経験したのだなぁと思います。

October 13
『相手の気持ち』
最近弱い者、真剣に取り組んでいる人に対する態度が悪い子(2年生の中で)がちらちらと出てきました。

お年頃もあるけれど、いろいろな場面で伝えていけたらと思うのです。

要は、相手の状況、気持ちを考えて行動するということです。
本人たちは、どうどうと胸を張って言える行いではないことは分かっているようです。

それでも、相手の気持ち、相手の気持ちと言葉にしたところで、子どもはひらめきにくいようなので、

ひとまず、悲しんでいる人、自分より弱い立場にいる人の気持ちを考えられるようになろうと言いました。
2年生ならば1年生の気持ちを。宿題が終わった人なら、まだ宿題をやっている人の気持ちを。
ふざけて楽しんでいる人ならば、ふざけられて楽しくない人の気持ちをです。

気持ちを考えられているかどうか、いろいろなところで声掛けをしていきたいです。

第9回
子どもの日記名場面集

「きょうたまいれるやつのつくるやつをおてつだぢしました
がむてーぷをきったりがむてーぷおつけるときにもったりしました
むずかしいばしょがでもちょっとだけかんたんになりました
つかれてもがんばりました」

本当にたくさん用意を手伝ってくれました。
何気ないことでも、一つ一つ頭を使って手伝ってくれていることを改めて感謝したくなります。
ありがとね。
がんばってできてすごい!そして、うれしい!

October 16
『やりましょうハロウィン』
本日、帰りの会でハロウィンやろうねと言いました。
あと2週間しかないので大忙しかもしれませんが、
金曜日までに何になりたいか決めて来てと言ってあります。

毎週、週明けはやっぱり子どもたちが落ち着いて過ごせている様子があります。
宿題もばっちりやって、友達同士のやりとりも非情に平和的でした。

5月ごろに言っていた「ひとつずつ」のルールをもう一度出しました。
話しながら宿題とかではなく、話すか、宿題やるかどちらか。
「ひとつずつやりましょう」としています。

今日光っていたのは、
前は手を出し合ってブロックの取り合いをしていた二人が、本当に見事な話し合いでやりとりをして遊んでいたところです。

私は、
「今、話し合いで解決できてたね。ほら、誰も悲しんでないよ。良い時代になったね。」
と言いました。
「うん、良い時代になった!!」
と言っていました。

その後も、ブロックのやり取りの中で、

「(これを貸すから)じゃあ、仲間に入れて?」
と一人の子が言うと、もう一人は、
「オレが仲間にいれねーわけねーだろっ。」
って言ってました。

光ってると思います。

第10回
子どもの日記名場面集

「きょうドッチボウルオじました
ぶらんこをしました
おとといおたんじょうぶぱあていおやりました。
14かです。でいえすのかせっとをかってもらいました。
だいめいはごおばすたあずです。」

おとといのことが書けていること。
話し言葉を書いてみようと頑張っている姿が素敵です。
お誕生日おめでとうございます。

October 17
『ほんの少し』
ほんの少し子どもの構成が変わると、遊び方が変わったりします。

たまにある子とある子が休みだったりするとってことです。

今日は1、2年生でドッチボールをしていました。
笑顔で、最初から最後まで全員そろってできていたのが印象的でした。

おにごっこもしました。
これは結構面白くて分かりやすいものでした。
「くっつきむし」って呼んだりする洋服にくっつく植物を投げて、服についた人がオニです。

タッチした、されたのケンカもなく、遠くからのタッチもできる可能性があるので楽しかったです。
子どもたちは、その場で工夫して遊ぶのが上手です。
いろんな自然に気づいて遊べたらいいなっていつも思います。

帰りの会の日記で、しゃべらないでやるだけで良い日記が書けると言ったら、みんな静かにやっていました。
いろいろ指示したくなりますが、一つで多くが叶うこともあります。
集中、考えて書く、思い出して書く、邪魔しない、たくさん書く、真剣に取り組む、
この辺りのことが、しゃべらないだけで可能になるなぁと思いました。

第11回
子どもの日記名場面集

「きょうどっちぼうるでぼくと○○(2年生)のぼおるとれたからうれしかった。
あとぶろっくであそんでつくってたのしかった。
きのう○○となかよくあそべたからよかった。」

この子は嬉しかったこと、良かったことを書くのが上手です。
おうちでできたことをよく振り返っているのかなと思います。

October 18
『ハロウィン化』
今日は、ハロウィンのかざりを折り紙で作りました。

でも、まだ飾りが足りないです。
アイデア募集中です。

あとは、ほぼお部屋遊びでした。
けれど、おやつ前に少し止んでいた隙に、お庭で遊んでいる子がいました。

きれいになったところです。
5、6人で男女混ざって遊んでいて楽しそうでした。

人生ゲームもしました。
9人ぐらいで集まってとっても元気よく遊べました。

帰りの会では、学童では上手に過ごせていると思いますと伝えました。

学校でも考えて、自分で正しい行動がとれるといいんだけどと。

よりよくなれたらと思います。

October 19
『率先垂範』
今日も雨でした。

再びハロウィンの折り紙を折って飾りの用意をしました。

「子どもには、批評よりも手本が必要である。」ジョージ・ハーバート

と、これはこのブログの最初の記事のものです。

まず、自分から手本を示す。
示すということは、それを見てもらっていなければなりません。

いつ見ているか分かりませんから、いつも自分が進んで正しいことをやるしかありません。

ところで、子どもがなぜ目を見ないのか。
そういうシーンって少なくないのですが、
なんで見ないのかと言えば、普段こちらが話を聴くときに見ていないか、
"にらんでいる"からかなと思いました。

たとえば、怒っているときの大人の目を見るのは嫌だから見ないだけなのです。
「にらまないでほしい」と思う前に自分は決してにらんでいなかったか問いたくなります。

正しい心であってほしいときに、にらめばいいのか、やさしい目で語りかけるのか。
私たちは率先垂範の心で選ばなければなりません。

まず、自分から。

October 20
『仮装』
さてさて、間に合うのか。

本日は、ハロウィンで何に仮装するか聞きました。

大体を挙げると、

ドラキュラ 2
カロン 2
ゴリラ 4
スクリーム 1
魔女 2
ゆうれい 2
ミイラ 1
ねこ 1

だそうです。
楽しみではあります。用意できるのかだけが心配ですが。

今日は、みんなでドッチボールができました。
最近は本当にみんなでできるときが増えました。
うれしいです!!

October 23
『いじめっぽいについて』
今回は、
万人を大切にする気持ちを伝えてほしいという話です。

いじめの定義には、

①自分より弱い者に対して一方的に、
②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、
③相手が深刻な苦痛を感じているもの

というのがあって、けれどこれは以前のものです。
ここでは、一方的、継続的、深刻な苦痛というところがキーワードだと思います。

昨今では、
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、
心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」
となり、

どのような状況という視点から、攻撃を受けている本人の気持ちによるという変化があります。

これは、あくまで定義です。

私なりの考えを言ってみたいのですが、

たとえば、本人が苦痛と思っていなくても、大人から見て嫌な気持ちになったり、
よくないと思うことはやっぱりよくなくて、

いじめと思ったらいじめだと思うのです。
言い過ぎだと思いますが、周囲の人がどんな気持ちを感じるかも大切な視点だと思うのです。
いじめと感じるとか感じないの感覚ってあると思うのです。

今日は女の子さん3人がなんとなく、リップクリームを塗るのを隠れて楽しんでいて、そこに1人の女の子を入れないということがありました。
入れてもらえない子は、別にそれならそれでという感じで、苦痛に感じているわけではありませんし、問題はないと言えるのですが、

そっちの3人は、1人の子の悪いところを話していたりして、嫌な感じがするんですね。
言ってしまえば、いじめっぽいと思いました。

3人にもいろいろ言い分があるようですが、納得のいくものではないかなと思いました。

今までもやりとりをしてきたけれど、その子には嫌なところがある。だから入れない。とか。

どうしてそういう考えになるのでしょう。ある一定のふさわしくない人は仲間に入れない。
これでいいのかと考えてしまいます。

問題は働きかけられていない自分たちにあるはずでしょう。

入れないにしても、そこで悪口を言う必要はないわけで……。

そして、問題があるのは、もっと言えば、私で、よりもっと言えば、私たちです。

どこかで人を大切にしていない姿を子どもたちが見ているのではないかと思いました。
そんなつもりはなくてもです。
そこまで完璧に立ち振る舞うことは不可能ですが、気をつけたいものです。

「誰だって大切にしよう。誰だって大切にしていいんだよ。」ということを、どこでもかしこでも伝えてほしいなと思います。

いじめっぽいことを見逃さないことと、
人を大切にすることは、近くにいる大人がちゃんと伝えないとダメです。

October 24
『人はどうして幸せになれるのか』
人間がどうして幸せになれるかといえば、

それは、その人の幸せを願っている人がいて、
また、その人を幸せだと思ってくれる人がいるからに他ならない。

October 25
『愛とは?』
愛とは?(大人)

愛って・・・パパたちは
ママたちを愛してる

愛は
何かいいものだけど
だけど・・・
恋している人は・・・

愛はいいものと?(大人)
みんな賛成?どう思う?(大人)

いいものよ

どうして?(大人)

結婚する人たちがいて
彼らは幸せになるから

結婚はよくない

よくないの?
なぜそう思うの?(大人)

結婚するのがいいとは
限らない

なぜ?(大人)

いいことだよ

黙ってよ

説明を(大人)

結婚しないほうが
いいこともある
一度は結婚する
そのあとずっと
結婚してなかったら
再婚する
もしパパとママが
結婚していたら――
子供を取り合ってケンカする

パパとママがケンカして
ママが怒ってこう言うの
"私 考えを変えるわ"
"出ていくわ 離婚する"

一生 愛することはできない
もし子供を取り合ったら
2人は離婚して
片方が子供を取って・・・
子供を引き取った人は
別の恋人を選ぶ


『小さな哲学者たち』
というドキュメンタリーがあって、
どんな内容かというと、
フランスで幼児と哲学をするプログラムが組まれ、それを追ったものです。
(詳しくは検索を)

上記の話しは、幼児が「愛」から連想して出てきた言葉です。

二つ衝撃があって、
一つは、幼児でも、きっかけさえあれば、愛について語れるということ。
もう一つは、まず最初に親の様子から発想するということです。

愛っていうのは、目に見えないもので、自然と伝わるものです。
しかし、自然ゆえにどう伝わるかはわかりません。

愛に絶対の答えはありません。それは、人それぞれに違うから当然です。

私が一つ言いたいのは、
「愛っていうのは、感じるものでいいのか、伝え合うべきではないのか」ということです。

子どもたちは、勝手に感じて、いろいろベラベラと喋れるようになります。
その愛についての考えを聞いたり、伝えたりしなくてよいのかということです。

このドキュメントの子どもたちは、この後家庭で今日は愛について話したのだと語ったりします。

私は、愛について語る時間。大人がマジにならなきゃいけない時間が、日常の何気ない穏やかな時間の中で少しあってもいいと思うのです。もちろん多様性を知るために。

純粋に楽しいだろうとも思います。

愛ってなにかいいもの。(それ以外に言えないですよね。)
結婚するのがいいとは限らない。(30代後半で独身の人の意見みたいです。)

October 26
『相手を認める』
「思いやりを育てよう」って話です。

相手を認める。
そこにいて良い許可。
生きてい良い許可。
そんなものは、自分で決められるべきですが、どうも周囲が決めないと、自分で決めることは難しい。

そういう時代みたいです。
自分の気持ちだけでは、そこにいていいのか、生きていていいのか分からないって人がよくいます。

子どもたちの間でも、
入れてって言わないと入れないのも、言い過ぎれば変です。
水臭いこというなよって感じです。

他人を認めるってどんなことかなってのは、
映画「ペイ・フォワード」を三回見れば一発で分かります。(三発じゃんかっていう)
私が見たのは、字幕、日本語字幕、吹き替えとあって、それぞれ使われている言葉が違いました。
そのどれもいろいろな言葉で大切なシーンが表現されていて楽しいです。
でも、一番はやっぱり字幕です。

これは、どんな人でも、一番近くにいる人でも、一番近くて遠い人でも、
その人の今を許す、認めるってのが見られる映画です。
誰だって、今、そこにいていいんです。
だから、生まれた。生きている。

主人公の少年は
「世界は……思ったほど……クソじゃない」と。
この愛!

というのも、
広報 人権特集号
ってのがポストに入っていて、
こんなことを言ってます。

見出しには、
「思いやりの心を育てよう」
って書いてあります。

これも使い古された言葉ですが、じゃあ思いやりって何?
一言で分かりやすい言葉でって言われるとなかなかスパッと出ないものです。

それを一言で表せる言葉が広報にあったので書きます。
おもいやりというのは、
「相手の気持ちになって自分の言葉や行動を見つめ直すこと」
「相手の存在を認め、大切にすること」
とあります。

思いやりをもってほしいよ。人を大切にしてほしいよ。
これは、ただの大人のおじさんの願いなんだけど、
人を大切にする。その方がいいと思ったら練習した方がいいよと言いました。

これもだんだんできればいいことで、今は種植えという感じです。
基盤、考え方、まわりの大人がこう思ってる、愛とか大切とかこう感じているっていうのを、
言った方がいい!と私は思っているので、話してみたりしています。

October 27
『ハロウィンの準備&運動会前』
ハロウィンの準備も佳境に入りつつあるのです。

白い布を縫ってゆうれいを作ったり、
かぶりものを作ったり、一年生もがんばっています。楽しみです。
ミイラ、ドラキュラ、魔女、がいこつ、猫、ゴリラなんかがいますね。

あと、明日、運動会の学校があります。

帰りの会で、本番のコツを話しました。

それは、
「練習を本番と同じようにやり、本番は・・・・・・。」

2年生の女の子が見事
「練習と同じように?」
と答えてくれました。

「練習を本番と同じようにやり、本番は練習と同じようにやる」

つまり練習をちゃんとやらないと・・・・・・本番が練習のときみたいになるから・・・・・・と話しました。

他にも話したことを書いておきます。
「みなさんは、ちゃんとできる人たちです。ただ、いつもちゃんとはできません。そもそもそんな人はいないと思います。必要なことは、ちゃんとすべきときを見極めるということです。考えて生活する。」

そんなようなことを言いました。言っただけじゃダメなのですが、種は植わって、一応子どもは思い出せたりします。
少しずつ少しずつより良くなってほしいです。

October 30
『和やかさ』
本日は、一日保育でした。

天気がとっても良くて、風が強くて、

秋が来るー!きっと秋は来るー!
という感じでした。

特別な装いな日には、子どもの組み合わせも特別だったりして、
子どもたちは、言葉を掛け合って工夫してかかわって遊んでいました。

朝は、散々ドッチボールをしたらしく、昼前の時間にもドッチボールの声も上がりましたが、
サッカーがやりたいという子もちらほらと、
いろいろ交渉し合って、サッカーをやろうとなりました。

全員が笑えるサッカーでした。

お昼は、外で食べました。

ここで、子どもの中にある価値観というか平和観みたいなものを感じてとても面白かったのですが。

「オレは今日外でご飯を食べて、カービィー(ゲームのキャラクター)の話ができて超うれしい」
と身体を上下に振りながら言っている子がいました。

この純真さを汚したくないなぁと思います。
子どもたちがほしいのは、そういう好きなことを優しい雰囲気で話せる時間なのだなと思います。

午後は、部屋で人生ゲームもしました。
1年生、2年生、3年生各一人ずつと私でした。
二回やりました。

悪い政治家、悪いタレントがいました。とっても面白かったです。
なんとなく、その子らしい人生も垣間見れて楽しかったです。

今、思ったのですが、こういう日は、バカンスみたいなものなのだと思います。
お疲れ休み。

たくさん時間があって、重圧なく過ごせたのでしょう。
争いらしいことや、言葉もなく、なんだか本当に一緒に生活しているような温かみがあったんです。

和やかさ。
本当に時間って大事です。
温かく気にしたいですね。

こういう日があると、真っ直ぐ子どもを愛おしく思えます。

October 31
『ハロウィン前日』
もはや、一刻の猶予もない。のかもしれない。

みんな頑張って衣装作りです。

一年生の男の子がコウモリになるというところで、袋を使って服を作っているのが印象的でした。
お上手でした。

女の子たちも裁縫をしたり、年下の子の面倒を見たりと素晴らしい姿がありました。

公園には行けなかったのですが、庭で上手に遊んでくれている子たちもいました。
どんな場所でも工夫して遊びはじめてしまうのが子どもですね。

庭でも楽しそうにドッチボールをしていました。

そんな発見もあり、ハロウィンをやって良かったと思ったりしています。

特別おやつも頼んだし、明日だ!明日にすべてをかけるのだ!!